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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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共闘

 扉の前に——二人が立った。


 レオンハルトが鍵を差し込む。古い錠が軋んで回る。扉には聖術の封印が重ねがけされている。紋章が青白く光り、侵入者を拒んでいる。


「封印は俺が壊す。退け」


 カインがレオンハルトの前に出た。左手を封印に向けて翳す。魔力が掌に集中し、空気が歪む。カインの深紅の瞳に金色の光が混じった。


 封印が——悲鳴を上げた。


 青白い光が激しく明滅し、紋章が次々と砕け散る。五百年の魔力が封印を力ずくでこじ開ける。教会の術式は精緻だったが、カインの力の前には——紙と変わらなかった。


 最後の封印が砕けた。


 扉が——開いた。


 暗い部屋の中に、光が差し込む。冷たい地下の空気に、石の粉塵と聖術の残滓が混じっていた。


 壁にもたれて座っている少女が——いた。


 銀灰色の髪が乱れている。肌は透けるように白い。唇の色が淡い。目の下に隈ができている。身体が痩せた。数日間の炉の消耗が、目に見える形で身体を蝕んでいた。


 リーリエが——顔を上げた。


 薄い青紫の瞳が、光の中に立つ人影を捉えた。


 黒い外套。黒い髪。深紅の瞳。


「……カイン、さん」


 声が——掠れていた。喉が乾いている。力が残っていない。けれどその声に——安堵が、溢れていた。


 カインが——動いた。


 一歩。二歩。三歩で部屋に踏み込み、リーリエの前に膝をついた。大きな手がリーリエの顔に触れた。頬に。額に。「熱はないか」「どこか痛いか」「いつから食べていない」。


 言葉が——溢れた。いつもは寡黙な男の口から、質問が止まらない。


 リーリエは——笑った。


 力のない笑みだった。けれど目が——笑っていた。かつては決して目に感情が宿らなかった少女の目が、今——笑っている。


「……迎えに来た」


 カインが言った。声が——震えていた。


 リーリエは何度も頷いた。声が出なかった。涙が先に出た。カインの手に頬を預けて、泣いた。声も出さずに。ただ涙だけが、とめどなく流れた。


 カインの手がリーリエの背中に回った。大きな手が、骨が浮き出た背を支える。リーリエの体温は低かった。氷のように冷たい身体。それでも——心臓は動いている。カインの掌に、微かな鼓動が伝わった。


 カインはリーリエの肩に手を回し、立ち上がった。リーリエを軽々と抱き上げる。身体が軽い。軽すぎる。数日間の消耗で、リーリエの体重が目に見えて減っていた。


 リーリエはカインの胸に顔を埋めた。黒い外套が涙で濡れていく。


「帰ろう」


 カインが言った。短い言葉。けれどリーリエが一番聞きたかった言葉。


 扉の外で、レオンハルトが通路を見張っていた。カインがリーリエを抱えて出てくるのを見て、短く頷いた。


「脱出路はこっちだ。地下通路に抜け道がある」


 レオンハルトが先導した。カインがリーリエを抱えて続く。


 通路に出た瞬間——足音が聞こえた。前方から。教会の兵士たちが駆けつけてきている。大司教が「通す」と言ったが、末端の兵士にまでは命令が行き届いていなかったらしい。


「団長——何をしているのだ!」


 兵士の一人がレオンハルトを見て叫んだ。聖騎士団長が魔王と一緒に、聖女を連れ出そうとしている。裏切りだ。


 レオンハルトは——剣を抜いた。


 白銀の剣。聖騎士の証。教会から授けられた、信仰の象徴。


 レオンハルトはその剣を——教会の兵士に向けた。


「大司教。あなたに剣を向ける日が来るとは思わなかった」


 大司教はここにいない。けれどレオンハルトは——教会そのものに向けて言った。この制度に。この嘘に。この五百年の欺瞞に。


「道を開けろ」


 レオンハルトが命じた。団長としての最後の命令。


 兵士たちが——動揺した。団長が裏切った。信じていた上官が。


 その隙に、カインが動いた。


 リーリエを左腕に抱え、右手の剣で前方の兵士たちを薙ぎ払う。峰打ち。一撃で三人が崩れる。レオンハルトが背後から迫る追手を受け止め、二人で通路を突破する。


 カインの剣とレオンハルトの剣が——並んだ。


 初代聖騎士の剣と、現在の聖騎士の剣。五百年の時を隔てた二つの剣が、同じ目的のために振るわれている。


「聖女を守る」


 その一点で——二人は繋がっていた。


 通路を抜けた。階段を駆け上がった。城塞の地上に出た。


 外は——夕暮れだった。


 光が眩しかった。地下の闇に慣れた目に、夕暮れの光が刃のように突き刺さった。風が吹いた。冷たく、けれど新鮮な風。地下の澱んだ空気とは全く違う、生きている風。リーリエがカインの胸に顔を埋めたまま、深く息を吸った。


 空が橙に染まっている。教会の城塞の白い壁が夕日で赤く染まっている。門は砕けたままだ。カインが来たときに壊した門。


 カインはリーリエを抱えたまま、門を越えた。レオンハルトが殿を務め、追ってくる兵士を退けた。


 城塞を出た。


 山道を走る。カインの足は速い。リーリエを抱えていても速度が落ちない。五百年の身体能力が、人間の限界を超えている。


 レオンハルトが必死についていく。鎧が重い。息が上がる。けれど——止まらない。


 背後の城塞が、遠ざかっていく。


 リーリエはカインの胸の中で、目を閉じていた。揺れが心地よい。カインの心臓の音が聞こえる。速い鼓動。走っているから——それだけではない。


 カインも——怖かったのだ。


 間に合わなかったら、と。また失うことになったら、と。


 その恐怖が——鼓動に表れている。


「……カインさん」


「喋るな。体力を温存しろ」


「……ありがとう、ございます」


「礼はいい。——帰るぞ」


 帰る。


 あの場所に。


 リーリエの涙が——カインの外套に、また一筋落ちた。


 外套の黒い布地に、涙の染みが広がっていく。カインの匂いがした。剣の鉄と、冬の風と、微かな汗の匂い。この匂いを覚えている。魔王城の廊下ですれ違うたびに感じた匂い。この匂いの中にいると——安心する。身体の力が抜ける。何日分もの緊張が、一度に解けていく。戦場を越えてきた匂い。門を砕き、聖騎士を倒し、地下まで降りてきた男の匂い。


 レオンハルトが少し離れた場所で、目を逸らしていた。聖騎士の男の横顔に——安堵と、決意と、ほんの少しの寂しさが混じっていた。


 リーリエはカインの外套を握りしめた。指先に力が戻り始めている。紋章の脈動が穏やかになっていく。炉から離れるほどに、身体が自分のものに戻っていく。足の感覚。手の感覚。呼吸の深さ。一つずつ、取り戻していく。炉から離れたことで、紋章の拘束が急速に弱まっていた。


 立てる。歩ける。——帰れる。


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