良心派の輪
良心派との接触は、三日後だった。
場所は街道沿いの廃修道院。かつて教会に見捨てられた辺境の施設で、石壁は苔に覆われ、屋根には穴が開いている。旅人の仮宿にもならない廃墟だ。だからこそ——密会には最適だった。人が来ない。教会の目が届かない。忘れられた場所にこそ、真実を語る空間がある。
リーリエは外套の頭巾を深く被り、カインの半歩後ろを歩いた。カインは黒い外套を纏い、周囲に警戒の術式を展開している。見た目は旅の二人連れ。けれどカインの深紅の瞳は闇の中でも鋭く光っていた。五百年の経験が、夜道の危険を嗅ぎ分ける。
廃修道院の裏手に回ると、扉が軋んで開いた。
中に——人がいた。
六人。修道服の者が三人、甲冑を脱いだ聖騎士が二人、そして——聖騎士団長レオンハルトが一人。蝋燭の灯りが石壁に影を揺らしている。かつての礼拝堂だった場所に、崩れた長椅子が並んでいた。
「お待ちしていました」
レオンハルトが進み出た。砂色の髪は整えられ、琥珀色の瞳が真っ直ぐにリーリエを見ていた。右頬の古い刀傷。変わらない。あの目も——変わらない。嘘がつけない目。裏表のない目。教会から離れても、この男は何一つ変わっていなかった。
「聖騎士団長」
「レオンハルトで結構です。今の私に肩書きはありませんから」
リーリエは頭巾を外した。銀灰色の髪が零れ、薄い青紫の瞳が廃修道院の薄暗がりに浮かんだ。良心派の面々が、息を呑んだ。
「聖女……様」
修道服の老人が呟いた。白い顎髭を蓄えた、六十がらみの修道士。その声が——震えていた。
「お目にかかれるとは。私は——私たちは、この日を待っていたのです」
一人、また一人と名乗り出た。辺境の修道院で聖女の記録を密かに保管していた修道士。教会の内部文書から聖女制度の真実を知ってしまった書記官。地方の小さな教会で聖典の裏に自分の疑念を書き続けてきた聖職者。そして——かつてリーリエの護衛任務に就いたことのある若い聖騎士。
「私は覚えています」
若い聖騎士が声を絞り出した。まだ二十代前半だろう。顔に幼さが残っている。
「あなたが覚醒した日——あなたの目を見ました。あの目が、忘れられなかった。十五歳の少女が——あんな目をするべきじゃなかった」
リーリエは記憶を辿った。覚醒の日。十五歳。全身を灼かれるような苦痛が始まった日。あの日の自分が、誰を見ていたか——覚えていない。苦痛しか覚えていない。世界が白く燃えるような痛みの中で、誰かが傍にいたことすら、認識できていなかった。
「ありがとうございます」
リーリエは静かに言った。声に感情を込めすぎないように。この場を崩さないように。
「皆さんは——真実を知って、苦しんでこられたのですね」
沈黙が落ちた。蝋燭の炎が揺れた。それは肯定の沈黙だった。知っていて黙ることの重さ。声を上げれば教会から排除される。黙り続ければ良心が削られる。この人たちは——その間で、ずっと引き裂かれてきたのだ。何年も。何十年も。
レオンハルトが口を開いた。
「良心派のネットワークについて説明します。現在、教会内部で聖女制度に疑念を持つ者は少なくありません。各地の修道院に連絡網があります。伝書鳩ではなく、人の足で繋いだネットワークです。傍受されにくい。遅いが、確実です」
「各地に同時に——声を届けられますか」
「可能です。主要な十二都市の修道院と、辺境の二十三の分院。そこから民衆へ伝える手段も確保してあります。広場での読み上げ、酒場での噂話、市場での立ち話——草の根ですが、確実に届きます」
リーリエは息を吸った。十二都市。二十三の分院。想像以上の規模だった。レオンハルトが教会から離反してから、どれほどの時間と労力をかけてこのネットワークを築いたのか。
「すべて、あなたが?」
「私だけではありません。ここにいる者たち——そして、ここに来られなかった多くの者が。教会の中で声を潜めて繋がってきたのです。危険を承知で。密告されるかもしれない恐怖の中で。それでも——黙ることに耐えられなかった人々がいた」
リーリエの胸が熱くなった。一人ではなかった。最初から——一人ではなかった。
会合は慎重に進んだ。真実を公開する手順。リーリエの声をどのように伝達するか。各地での読み上げの時刻の同期。大司教の反撃への対策。蝋燭が何本も燃え尽き、空が白み始めた頃にようやく散会した。
帰り道。リーリエとカインは並んで歩いた。空には朝焼けが広がり始めている。鳥の声が聞こえた。世界は——何も知らない顔をして、朝を迎えようとしていた。
「こんなに多くの人が、真実を知って苦しんでいたのね」
リーリエは呟いた。自分の声が、少し揺れている。
「お前は一人じゃない」
カインが言った。ぶっきらぼうな声。けれど——確かな声。
「最初から」
「……最初から?」
「最初からだ。お前が崖から落ちる前から——お前のために声を上げたかった奴らがいた。ただ、手段がなかっただけだ」
リーリエは足を止めた。朝焼けの光がカインの黒髪を照らしていた。深紅の瞳が、まっすぐにこちらを見ている。この男は——嘘をつくのが下手だ。だからこそ、本当のことを言うとき、信じられる。
「あの人たち——私を見る目が、変わっていたわ」
「ん?」
「『聖女様』じゃなくて。ただの——リーリエとして、見てくれていた気がする」
カインは少し間を置いた。朝焼けの中で、深紅の瞳が僅かに細められた。
「お前はお前だ。肩書きなんざ関係ない」
その言葉が——嬉しかった。理由はうまく言えない。ただ——嬉しかった。
ネットワークは確保された。仲間はいる。手段もある。次は——リーリエ自身が、何を語るかを決める時。




