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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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改竄の証拠

 五日目の朝。


 書斎のテーブルには、二つの記録が並べられていた。左側に教会の公式記録。右側にカインが五百年かけて集めた独自記録。二つの束の厚さは——独自記録の方が、遥かに分厚い。教会が消した分だけ、カインが拾い上げた。


 リーリエは二つを照らし合わせる作業を、黙々と続けていた。対照表は五枚目に突入している。赤い印が増え続けている。矛盾する箇所。改竄の痕跡。消された人名。書き換えられた日付。


 そして——改竄の全容が、浮かび上がり始めた。


「ここを見てください」


 リーリエが公式記録の一頁を指差した。


「四代目聖女の記録です。公式には『聖暦一八二年、四代目聖女は穏やかに使命を全うし、炉の聖火に還った。その顔には安らかな微笑みが浮かんでいた』と書かれています」


 安らかな微笑み。美しい言葉。聖歌のような響き。


 カインが独自記録を広げた。


「俺が南方の廃修道院で見つけた記録では——四代目聖女の最期はこうだ。『炉の負荷に耐えかね、覚醒から七年目に意識を失う。以後三ヶ月間、意識が戻ることはなかった。侍女が毎日口に水を含ませ、身体を拭いた。炉は聖女の命を自動的に消費し続け、最後は——骨と皮だけの姿で息を引き取った。享年二十二歳』」


 安らかな微笑み。


 骨と皮だけの姿。


 同じ人間の死を描いた二つの記録が——ここまで違う。


「嘘で……塗り固めて……」


 リーリエの声が震えた。拳を握った。昨日よりも——怒りが深い場所にある。


 カインは次の記録を開いた。七代目聖女。


「公式記録——『七代目聖女は信仰深く、自ら進んで炉に身を捧げた。その姿は聖女の鑑と讃えられた』。俺の記録——『七代目聖女は炉への帰還を前に、三日三晩泣き続けた。侍女が記録を残しているが、この侍女は七代目の死後、修道院に送られた。口封じだ。侍女の名はアデーラ。遠方の修道院で八十三歳まで生き、死の直前に修道女に語った。「あの方は泣いていた。けれど最後には笑顔を作った。作ったのです」と』」


 自ら進んで。


 三日三晩泣き続けた。


 笑顔を——作った。


 リーリエの手が、テーブルの上で拳を握った。爪が掌に食い込む。昨日、カインに「布でも握れ」と言われたことを忘れている。



 リーリエは涙を拭い、次の記録に手を伸ばした。もう泣かない。泣くのは後でいい。今は——読む。全てを読む。全ての声を聞く。


 マニュアル。聖女の苦しみを消すための手順書が教会に存在していた。「苦しんで死んだ」を「安らかに使命を全うした」に変換する手順書。

「この改竄は……一人の手によるものではないですね」


「ああ。代々の教会指導者が引き継いできた。組織的で、計画的で、徹底している。日付の操作、人物の消去、死因の書き換え——全て同じ手法だ。マニュアルが存在したと考えるべきだろう。歴代の大司教が、前任者の手法を受け継ぎ、より精緻にしていった」


 マニュアル。


 聖女の苦しみを消すためのマニュアルが——教会に存在していた。どう書き換えるか。どう言い換えるか。「苦しんで死んだ」を「安らかに使命を全うした」に変換する手順書。


 リーリエは次々と照合を続けた。九代目聖女。十代目聖女。十一代目聖女。どの記録にも——同じ構造があった。公式記録では「崇高な犠牲」。実際は——終わらない苦痛、恐怖、絶望、そして死。


 九代目聖女は炉に身を投じる前に、手紙を書いていた。「母上、私を許して」。その手紙は教会に没収された。


 十代目聖女は覚醒から一年で命を落とした。公式記録では「早すぎる召天」と美化されていた。カインの記録では——炉の出力が異常に高く、十代目の身体が耐えきれなかった。教会は結界の増強を急いでおり、聖女の負荷を意図的に上げていた。


「消された五人の聖女だけではなかった」


 リーリエが呟いた。声が低い。怒りが——沈殿するように深い場所にある。


「公式記録に残っている聖女たちの記録も——全て書き換えられている。苦しんだことも、泣いたことも、怖がったことも——全部消されて、『崇高な使命を全うした』に塗り替えられている」


 全員が。


 例外なく。


 十二人の公式記録に名を連ねる聖女たち。消された五人の聖女たち。合わせて十七人以上——全員の記録が、教会によって操作されていた。


 リーリエの目から——涙が落ちた。


 一滴。羊皮紙の上に。古い紙にインクの染みのように広がった。


「この人たちは——二度殺されたんです」


 リーリエの声は低く、硬かった。


「一度目は、命を奪われて。二度目は——声を奪われて。苦しかったという声を、怖かったという声を、生きたかったという声を——全部消されて、嘘で上書きされた」


 カインは何も言わなかった。


 その涙は恥じるものではなかった。歴代聖女たちのために流す涙は、正しい涙だ。リーリエはそう信じた。


 ただ——リーリエの肩に、手を置いた。


 言葉ではなく、触れることで支える。それはかつて——リーリエがカインにしたことと同じだった。あの日、カインの過去が明かされたとき、リーリエはカインの拳に手を重ねた。何も言わず、ただそこにいた。


 今——カインがリーリエにそれを返している。


 リーリエは涙を拭わなかった。拭う必要がなかった。この涙は——恥じるものではない。歴代聖女たちのために流す涙は——正しい涙だ。


「カインさん」


「……何だ」


「あなたが五百年かけてこの記録を集めてくれたから——この人たちの声が、消えずに残りました」


 カインの手が——リーリエの肩の上で、微かに震えた。


「五百年間、一人で——ずっと、この人たちの声を守っていたんですね」


 カインの目が——揺れた。深紅の瞳に、蝋燭の炎のような光が宿った。


「……俺は間に合わなかった。一人も——救えなかった」


「でも、記録を遺してくれた。声を消させなかった。それは——救いではないかもしれないけれど、意味のあることです」


 リーリエの手が、カインの手の上に重なった。肩に置かれた大きな手に、小さな手が触れた。


 改竄の証拠は全て揃った。しかし——改竄は記録だけではなかった。


「カインさん。この記録の中に——教会内部から声を上げた人の記録はありますか」


 カインの表情が——暗くなった。



 カインの手がリーリエの肩に置かれていた。大きな手。温かい手。記録の冷たさと、この手の温もりの落差が——リーリエの目から、もう一滴の涙をこぼさせた。


 歴代聖女たちの記録が全て揃った。改竄の証拠。粛清の記録。消された五人の聖女。書き換えられた十七人以上の記録。五百年にわたる組織的暴力の全容が——今、テーブルの上に広げられている。

「ある。だが——それは、もっと重い」


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