持ち直す火
光が——変わった。
リーリエの意識が、暗闇の底からゆっくりと浮上してきた。
暗かった。何も見えなかった。音もなかった。身体の感覚すら消えていた。まるで深い水の底に沈んでいたような——いや、死にかけていたのだ。炉の火が消えかけたとき、リーリエの命も一緒に消えかけた。
しかし今——光がある。
消えかけていたはずの視界に、新しい光が差し込んでいる。赤くもなく、白くもない。紅と白が溶け合った、温かな金色の光。柔らかくて、穏やかで、どこか懐かしい色。
カインの生命力と、万人の祈りが——合流した光だった。
「——っ」
紋章が脈打った。しかし先ほどまでの灼けるような痛みはない。紋章が纏う光も変わっていた。命を燃料として搾り取る激しい光ではなく、橋渡しの媒介として穏やかに灯る光。紋章が身体を蝕んでいるのではなく——世界との繋がりを優しく保っているだけ。
臨界点を——超えたのだ。
「カイン……」
リーリエは霞む目でカインを見た。
カインの顔は青白かった。蒼白と言ってもいい。頬がこけ、目の下に深い隈がある。髪が汗で額に張り付き、唇が乾いている。そして何より——瞳の色が変わっている。あの深紅の輝きが消え、暗い褐色の——普通の人間の瞳。
力を、全て注ぎ込んだのだ。五百年分の蓄積を、一滴残らず。
それでもカインは微笑んでいた。
「まだ終わってないぞ。最後まで見届けろ」
声は掠れていた。息が荒い。立っているのもやっとだろう。しかし微笑みは確かだった。超常的な力を失ってなお——いや、失ったからこそ、その微笑みは温かかった。五百年の重荷を下ろした人間の顔。
リーリエは頷いた。
「はい」
炉の回路を見渡す。変わり始めていた。
分散型のエネルギーが、一点集中型を上回っている。カインの最後の生命力が臨界点を押し越し、万の祈りの灯火がなだれ込むように分散型の回路を活性化させている。白い光が赤い光を呑み込み、炉全体の色が変わっていく。
一つ。また一つ。
回路が白い光に変わるたびに、炉の振動が小さくなっていく。不安定さが収まっていく。拮抗が終わり、分散型のエネルギーが圧倒し始めている。新しい仕組みが、安定を取り戻し始めている。
「……変わっていく」
リーリエの声は、畏敬と感動に震えていた。
目の前で、五百年の歴史が書き換えられている。初代聖女エルシェが時間に追われて選んだ一点集中型の仕組みが、今ようやく——本来あるべき姿に戻ろうとしている。
万の灯火による分散型。
一人の犠牲ではなく、万人の意志で世界を守る仕組み。エルシェが遺した設計図が、五百年の時を経て、ようやく実現する。
リーリエは炉の回路に手を伸ばした。橋渡しの最後の工程。残りの回路を分散型に接続し、新しい仕組みを確定させる。
指先に触れる回路の感触が変わっていた。先ほどまでは灼けるように熱かった回路が、今は温かい。祈りの温もりが、そのまま回路に宿っている。一つ一つの灯火が——名も知らない人々の想いが、光となって指先に触れてくる。
一つ繋ぐ。紋章が穏やかに光る。
もう一つ。炉の光が安定していく。
もう一つ——。
橋渡しの完成が近い。
リーリエは手を動かしながら、カインをちらりと見た。
カインは壁に背を預けるようにして立っていた。力を使い果たした身体を、意志だけで支えている。瞳の輝きは消え、顔色は蒼白。それでも——リーリエを見つめる目は、穏やかだった。褐色の瞳に映るリーリエの姿を、静かに見守っている。
「カイン」
「何だ」
「力を失って——怖くないですか」
カインが一瞬、目を瞬いた。それから——微かに笑った。
「怖いさ。足がふらつく。目が霞む。こんなに身体が重いのは……五百年ぶりだ」
「……でしょうね」
「だが——悪い気分じゃない」
カインの手が、リーリエの髪にそっと触れた。力のない、普通の人間の手。剣胼胝だらけの、武骨で大きな手。超常的な力は消えたが、手の形は変わらない。
「お前と同じ速度で歳をとれる。それだけで——十分だ」
リーリエの目から涙が溢れた。拭わなかった。そのまま最後の回路に手を伸ばした。
あと少し。
炉の中に、新しい気配が満ちていく。回路が書き換わるにつれて、炉の奥底から何かが浮上してきている。初代聖女の気配が——強まっている。
橋渡しの完成が近づくにつれて、炉の中に眠っていた魂たちが目覚め始めている。五百年の間、炉に縛られてきた魂たちが。
その中に——一つの、特別に強い気配があった。
金色の髪の、あの人の気配が。




