燃える命
炉の光が、赤く変わっていく。
カインは炉の外壁の前に立ち、その光を見つめていた。穏やかな白金色だったはずの光が、今は不吉な赤に染まっている。リーリエの命の色だ。聖女の命が燃料として消費されるとき、炉の光は赤く変わる。五百年前も——同じ色だった。
「お嬢様……!」
従者長のリュカが悲鳴に近い声を上げた。いつもの軽口が影を潜め、蒼白な顔で炉の外壁を見つめている。外壁に映し出されるリーリエの紋章の影が、明滅を繰り返していた。規則的だった脈動が乱れ始め、不規則な点滅に変わっている。
「カイン様、もう限界では——」
聖騎士団長レオンハルトの声が、静かに問いかけてきた。銀色の鎧の下で握りしめた拳が、微かに震えている。歴戦の騎士を震えさせるほどの光景——炉の外からでも伝わるリーリエの消耗は、それほどに深刻だった。
分かっている。
カインには見えていた。炉の外からでも分かるほどに、リーリエの命が急速に消耗していく様が。紋章が赤く焼け、リーリエの身体から立ち昇る光が弱まっていく。呼吸が浅くなっている。膝が笑っている。それでも手を止めない——止められない。
あの子の性分だ。
限界を超えても、自分に課された役割を全うしようとする。かつてはそれが「聖女としての義務」だったが、今は「自ら選んだ道」として。変わったのだ——けれど、その頑固さだけは変わらない。崖から身を投げた日も、魔王城で「別に構いません」と淡々と言い放った日も、聖女の真実を知って「まだ死ねません」と唇を噛みしめた日も。リーリエは——いつだって、静かに頑固だった。
「……まだだ」
カインは低く呟いた。
まだ、入るべきタイミングではない。リーリエが回路の切り替えを一定数以上進めてからでなければ、カインが炉に入ること自体が負荷になる。炉の構造を理解しているリーリエの作業を妨げてはならない。橋渡しの基盤が整う前にカインが介入すれば、回路が混乱し、最悪の場合——炉が暴走する。
しかし——。
紋章の光が、また一段暗くなった。
カインの拳が、白くなるほど握りしめられた。
——数百年前。
同じ場所だった。
灰の聖堂。聖なる炉の前。初代聖女エルシェが炉に命を捧げたとき、カインはここにいた。炉の外に。光の壁の向こうで、愛する人が燃え尽きていくのを見ていることしかできなかった。
止めようとした。叫んだ。手を伸ばした。しかし炉の防御がカインを弾き、中に入ることすら許されなかった。光の壁に何度も体当たりして、肩が外れても、腕が裂けても、炉はカインを拒絶し続けた。
最後に見たのは——エルシェの涙だった。
微笑みながら泣いていた。「泣かないで」と、自分が泣きながら言った。
あの日の無力さが、今また蘇ろうとしている。
同じ光景を——繰り返すのか。
「——いや」
カインは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
同じではない。あのときとは違う。
あのときのカインには、炉の中に入る手段がなかった。初代聖女を支える力がなかった。ただ外から見ているしかできなかった。
しかし今は違う。五百年の歳月が、カインに炉の構造への理解を与えた。数百年分の魔力の蓄積が、炉の防御を越える力を与えた。古代の文献を読み漁り、失われた魔法を復元し、炉の設計の全容を解明した。
そして何より——リーリエと交わした約束がある。
紋章の光が、さらに弱まった。明滅の間隔が長くなっている。消えかけている。
時が来た。
「約束しただろう」
カインは一歩を踏み出した。
炉の外壁が光を放ち、カインを弾こうとする。五百年前と同じ防御機構。聖女以外の存在を拒絶する、炉の本能的な反応。あのときはこれに阻まれた。何度ぶつかっても、弾き返された。
しかし今のカインは——数百年分の魔力と、折れない意志を纏っている。
光の壁に手をかけた。熱い。手のひらが灼ける。構わない。力を込めて押し込む。炉の防御が軋み、カインの魔力が壁に食い込んでいく。
もう一歩。
身体が半分、光の壁に沈む。全身が灼熱に包まれる。五百年前ならここで弾き返されていた。しかしカインの数百年分の蓄積が、壁を押し退けていく。
「今度は——」
光が弾ける。防御の壁にひびが入る。砕ける音がした。カインの足が、炉の内側へ踏み込む。
「炉の外にはいない」
背後でレオンハルトが呟いた。
「行け、初代聖騎士」
その声を背に、カインは炉の中へ足を踏み入れた。
灼熱の光が全身を包む。視界が白く焼ける。しかしその光の奥に——リーリエの姿が見えた。
膝をつきかけ、それでも腕を伸ばし続けている銀灰色の髪の少女。白い肌に赤く燃える紋章。汗に濡れた額。食いしばった歯。
五百年前、手を伸ばせなかった場所に——今、カインは立っている。
もう二度と、炉の外から見ているだけの男にはならない。




