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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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各国への布石

 各国への根回しは、想像以上に骨が折れた。


 真実を公開する前に、地盤を固めなければならない。いきなり世界に向けて叫んでも、味方がいなければ声はかき消される。教会の権威という巨大な壁に、たった二人の声で挑むわけにはいかない。まず味方を。まず理解者を。外堀を埋めてから、本丸に挑む。


 密書を送ったのは七通。大陸の主要な領主と、辺境で実権を握る豪族の長に宛てたもの。カインの古代文字の暗号で書かれ、良心派の連絡網を通じて届けられた。密使を出してから返答が届くまで、最短で三日、最長で一週間。その間——リーリエは待つしかなかった。


 返答は三つに分かれた。


 賛同——二通。

 反対——二通。

 沈黙——三通。


「世界の縮図だな」


 カインが密書の返答を並べて言った。隠れ家の卓上に広げられた七枚の布切れ。それぞれに記された言葉が、世界の反応の予行演習のようだった。


 賛同したのは辺境の領主たちだった。結界の弱体化を最も深刻に受けている地域の為政者。彼らは理念ではなく、現実の被害に動かされている。


 一人目の返答には、こう記されていた。


 ——この一年で領地内に三度、災厄の侵入があった。結界は既に限界だ。現状維持は不可能。何かを変えなければならない。三度の災厄で、村が二つ壊滅した。これ以上は持たない。


 二人目——東方辺境の女領主からの返答は、もう少し感情的だった。


 ——聖女が命を燃やして守っている結界が、もう持たないと言うなら。我々は、あの子が死ぬのを黙って見ているのか。そんなことは——できない。私にも娘がいる。


「辺境の方が切実なのね」


 リーリエは返答を読み終えて言った。結界が弱まれば、最初に被害を受けるのは辺境だ。中央の都市はまだ安全圏にいる。厚い結界に守られ、災厄の気配すら感じていない。だから切実さが違う。痛みを知らない者は——変化を望まない。


 反対の返答は予想通りだった。中央に近い大領主から。


 ——混乱を招く。民の不安を煽れば暴動が起きる。今は安定を保つべきだ。教会との関係を損なうわけにはいかない。


 もう一通は、もっと直截だった。


 ——教会に逆らう気はない。この密書を受け取ったことは忘れる。


 忘れる。つまり——見なかったことにする。通報はしないが、協力もしない。最も安全で、最も卑怯な選択だ。


 そして——沈黙。三通の返答がない。これが最も厄介だった。賛成でも反対でもない。様子を見ている。風向き次第で、どちらにも転ぶ。大司教が勝てば教会に付き、リーリエ側が優勢なら合流する。政治とは——そういうものだ。


「沈黙が一番多いのが、一番怖いわ」


「ああ。だが裏を返せば——まだ敵ではない。風を吹かせれば味方になる可能性がある」


 カインの分析は冷静だった。五百年を生きた男は、人の心の揺れ方を知っている。信念で動く者は少ない。大多数は——風向きで動く。


 翌日、リーリエは辺境の領主と直接会った。良心派が確保した安全な街道を通り、国境近くの小さな砦で。


 辺境の領主は四十代の男だった。日に焼けた顔。厚い手。節くれだった指。農作業も戦闘もこなす、実直な領主だ。豪華な服は着ていない。革の鎧に、使い込まれた剣。


「お会いできて光栄です——と言いたいところだが」


 領主は率直だった。


「俺は光栄よりも、結果が欲しい。聖女様、あんたの言う『第三の道』は本当に成功するのか」


「保証はできません」


 リーリエは正直に答えた。嘘はつかない。この人たちに——嘘は通じない。辺境の領主は、嘘つきを見抜く目を持っている。


「ただ、今の制度が持続不可能なことは——結界の弱体化が証明しています。私の命があと何年持つか、わかりません。結界がいつ崩壊するかも。現状維持は——緩やかな滅びです」


 領主は腕を組んだ。太い眉の下の目が、リーリエを見据えた。長い沈黙。砦の外で風が唸っていた。


「……あんたは、正直な人だな」


「嘘をつく余裕がないだけです」


 領主の太い眉が動いた。鋭い目がリーリエの全身を見つめ——そしてゆっくりと、頷いた。この男は嘘を見抜く目を持っている。辺境で生き延びるために研がれた直感だ。


「同じことだ。——わかった。あんたを支持する。俺の領地で声を上げる。民にも伝える」


 小さな一歩。けれど確かな一歩だった。


 隠れ家に戻ったのは夜だった。リーリエは疲労で椅子に沈み込んだ。身体というより、心が消耗していた。


「こういうの、苦手だわ」


 外交、交渉、根回し。聖女として教育は受けたが、実践は初めてだ。人の顔色を読み、言葉を選び、相手の立場を慮《おもんぱか》りながら自分の目的を伝える——想像以上に消耗する。教会で学んだ礼儀作法とは違う。これは——心を削る作業だ。


「俺も嫌いだ」


 カインが向かいの椅子に座って言った。


「でもあなたは数百年も外交してこなかったでしょう」


「だから嫌いなんだ」


 リーリエは——思わず笑った。小さく。けれど確かに。疲れた顔のまま。


 カインも——口の端を僅かに上げた。二人の間に、束の間の温もりが流れた。


「全員が味方にならなくてもいい」


 リーリエは笑いの余韻を残したまま、静かに言った。


「一人でも多くの人が真実を知ればいい。選ぶのは——その人たち自身だから」


 強制はしない。脅しもしない。ただ真実を見せて——あとは委ねる。


 布石は打った。


 カインが席を立ち、リーリエの肩に手を置いた。軽く。けれど確かに。その温もりが、消耗した心をほんの少しだけ満たしてくれる。


「お前は一人で全部やろうとするな。交渉は——俺やレオンハルトにも任せろ」


「あなたが交渉? 相手を睨みつけて終わりでしょう」


「……少なくとも嘘はつかない」


「それは交渉とは言わないわ」


 リーリエは笑った。疲れた笑顔。けれど温かい笑顔。


 明日——世界に、真実を告げる。


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