別の方法
カインの懇願は——一晩中続いた。
研究室の蝋燭は何度も燃え尽き、何度も取り替えられた。窓の外では夜が深まり、やがて空が白み始めた。その間ずっど——カインは言葉を絞り出し続けた。
「待ってくれ。時間をくれ。俺が別の方法を見つける」
「他の燃料を探す。お前の命以外の——何か別の力で炉を動かす方法があるはずだ」
「頼む。一月でいい。いや、半月でいい。俺に時間を——」
カインの声は必死だった。聖騎士としての誇りも、騎士としての矜持も、全て投げ捨てて——ただ一人の少女に、死なないでくれと懇願していた。
エルシェは——黙って聞いていた。
カインの言葉を遮らず、否定せず。ただ翠色の瞳で、必死に言葉を紡ぐ騎士を見つめていた。
やがて——カインの言葉が尽きた。
喉が枯れ、声が掠れ、もう言葉が出てこない。テーブルの上に拳を置いて、項垂れていた。
エルシェが——口を開いた。
「カインさん。——ね、聞いて」
穏やかな声。夜更けの研究室に、静かに響く。
「私もね、別の方法があると思っているの」
カインが顔を上げた。
「……何だと?」
「炉の燃料は、一人の強い炎でなくてもいい。万の小さな灯火でも——炉は動くはずなの」
エルシェの目が——輝いた。知性の光。理論の確信。
「一人の命を燃やすのではなく、世界中の人々から少しずつ力を集めて、それを燃料にする。分散型の燃料供給。理論的には可能よ。人と魔族の祈り、生命の営み、世界そのものの息吹——そういうものを集めて、炉に注ぐ仕組み」
「なら——それを——」
「でも」
エルシェの声が——止まった。
「今はそれを形にする時間がない」
その一言が、全てだった。
理論はある。可能性はある。だが実装するには——何年もかかる。設計を完成させ、炉を改造し、世界中に分散型の供給網を構築する。それには膨大な時間が必要で——世界は今日にも崩壊しようとしている。
「半月では足りないの。一年でも足りない。少なくとも数十年——」
「数十年」
カインの声が掠れた。
「その間に——何百万が死ぬ」
「ええ」
エルシェの手がカインの拳を包んだとき、その指先は冷たかった。力を使い果たした身体は、もう温もりを保てなくなっていた。
エルシェの声は静かだった。
「だから——今は、私の命で炉を動かす。結界を張って、災厄を外に追い出して、世界を安定させる。その後で——」
「その後? お前は死んでいるだろう!」
「だからあなたが探すの」
エルシェの翠色の瞳が——カインを真っ直ぐに捉えた。
「私の命で炉を動かしても、結界は永遠には持たない。いつか燃料が尽きれば、また新しい聖女が必要になる。でも——分散型の方法が見つかれば、誰も命を捧げなくていい」
エルシェはテーブルの上の羊皮紙を引き寄せた。新しい図面。分散型燃料の理論が——断片的に、しかし確かに記されている。
「これが手がかり。まだ完成していないけれど——あなたなら見つけてくれると信じている」
「俺が? 俺は剣しか振れない——」
「カインさん」
エルシェが微笑んだ。
「あなたは——私が知っている中で、一番粘り強い人よ。諦めない人。折れない人。だから——あなたに託すの」
カインは——言葉を失った。
「別の方法を見つけて。私の後に続く聖女が、同じ運命を辿らないように。——約束して」
「約束なんか——そんなことより、お前が——」
「約束して、カイン」
エルシェが——初めて、カインの名を呼び捨てにした。
その声は、研究室の冷えた空気を切り裂くように響いた。蝋燭の炎が揺れ、二人の影が壁の上で大きく動いた。
「カインさん」でも、「騎士さん」でもなく。ただの——カイン。護衛対象でも聖騎士でもなく、一人の人間として。距離を保っていた呼び方が——最後の最後で、崩れた。
その声が、カインの胸を貫いた。
出会ってからずっと「騎士さん」だった。護衛に任命されてからは「カインさん」。敬意と距離を含んだ呼び方。それが今——ただの名前になった。
「……エルシェ」
「待って、まだ言い終わってないの」
エルシェの瞳が潤んでいた。砂時計の砂が落ちるように、残り時間が減っていく。それを知っているからこそ、エルシェは急いだ。
エルシェは微笑んだ。泣きそうな顔で——微笑んだ。
「毎日、何千人が死んでいるの。私が一日待つたびに、その人たちの明日がなくなる」
エルシェの声が——震えた。初めて。穏やかで理知的な少女の声が、感情に揺れた。
「——ごめんね、カイン」
その一言に込められた全てを、カインは受け取った。
ごめんね。待てなくて。あなたを置いていくことになって。あなたに重荷を背負わせることになって。——ごめんね。
カインは——声が出なかった。
五百年後の書斎で。
カインの語りは——静かだった。
「あの夜——エルシェは俺の名前を、初めて呼び捨てにした」
低い声。乾いた声。けれどその奥に、五百年分の痛みが堆積している。
「いつもは『カインさん』で、任命式の前は『騎士さん』だった。最後の最後で——ただの『カイン』になった」
リーリエは黙って聞いていた。
胸が痛かった。リーリエ自身の胸が、エルシェの言葉の重さに——痛んでいた。
エルシェの気持ちがわかる。わかってしまう。
命を捧げるしかないと知っている者の、静かな覚悟。待てないという焦り。残していく者への、罪悪感と愛情が入り混じった「ごめんね」。
それは——リーリエ自身が、崖の上に立ったときの気持ちと、どこかで重なっていた。
「カインさん」
「……何だ」
「エルシェさんは——あなたに、未来を託したんですね」
カインは——長い沈黙の後、頷いた。
「ああ。託された。……だから俺は、五百年探し続けた。まだ——見つけていないが」
「見つかります」
リーリエの声は——静かだった。けれど、確かだった。
「エルシェさんが信じたあなたなら。——きっと」
カインの深紅の瞳が——揺れた。
リーリエの言葉が、エルシェの言葉と重なる。「あなたなら見つけてくれる」。五百年の時を超えて、同じ信頼が——カインに向けられている。
カインは目を閉じた。
リーリエは自分の胸に手を当てた。紋章が鈍く疼いている。
エルシェの信頼。カインへの託し。「あなたなら見つけてくれる」。
その信頼を——五百年間、カインは裏切らなかった。見つからなくても。何度挫折しても。探し続けた。
リーリエには——それがどれほどの重さか、わかる。
「……続きを話す。次は——」
声が低くなった。
「止められなかった話だ」




