告白の決意
朝日が射し込んだ。
隠れ家の窓から差し込む光は、まだ弱かった。東の空に浮かぶ薄い橙色が、森の木々の隙間を縫って部屋に届いている。埃が光の中で舞い、金色の粒子のように見えた。
リーリエは窓辺に立っていた。
一晩考えた。眠れなかった。けれど不思議と、疲労は感じなかった。むしろ頭が冴えている。胸の奥にある決意が——身体を支えている。紋章が穏やかに脈打っている。昨日までの乱れが嘘のように、安定した鼓動を刻んでいる。
生きたいという意志が、紋章を安定させている。それが今、リーリエの身体で証明されている。
「おはよう」
カインが部屋に入ってきた。いつもより早い。眠れなかったのだろう。リーリエと同じだ。目の下に薄い隈があるが、瞳の光は昨日より強い。
「おはよう」
リーリエは振り返った。カインの目を、真っ直ぐに見た。
朝日を背に受けて、リーリエの銀灰色の髪が金色に縁取られている。薄い青紫の瞳に——迷いはなかった。
「決めたわ」
カインが足を止めた。
「世界に、真実を伝える」
リーリエの声は静かだった。けれど、その静けさの中に——揺るぎない芯があった。崖の上で「もういいですよね」と呟いた少女とは、別の人間のような声だった。あのときの声は諦めに満ちていた。今の声は——決意に満ちている。
「歴代聖女たちの声を。あの人たちの『生きたかった』を。五百年間隠されてきた真実を——世界に、届ける」
カインは何も言わなかった。ただリーリエの目を見つめ返した。深紅の瞳に、問いかけも躊躇もなかった。確認だけがあった。
「後悔しないか」
「しないわ」
迷いのない声。即答。
「怖いか」
「怖い。でも、止まらない。止まる理由がない」
「教会は全力で潰しにくる」
「知っている」
「民衆が味方になるとは限らない」
「それでもいい。真実を伝えることは、結果に関わらず正しい。歴代聖女たちが五百年間黙らされてきた声を——私が、代わりに」
カインは頷いた。それだけで十分だった。言葉は要らない。リーリエの決断を、カインは尊重する。共に歩く。
リーリエは朝日の中で、背筋を伸ばした。
「まず、聖騎士団長レオンハルトに連絡を取る。教会内部に良心が残っているなら——彼がその中心にいるはず」
レオンハルト・クレーフェ。聖騎士団の現団長。実直で正義感が強い。リーリエを教会に連れ戻すために派遣されたが、聖女制度の真実を知ったときに葛藤し——最終的に離反した。今は教会と距離を置いているが、完全に敵対しているわけではない。
「第三の道の仕組みと、聖女制度の真実を伝えて、協力を求める。レオンハルトが動けば、教会内部の良心派も集結するかもしれない」
「教会の内部に味方を作る、か」
「外から叫ぶだけでは届かない。声は大きくても、壁の向こうには聞こえない。内側から壁を崩さなければ。レオンハルトは——正義感の強い人。真実を知れば、動いてくれると信じている」
カインが腕を組んだ。
「甘いな」
「甘くても、それしかないわ。完璧な計画を待っていたら、私の身体が先に限界を迎える」
「……だが、間違ってはいない」
カインの口元が、わずかに緩んだ。不器用な笑み。リーリエの判断を認めた証。甘いと言いつつ、否定はしない。それがカインの信頼の形だった。
二人は隠れ家の広間に移った。リュカがすでに朝食の準備を終えていた。テーブルの上にはパンとスープ、そして干し果物。質素だが温かい朝食。暖炉の火が部屋を橙色に染めている。
「リュカ」
リーリエが声をかけた。リュカが振り返る。栗色の髪を紐で結びながら。
「真実を、世界に公開する。聖女制度のすべてを。教会が五百年間隠してきたことを」
リュカの琥珀色の瞳が、一瞬だけ真剣になった。尖った耳がぴんと立つ。そしてすぐに、いつもの笑顔が戻る。
「了解っす。で、まず何からやります?」
リーリエは少し驚いた。反対しないのだ。不安を口にしないのだ。
「……驚かないのね」
「お嬢が決めたことっすからね。旦那様が隣にいるし。俺は——まあ、俺は難しいことはわかんないすけど」
リュカが皿を並べながら、いつもの調子で続けた。
「お嬢が笑ってて、旦那様が怖い顔してなければ、それでいいんじゃないすか。今、お嬢は笑ってないけど——良い顔してるっす。旦那様も。だから、大丈夫っすよ」
リュカの言葉が、不思議にリーリエの胸に染みた。難しい理屈ではない。ただ——二人の顔を見て、大丈夫だと判断した。それだけだ。五十年間、カインの傍で培った直感。
「ありがとう、リュカ」
「いやいや、礼なんか——あ、でも言うなら旦那様にも言ってやってくださいよ。あの人、褒められ慣れてないから。褒めると面白いっすよ、耳が真っ赤になって——」
「リュカ」
カインが無言で椅子を引き、座った。耳が赤い。リュカの言った通りだった。
リーリエは食卓を見回した。パンとスープ。干し果物。質素な朝食。けれどここに集まった三人——いや、魔王城にいる小魔族たちも含めれば、もっと多くの仲間がいる。一人ではない。もう、一人ではない。
「ここから先は、世界を相手にする戦いになる」
リーリエが言った。声に力がある。
「教会は全力で反撃してくるでしょう。真実を歪め、私たちを悪者にしようとする。大司教は論理の天才だから、民衆の感情を巧みに操るはず。民衆の反応もわからない。怒りが暴走するかもしれないし、信じてもらえないかもしれない」
「覚悟はできている」
カインが答えた。スープを一口啜り、パンを千切る。日常の仕草。戦いの前でも、朝食は変わらない。
「俺たちは、もう二人じゃない」
リーリエは頷いた。
食事を終え、出発の準備を始めた。エルシェの研究ノート。試行の記録。聖女制度に関する教会の文書の写し。真実を伝えるための材料を、丁寧に荷にまとめる。
すべてが整ったとき、カインが立ち上がり、手を差し出した。
「行こう」
大きな手。硬い手。五百年を戦い続けた手。けれど今、その手は——リーリエと共に歩くために差し出されている。戦いのためではなく。贖罪のためでもなく。ただ——隣にいるために。
リーリエはその手を取った。
細い指が、大きな掌に包まれる。温かい。いつもの温もり。
「この手、ずっと離さないでね」
リーリエの声は、照れと決意が入り混じっていた。頬がほんの少し赤い。
「誰が離すか」
カインの声は素っ気なかった。けれどその手は——離す気配が、微塵もなかった。五百年間、何かを掴もうとして掴めなかった手が、今——しっかりと、リーリエの手を握っている。
朝日が窓から射し込み、二人の繋いだ手を照らした。金色の光。エルシェの紋章でも、聖女の白銀でもない——朝の、温かい光。
リュカが荷物を背負い、扉を開けた。森の朝の空気が流れ込む。木々の緑の匂い。鳥の声。
「さ、行きましょうか」
真実を世界に伝える旅が、始まる。
歴代聖女たちの声を。「生きたかった」という叫びを。五百年の沈黙を破って——世界に、届ける。
それは教会への宣戦布告であり、聖女制度への訣別であり、そして——リーリエの、「生きたい」の続きだった。
第二部「灰に触れて」——了。




