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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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リュカの冒険

 リュカが扉を蹴破るように開けて、言った。


 扉が壁に当たる音が廊下に響き渡り、本棚の上に積もった埃が微かに舞い上がった。


「お嬢、冒険しよう!」


 リーリエは書庫の椅子に座り、本を読んでいた。『諸民族の薬草利用誌』の七章。興味深い内容だった。


「冒険」


「そう! このお城にはまだまだ秘密があるんすよ! 俺が案内するっす!」


 リュカの琥珀色の目がきらきら輝いている。栗色の髪をゆるく結び、袖をまくったいつもの格好。従者というより冒険者の出で立ちだ。


「子供の遊びに付き合う理由がありません」


「えーっ」


 リュカの耳がぴんと立った。半霊族の尖った耳が髪の間から飛び出し、感情をそのまま表している。本人は恥ずかしいらしく、すぐに髪で隠そうとした。


「リュカ、耳が出ています」


「うっ——見なかったことにしてほしいっす」


「見ました」


 リュカが泣きそうな顔をした。


 リーリエは本のしおりを挟んだ。


「……少しだけです」


「やった!」


 リュカがリーリエの手を引いた。温かい手だった。リュカの手はいつも温かい。半霊族の体温は人間より少し高いらしい。


 城の探検が始まった。


 リュカが先導し、リーリエが後ろを歩く。リュカの足取りは軽く、時折振り返ってリーリエの歩調を確認している。城は古い。カインが「ずっと」住んでいるだけあって、増築と改修が繰り返された痕跡がある。廊下の石材の色が場所によって違い、扉のデザインも統一されていない。


「ここ、隠し通路っす!」


 リュカが壁の装飾を押した。がこん、という音とともに壁の一部が回転し、暗い通路が現れた。


「……本当にありますね」


「でしょ! カインおじちゃん——あ、旦那様が昔作ったらしいっすよ。逃げ道とか、秘密の移動経路とか」


 リーリエの指先が壁に触れた。苔の生えた石は冷たく湿っていて、指の腹にざらりとした感触を残した。


「逃げ道を作る魔王とは」


「魔王っていっても色々あるんすよ」


 暗い通路を進む。 足元の石が冷たく、天井が低い。頭上から水滴が落ちて首筋を濡らした。湿った石壁には苔が生え、触れると指先がぬるりとした。リュカが小さな灯りの魔法を掌に灯す。琥珀色の光が壁を照らし、古い石壁に刻まれた紋様が浮かび上がった。


「この紋様は……」


「あ、お嬢わかるっすか?」


「古い防護紋です。侵入者を阻む類の。教会でも似たものを見ました」


「さすがっす、お嬢は物知りっすね」


 通路は城の内部を複雑に巡り、いくつかの部屋に繋がっていた。使われていない客間、古い武器庫、天井の高い広間。どれも埃を被っているが、かつては使われていた形跡がある。


「この城は古いですね」


「そっすよ。カインおじちゃんがずーっと住んでるからね」


「ずっと、というのは」


「うーん……むかしむかし?」


 リュカの曖昧な答えに、リーリエは眉を僅かに寄せた。「むかしむかし」では答えになっていない。しかしリュカの表情から、これ以上は語れないのだと察した。


 武器庫は冷たかった。石壁から染み出す湿気が肌を刺し、鉄と油の匂いが鼻を突く。天井が低く、灯りの魔法が壁の鉄環に反射して、室内を橙色の陰影で満たしていた。古い剣が壁にかけられていた。刃は錆びていないが、柄の革が劣化している。リーリエが足を止め、一振りの剣を見た。


「これは」


「あー、それ旦那様の昔の剣っすよ。今はもう使ってないけど」


「聖騎士の剣に似ています」


「え?」


「教会の聖騎士が使う型に似ています。柄頭の形が」


 リュカが一瞬黙った。それからすぐに「あはは、偶然じゃないすか」と笑って話題を変えた。


 偶然。


 リーリエはそれ以上追及しなかった。けれど記憶には留めた。魔王の城に、聖騎士の剣と同じ型の剣がある。偶然かもしれない。偶然でないかもしれない。


 リュカの耳が微かに伏せていたことを、リーリエは見逃さなかった。嘘をつくとき、この従者の耳は伏せる。今後、覚えておくべき癖だ。


 探検は続いた。螺旋階段を上り、塔の一室に出た。窓から城の全景が見渡せる。


「うわ、いい眺めっすね!」


 リュカが窓辺に駆け寄る。リーリエも後から歩み寄り、窓の外を見た。


 城の中庭、花壇、そしてその向こうに広がる森と草原。遠くに町の屋根が見える。空が広い。教会の地下からは見えなかった空が、ここからは果てしなく広がっている。


「お嬢、楽しい?」


「楽しいかどうかは、わかりません」


「でも来てくれたじゃないっすか」


「付き合わされたんです」


「ほんとに嫌なら来ないでしょ」


 リュカが笑った。太陽のような笑顔。この従者は、いつもこうだ。人の本音を軽々と言い当てる。重い言葉を使わず、軽い声で核心を突く。ヴェルナーの理知とは違う、直感の鋭さ。リーリエは時々、この従者が一番手強いのではないかと思う。


 帰り道、リーリエとリュカが食堂に戻ると、マリカとカインが待っていた。


「どこに行っていた」


 カインの声に、微かな安堵が混じっていた。怒っているのではない。心配していたのだ。


「冒険!」


 リュカが胸を張る。


「……付き合わされました」


 リーリエが淡々と言った。


「楽しかったか」


 カインが聞いた。リーリエは一瞬間を置いて——


「……別に」


 マリカが口元を手で覆った。リーリエの「別に」が嘘であることは、声のトーンでわかった。僅かに——本当に僅かに、頬の筋肉が緩んでいる。


 カインはそれに気づかなかった。しかしマリカは見逃さなかった。


 夕食の席で、リュカが「次はどこ探検するっすか」と聞いた。リーリエは「次はありません」と即答した。


 けれど翌週、リュカが「お嬢、行こ!」と手を引いたとき——リーリエは、本にしおりを挟んだ。


 少しだけ、だ。少しだけ、付き合うだけだ。


 城にはまだ知らない場所がある。今日見た隠し通路の奥に、まだ開けていない扉があった。古い武器庫の隣に、重い錠がかかった部屋があった。壁に刻まれた紋様。聖騎士の剣に似た古い剣。リュカの曖昧な笑い。


 あの錠の向こうに、何があるのだろう。


 好奇心——そう呼ぶには、まだ小さすぎる。けれど確かに、リーリエの中で何かが動いていた。凍った土の下で、種が殻を割ろうとしているような——微かな、けれど止められない動き。


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