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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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三つの条件

 翌朝、書斎に再び集まった三人の表情は引き締まっていた。


 窓の外には曇り空が広がっている。灰色の雲が低く垂れ込め、まるで世界が息を止めているかのように静かだった。書斎の魔灯が橙色の光を落とし、机の上の紙束を照らしている。


 昨夜の解読の続き。壁画の残りの記号を全て書き出し、計算ノートとメッセージの断片を突き合わせる。カインが古代語の記号を解読し、リーリエが計算式との照合を行い、レオンハルトが教会の儀式手順との整合性を確認する。三者三様の専門知識が歯車のように噛み合っていく。


 作業は午前中いっぱいかかった。



 レオンハルトも同席していた。腕を組み壁際に立っている。聖騎士団長の厳しい顔に緊張が走っている。これから語られることが世界の命運を左右するとわかっているのだろう。

 そして——三つの条件が、浮かび上がった。


「整理する」


 カインが羊皮紙に書き出した。


「第三の道を実現するための条件は、三つ」


 リーリエは息を詰めた。


「一つ目——炉の再設計」


 カインのペンが止まった。


「分散型に切り替えるためには、炉の内部構造を書き換える必要がある。そのためには初代聖女の完全な設計図が必要だ。現状、壁画の記号と研究ノートから理論の七割は復元できたが——残りの三割が欠けている。メッセージの欠落部分に含まれている可能性が高い」


「二つ目——聖女の媒介」


 カインの声が固くなった。


「切り替えの間、炉は一時的に不安定になる。その間、炉と結界を繋ぎ止める『橋渡し』が必要だ。それができるのは——」


「私、ですね」


 リーリエが静かに言った。


「聖女として炉と繋がっている私だけが、切り替え中の炉を制御できる。その間、私の身体には——極度の負荷がかかる」


 カインがリーリエを見た。深紅の瞳に、隠しきれない恐怖が滲んでいる。


「命の危険がある」


「わかっています」


「……リーリエ」


「大丈夫です」


 リーリエはカインの目をまっすぐに見た。


「先に心配してくれるのは嬉しいですけど——まだ何も言っていないでしょう、カインさん」


 カインが口を閉じた。図星だった。



 分散化の条件。一つ、炉の構造を書き換える設計図。二つ、聖女の命ではなく万人の祈りを燃料とする供給網。三つ、一点集中型から分散型への切り替えを媒介する存在——それはリーリエにしかできない。

「三つ目——万人の祈り」


 レオンハルトが代わりに読み上げた。


 窓の外の曇り空が書斎の中にまで重い空気を運んでくる。けれど三人の目には曇り空の向こうにある光が見えていた。


「分散型の炉は、世界中の人々から微量の生命力を回収する仕組み。しかしこれは——強制では機能しない」


「強制では?」


「ああ。計算ノートにはっきり書いてある。『自発的に捧げられた生命力のみが、炉の燃料として機能する。強制的に搾取された生命力は、結界との親和性を持たない』」


 リーリエは呼吸を整えた。三つ目の条件の意味を、ゆっくりと噛みしめる。


「つまり——世界中の人々が、自分の意志で祈りを捧げなければならない」


「そのためには」


 レオンハルトの表情が険しくなった。


「聖女制度の真実を世界に公開する必要がある。聖女が何をさせられていたのか。炉が何で動いていたのか。五百年間、教会が隠してきた真実を」


 重い沈黙が書斎を満たした。


 三つの条件。どれ一つとして容易ではない。


 第一の条件——メッセージの欠落部分は、どこにあるのかすらわからない。


 第二の条件——リーリエの命が危険にさらされる。


 第三の条件——五百年の嘘を暴き、世界を動かさなければならない。


「……厳しいな」


 レオンハルトが呟いた。


「ああ。厳しい」


 カインも認めた。


 リーリエは三つの条件が書かれた羊皮紙を見つめていた。厳しい。途方もなく厳しい。けれど——


「一つずつ解決していきましょう」


 リーリエの声は静かだったが、揺るぎなかった。


 カインが振り返った。リーリエの目に宿る光を見て、僅かに息を呑む。


「メッセージの欠落部分は探しに行きましょう。エルシェさんが遺した手がかりが、まだどこかにあるはずです。媒介のことは、私が引き受けます。そして真実の公開は——」


 リーリエはレオンハルトに目を向けた。


「騎士団長と一緒に、方法を考えましょう」


 レオンハルトの琥珀の瞳が、リーリエを見返した。


「……聖女殿は、強くなりましたな」


「強くはありません。ただ——やるべきことが見えたので」


 強い、とレオンハルトは言った。リーリエは首を横に振ったが、確かに変わったのだと自覚はしていた。崖の上で「死なせてください」と言っていた頃の自分なら、三つの条件を聞いた瞬間に「無理です」と静かに諦めていただろう。それは強さではない。ただ——この城で過ごした日々が、リーリエに「諦めない」という選択肢を教えてくれた。


 カインが無言でリーリエの方を見ていた。その目には不安があった。第二の条件——リーリエが炉の媒介になることへの恐怖。また同じことが起きるのではないかという、五百年前の悪夢の再来。エルシェも「私がやる」と言って炉に向かった。同じ言葉を、別の聖女が口にしている。


 リーリエは気づいていた。だから先回りして言った。


「大丈夫です、カインさん」


「……まだ何も言っていないだろう」


「顔に書いてあります」


 カインが押し黙った。


 リーリエは小さく微笑んだ。互いの心配を読み合える距離。それが、今の二人の関係だった。


 レオンハルトが席を立った。


「条件は厳しい。だが——俺は騎士だ。不可能に見えることに剣を向けるのが仕事だ」


「……聖騎士は聖女を守る、か」


 カインが呟いた。


「ああ。それだけは——五百年前も、今も、変わらない」


 レオンハルトの目がカインを見た。初代聖騎士への敬意を込めた目だった。カインが僅かに息を止めたのを、リーリエは見逃さなかった。


「それじゃ、俺は教会側の記録を洗い直しておく。使えそうな情報があれば持ってくる」


 レオンハルトが書斎を出ていった。靴音が規則正しく廊下に響く。騎士らしい、迷いのない足音だった。


 二人きりになった書斎で、リーリエは羊皮紙の条件を見つめていた。


 三つの条件。どれも途方もなく厳しい。しかし一つずつなら——一つずつなら、解決の糸口は必ずある。


 エルシェは一人で全てを背負った。リーリエは——一人ではない。



 リーリエは深呼吸した。これから語ることの重さを、身体の芯で感じている。歴代聖女たちの声が胸の奥で響いている。「生きたかった」。その声に応えるために——リーリエは口を開いた。


「聖なる炉の分散化。それが——第三の道の正体です」

 それが、五百年分の違いだった。


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