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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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お姉ちゃんの絵

 リュカが何かを持ってきた。


 午後、リーリエは庭園のベンチに座っていた。噴水の水音が穏やかに響き、花壇のエーデルフラウが微かに揺れている。秋の日差しは柔らかく、木漏れ日がリーリエの膝の上に光の模様を描いていた。


 そこへリュカが駆けてきた。両手を背中に隠し、にやにやしている。琥珀色の目が輝いていて、耳がぴんと立っている——感情が昂っている証拠だ。


「お嬢、お嬢! ちょっと待ってて!」


「何ですか」


「いいからいいから! 目つぶってほしいっす!」


「嫌です」


「えーっ」


「目を閉じる理由がありません」


「サプライズっすよ! サプライズ!」


 リュカが泣きそうな顔をした。この従者は、泣きそうな顔をすれば大抵のことが通ると思っている。


 実際、通った。


「……三秒だけです」


 リーリエは目を閉じた。暗闇。風の音。リュカの気配が近づく。


「はい、開けて!」


 目を開けた。


 リュカの両手に、一枚の紙が広げられていた。


 絵だった。


 色鉛筆で描かれた、一人の人物。丸い顔。大きな目。薄紫色に塗られた瞳。銀色——というより灰色と白で塗られた髪。口元は小さな線で「への字」に結ばれている。


 リーリエの似顔絵だった。


「できた! お嬢の絵!」


 リュカが胸を張った。


 リーリエは絵を見つめた。


 上手ではなかった。顔のバランスが歪んでいるし、髪の色は実物と違う。目が大きすぎるし、口は小さすぎる。耳が一つ多い——いや、あれは花の飾りだろうか。


 けれど一生懸命だった。色は丁寧に塗られていて、はみ出しはあるが、何度も塗り重ねた痕跡がある。特に瞳の色——薄紫を出すために、青と赤を少しずつ混ぜた跡が見える。


「似てる?」


 リュカが期待に満ちた目で聞いた。耳がぴんと立ち、尻尾——はないが、あったら振っているだろう。秋の木漏れ日がリュカの栗色の髪を透かし、琥珀色の瞳が宝石のように光っている。


 秋風が庭園を吹き抜け、落ち葉がベンチの足元をかさかさと通り過ぎていった。リーリエは絵を見つめ続けた。


 言葉が出なかった。


 誰かが自分の絵を描いてくれたことなど、一度もなかった。教会では聖女の肖像画が描かれるが、あれは「聖女」という記号を描くものであり、リーリエ個人を描いたものではない。聖衣を着て祈りの姿勢を取る匿名の聖女像。そこにリーリエの顔はあっても、リーリエ自身はいなかった。


 この絵は違う。


 下手で、歪んでいて、耳が一つ多い。色鉛筆のはみ出した跡に、リュカが何度もやり直した痕跡が見える。瞳の色を出すために、何色も重ねた痕跡。時間をかけて描いたのだとわかる。リーリエの顔を見ながら、色を選び、線を引き、消し、また引いた。


 けれどこれは「リーリエ」を描いた絵だ。聖女ではなく、リーリエ。リュカが見ているリーリエ。への字の口元も、大きすぎる目も、リュカの目に映るリーリエの姿なのだ。


「……ありがとうございます」


 声が出た。自分でも驚くほど自然に。


 リュカの目が見開かれた。


「え——お嬢、今——」


「ありがとうございます。受け取ります」


 リーリエは絵を受け取った。両手で丁寧に持ち、風で飛ばないように。


「似てる? 似てるっすか?」


「……あまり」


「えー!」


「でも——」


 リーリエは絵を見つめた。への字の口。大きな目。銀色の髪。


「嫌いではないです」


 リュカの顔が——輝いた。太陽のように。耳がぴんと立ち、目が潤み、満面の笑みを浮かべている。


「やった! お嬢が嫌いじゃないって言った!」


「騒がないでください」


「やったやったやった!」


 リュカが庭園を走り回り始めた。秋の落ち葉を蹴散らし、花壇の縁を跳び越え、ベンチの周りを何周もしている。琥珀色の目が潤んでいる。耳がぴんと立ったまま戻らない。


 リーリエは溜息をつき、絵を膝の上に置いた。溜息が白く曇る。秋も深まっている。


 渡り廊下の上で、マリカが口を手で覆っていた。


 目に涙が浮かんでいる。


「ヴェルナーさん」


「ええ。聞こえました」


 ヴェルナーが隣に立っていた。眼鏡を外し、丁寧にレンズを磨いている。


「聖女殿が『ありがとう』と……」


「初めてですわね。あの方がご自分から——」


「笑顔プロジェクト、真の成功ですな」


「ヴェルナーさん、涙が」


「いえ。眼鏡の曇りです」


 マリカはそれ以上言わず、二人は黙ってリーリエを見下ろした。庭園のベンチで、リーリエが絵を膝の上に置き、じっと見つめている。リュカが戻ってきて隣に座り、「次はカインおじちゃんの絵も描くっす!」と叫んでいる。


 柱の陰で、カインが立ち止まっていた。


 リーリエが「ありがとうございます」と言った声が、風に乗って届いた。


 五百年。


 数えきれないほどの夜を過ごし、数えきれないほどの文献を読み、数えきれないほどの後悔を抱えてきた。その五百年の中で——こんなにも胸が痛んだことが、何度あっただろう。


 リーリエが「ありがとう」と言った。下手な似顔絵を受け取って。


 凍った心に、ひびが入っている。確かに、目に見える形で。


 カインは目を閉じ、静かに息を吐いた。


 その夜——リーリエの部屋の壁に、リュカの絵が飾られていた。


 誰が飾ったのかはわからない。画鋲がびょうで丁寧に留められ、窓辺の光が当たる位置に。リーリエは部屋に戻ってそれを見つけ、一瞬足を止めた。


 外さなかった。


 ベッドに入り、壁の絵を見た。への字の口のリーリエが、壁からこちらを見ている。上手ではない。似ていない。けれど——


 これは、自分の絵だ。


 聖女ではなく、リーリエの。


 誰かが、リーリエを見て描いた。


 目を閉じた。胸の奥が——温かかった。痛みとは違う温度。名前のつけられない、小さな灯り。


 リュカの絵が、壁で見守っている。


 への字の口が——少しだけ、笑っているように見えた。


 リーリエは壁の絵を見つめた。暗い部屋の中で、月明かりが絵の上に柔らかく落ちている。下手な絵。似ていない絵。けれど世界に一つしかない、リーリエのための絵。


 目を閉じた。まだ痛みはある。身体の灼熱は消えない。けれど——「ありがとう」と言えた自分が、少しだけ誇らしかった。誇らしいという感情が何なのか、まだよくわからないけれど。


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