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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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裏切り者の烙印

 追放の話は——翌夜、語られた。


 書斎のいつもの席。暖炉の火。温かい飲み物。三日目となった夜の語りには、もう儀式のような静けさが伴っていた。


 カインは語り始めた。


「炉に火が入った後——世界は救われた。結界が広がり、災厄は外に追い出され、空の裂け目は閉じた。人々は歓声を上げ、街に光が戻った」


 世界の救済。歴史に刻まれる奇跡。


 だがカインにとって、それは——何の意味もなかった。


「俺は炉の前から動けなかった。何日も。何日も——あの場所に座って、燃える炉を見つめていた」


 炉の中で白い炎が揺れている。エルシェの命が形を変えた炎。穏やかで、温かくて、優しい。


 カインはその炎に手を伸ばした。何度も。指先が炎に触れると熱が走るが、構わなかった。エルシェの残り香を探すように、炉の縁に寄りかかっていた。


 やがて——教会の前身組織が動いた。


「エルシェの犠牲は——教会にとって、聖女制度の基盤になった」


 カインの声に、苦い怒りが滲んだ。


「一人の命で世界を守れる。なんと崇高な犠牲か。聖女の使命はなんと気高いことか。——教会はそう語り始めた。エルシェの死を、美しい物語に仕立て上げた」


 聖女の崇高な犠牲。世界を救った聖なる殉教。教会はその物語を人々に広め、聖女制度を正当化し始めた。


 だが——カインがいた。


 カインは炉の前で叫んでいた。「これは犠牲じゃない、殺人だ」と。「他に方法があったはずだ」と。聖女の死を止めようとした聖騎士。教会にとって——それは、不都合な存在だった。


「聖女の犠牲を崇高なものにするためには——止めようとした男は、悪でなければならなかった」


 教会の前身組織は、カインを審判にかけた。


 裁きの場は大聖堂の地下。かつてカインが聖騎士の誓いを立てた場所。今は——裁かれる者として、鎖につながれて立っている。


 審判官が罪状を読み上げた。


「聖騎士カイン・ヴェルトール。聖女エルシェの崇高なる使命を妨害せんとした罪。聖なる炉の儀式を汚さんとした罪。聖女の犠牲を冒涜する不敬の罪。——以上三罪により、聖騎士の称号を剥奪し、永久追放とする」


「崇高だと?」


 カインの声が大聖堂に響いた。


「あれは殺人だ! 一人の少女の命を燃やして世界を守ることが崇高か! 他に方法があったはずだ! 時間さえあれば——」


「黙れ、背教者」


 審判官の声が遮った。


「聖女は自らの意志で命を捧げた。その崇高な意志を汚す者に、この場で語る権利はない」


 カインは叫び続けた。だが聞く者はいなかった。


 列席者たちは——目を背けていた。かつての騎士団の仲間たち。共に訓練し、共に戦い、共に酒を酌み交わした者たち。誰一人として、カインの目を見なかった。


 彼らが悪いわけではない——とカインは、語りの中で言った。


「あいつらにも家族がいる。教会に逆らえば、生きていけない。俺を庇えば、自分たちも追放される。わかっていた。わかっていたから——恨まなかった」


 だがその日——カインは全てを失った。


 聖騎士の称号。仲間。居場所。名前。


「魔王」の汚名が着せられたのは、追放の数日後だった。


「教会はさらに踏み込んだ。俺を追放するだけでは足りなかった。『聖女の犠牲を止めようとした男』の存在自体が、制度を揺るがす。だから——存在を塗り替えた」


 歴史書が書き換えられた。


 初代聖騎士カイン・ヴェルトールの名は消され、別の人物にすり替えられた。カインは「聖なる力を妬み、闇に堕ちた裏切りの騎士」として——やがて「魔王」として、歴史に刻まれた。


「伝承を聞いたことがあるだろう」


 カインの声がリーリエに向けられた。


「初代聖騎士の話。レオンハルトが語っていた——聖女を護った偉大な騎士の伝説を」


 リーリエは頷いた。


「あの伝承の『初代聖騎士』——それが俺だ」


 言葉が、書斎に沈んだ。


 リーリエは目を閉じた。


 伝承の全てが——繋がった。


 リーリエは拳を膝の上で握りしめた。静かな、深い場所から湧き上がる、熱い感情。教会への怒り。聖女制度への怒り。カインを追放した者たちへの。


 レオンハルトが敬意を込めて語った初代聖騎士。歴史に名を残す偉大な騎士——だがその名前は教会によって消され、別の人間にすり替えられていた。本当の初代聖騎士は——目の前にいる。「魔王」と呼ばれる男。


「……ひどい話ですね」


 リーリエの声は——静かだった。怒りを抑えた声。


「あなたは——聖女を守ろうとしただけなのに」


「教会にとっては、それが罪だった。制度を正当化するには、反対者が必要だ。——悪役が」


 カインの声は乾いていた。五百年前の怒りは、もう枯れている。


「魔王の汚名を着せられ、城壁の外に追い出された。持っていたのは、剣一本と——エルシェが遺した研究の断片だけだった」


 追放の日。


 城壁の外にカインが立ったとき——振り返ると、城門は既に閉じられていた。


 誰もいない。誰もカインを見送らなかった。


 ——いや。


 一人だけ。


 城壁の上に——老兵が立っていた。白髪の、痩せた老人。騎士団の下士官。名前は覚えていない——だが、訓練場でカインに木剣の握り方を教えてくれた人だった。


 老兵は何も言わなかった。ただ——城壁の上から、深く頭を下げた。


 それだけだった。


 それだけが——カインに残された、最後の人間の温もりだった。


「……そうして俺は、一人になった」


 最後の言葉が、書斎の空気に沈んでいった。水底に沈む石のように。重く、静かに、どこまでも深く。


 カインの語りが終わった。


 書斎に沈黙が降りた。


 リーリエは長椅子の上で手を組み、目を伏せていた。


 怒りがあった。教会への怒り。聖女制度への怒り。カインを追放し、歴史を改竄した者たちへの怒り。


 だが——それ以上に。


 カインの孤独が——痛かった。


 五百年。一人で。名前も奪われ、悪役にされ、それでも——エルシェの遺言だけを胸に、歩き続けた。


「カインさん」


「何だ」


「もう——一人じゃないです」


 リーリエの声は——震えていた。


 穏やかなはずの声が、わずかに——震えていた。感情が凍結しているはずのリーリエの声が。


「あなたはもう、一人じゃないです。——私が、ここにいますから」


 カインは——リーリエを見た。


 銀灰色の髪。薄い青紫の瞳。穏やかな顔。けれど——その目に、光が宿っている。虚ろではない。確かな光が。


 カインの唇が動いた。何かを言おうとして——言葉にならなかった。


 代わりに——小さく、頷いた。



 暖炉の火が、静かに揺れていた。

 暖炉の火が、静かに燃えていた。


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