従者たちの秘密会議
発端はマリカの一言だった。
「聖女様の笑顔、見たくありませんか?」
昼下がり、リーリエが書庫で読書をしている間に、マリカは従者たちを厨房に集めた。テーブルを囲むのはリュカ、フィル、そして数名の小魔族の従者たち。ヴェルナーだけが壁際に立ち、腕を組んでいた。
「見たいっす! お嬢が笑ってるとこ、まだ一回も見たことないっす」
リュカが手を挙げる。フィルが「お姉ちゃんわらうの?」と不思議そうに首を傾げた。
「笑うんです。きっと。笑えるようになるんです」
マリカの目が燃えていた。赤毛の三つ編みが意志の強さを物語っている。
「というわけで——『聖女様の笑顔プロジェクト』、発足します!」
「名前がそのままっすね」
「わかりやすいのが一番です。ヴェルナーさん、記録をお願いしますね」
ヴェルナーが眼鏡の位置を直した。
「くだらない」
そう言いながら、ペンとメモ帳を取り出している。
「まず聖女様の好みを把握する必要があります。好きな食べ物、好きな花、好きな色——何でもいいので、情報を集めてください」
「了解っす! じゃあ俺は食べ物担当!」
「フィルはお花しらべる!」
「私は書庫での読書傾向を観察します」
マリカが振り返った。ヴェルナーが——記録係のはずなのに、自主的に担当を申告していた。
「ヴェルナーさん、乗り気ですね」
「情報収集は基本動作です。個人的な感情は関係ありません」
リュカが「嘘つけ」と小声で呟いた。
翌日から作戦が始まった。
まずリュカが動いた。朝食に、いつもより甘いパンを出す。蜂蜜をたっぷりかけた焼き菓子を添えて。リーリエの前に皿を置き、さりげなく反応を窺う。
リーリエは焼き菓子を一口食べた。
「……甘いですね」
「甘いの好きっすか?」
「好きでも嫌いでもありません」
リュカが肩を落とした。
次にフィルが来た。両手いっぱいの花束——というより、庭からむしってきた花の塊を、リーリエの膝に置いた。
「お姉ちゃん、お花!」
「……ありがとう。でもこれ、根ごと抜いてきていますね」
「えへへ」
「笑い事ではありません。植え直してきてください」
「はーい」
フィルが走っていった。花はリーリエの膝に残されたまま。リーリエは黙ってそれを見つめ、土のついた茎を丁寧に整えた。
昼過ぎ、別の従者が歌を歌い始めた。リーリエが廊下を歩いていると、突然壁の影から従者が現れ、朗々と民謡を歌い出した。
「やめてください」
一曲も持たなかった。
その後も攻勢は続いた。手編みのマフラーを持ってくる者、小さな木彫りの人形を差し出す者、リーリエの好きそうな本を探して回る者。従者たちは代わる代わるリーリエに接触し、笑顔を引き出そうと奮闘した。
リーリエは一つひとつに「結構です」「不要です」「気持ちだけいただきます」と返した。表情は変わらない。穏やかで、淡々としている。
けれど——声のトーンが、以前とは違っていた。
城に来たばかりの頃のリーリエなら、従者たちの行動に反応すらしなかっただろう。目を向けず、声を出さず、ただそこに存在しているだけだった。
今は違う。「結構です」と言葉を返している。相手を見て、受け取って、断っている。それだけで——会話として成立している。
夕方、マリカが茶を持ってリーリエの元を訪れた。
「聖女様、今日は従者たちが賑やかで申し訳ありません」
「……ええ、賑やかでしたね」
リーリエが茶を受け取り、一口飲んだ。そしてマリカを見た。薄い青紫の瞳が、マリカの目をまっすぐに見ている。
「何か企んでいますね」
マリカの手が震えた。
「えっ——ば、バレましたか」
「従者の方々が不自然に親切です」
「不自然、ですか……」
「普段から親切ですが、今日は度を超えています。歌い出す方までいましたから」
マリカが顔を赤くした。
「あれは……ちょっと、やりすぎでしたね」
「ええ。やりすぎでした」
「申し訳ありません。実はその……聖女様のことをもっと知りたくて」
リーリエは茶碗を両手で包んだ。温かい。
「知ってどうするのですか」
「聖女様に、居心地よく過ごしていただきたいんです」
「十分です」
マリカが目を見開いた。
「十分?」
「この城は——十分、居心地が良いです。過剰なことをしていただく必要はありません」
マリカの目に涙が浮かんだ。リーリエは気づかず、茶を飲み続けている。
「……聖女様は」
「何ですか」
「鋭いですね」
「聖女は観察力が必要ですから。結界の異常を感知するために、周囲の変化に敏感でなくてはなりません」
教会で叩き込まれた能力だった。しかし今、その観察力は従者たちの善意を見抜くことに使われている。
その夜、マリカは再び従者たちを集めた。
「報告します。笑顔プロジェクト、結果は——」
「失敗っすよね」
リュカが頭を抱えた。マリカは首を振った。
「いいえ。大成功です」
「え?」
「聖女様は『普段から親切です』とおっしゃいました」
沈黙。
ヴェルナーがメモ帳にペンを走らせた。
「聖女殿が我々の親切を『認識している』ということですな。以前は周囲に無関心でいらっしゃった。それが『普段から親切』と評価なさるまでになった」
「つまり——」
「お嬢、ちゃんと俺たちのこと見てたってこと……?」
リュカの声が掠れた。マリカが笑顔で頷いた。
「見ていてくださったんです。ずっと」
フィルが「お姉ちゃんすごい!」と叫んだ。意味はわかっていないが、雰囲気で盛り上がっている。
ヴェルナーがメモ帳を閉じた。その表情は変わらない。しかし眼鏡を外して磨く仕草が——少しだけ、丁寧だった。
「次回の作戦を練りましょう」
「え、まだやるんすか」
「当然です。笑顔はまだ見ていません」
マリカの目が再び燃えた。従者たちが苦笑しながら頷く。
リーリエの部屋では、フィルがむしってきた花が、小さな瓶に活けられていた。誰が活けたのかはわからない。リーリエは窓辺に置かれたその花を一瞥し、それから——視線をそこに留めた。
数秒間。
それから何事もなかったように目を閉じた。




