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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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あの剣技は……

 回廊に、意識が戻り始めていた。


 カインに倒された聖騎士たちが、一人、また一人と目を覚ます。鎧が軋む音。呻き声。地面に手をつき、身体を起こす音。


 上位騎士の一人——先ほど最後まで剣を構えていた左の騎士が、壁に手をついて立ち上がった。鳩尾を打たれた箇所が鈍く痛む。けれど骨は折れていない。内臓にも損傷はない。意識を断つだけの、正確な一撃だった。


「……やられた」


 隣で中央の騎士が肩を押さえながら起き上がる。


「何だ、あの男は……」


「魔王カインだ。噂以上だ。いや——噂とは、全く違った」


 左の騎士は壁にもたれたまま、カインが去った回廊の先を見つめた。


「あの剣は——」


 口にするのが憚られた。けれど言わずにはいられなかった。


「あの剣は——教範の原型だ」


 中央の騎士の眉が寄った。「どういう意味だ」


「そのままの意味だ。俺たちが修練してきた型の——元になった型。教範には『初代聖騎士が創始した剣技を、弟子が記録した』とある。あの男の剣は——教範に載っている技よりも上手い。教範よりも滑らかで、教範よりも正確だ。まるで——」


「まるで?」


「まるで——教範を書いた者ではなく、教範の元になった剣を使っていた者の——剣そのものだ」


 沈黙が落ちた。


 二人の騎士が顔を見合わせた。


「……それは——初代聖騎士、本人の剣だということか」


「俺にもわからん。だが——あの足運び。あの間合い。三聖撃を一歩で躱した動き。教範のどこにも載っていない。載っていないのに——教範の全ての型の基盤になっている動き。型を知っている者ではなく——型を創った者の動き」


 中央の騎士が唾を飲んだ。


「しかし初代聖騎士は五百年前の人間だ。生きているはずがない」


「……魔王カインは、何百年も生きていると言われている」


 再び、沈黙。


 その沈黙の中で、右の騎士が——起き上がった。額を柄頭で打たれた箇所が腫れている。けれど眼は覚めていた。二人の会話を——聞いていたらしい。


「あの男は——俺たちを殺さなかった」


 右の騎士が言った。


「三人を相手にして、一人も殺さなかった。殺せたはずだ。いつでも。何度でも。あの力なら——殺す方が楽だったはずだ。それでも殺さなかった」


 三人が——黙った。


 魔王は殺さなかった。教会が「人類の敵」と呼ぶ男は、教会の騎士を一人も殺さなかった。


 右の騎士が無意識に自分の剣を見下ろした。柄に刻まれた教会の紋章。その紋章が——今この瞬間、ずしりと重く感じられた。


 何かが——噛み合わない。


 教会の教えでは、魔王は堕落した悪。人を殺し、世界を破壊する存在。けれど目の前で剣を交えた男は——殺さなかった。聖騎士の剣を使い、一人も殺さず、ただ先へ進んだ。


「……報告しなければ」


 左の騎士が呟いた。


「団長に——レオンハルト団長に報告しなければ」


 三人は足を引きずりながら、城塞の奥へ向かった。


 レオンハルト・クレーフェの居室に報告が届いたのは、それから十分後のことだった。


 レオンハルトは机に向かっていた。教会からの命令書を読み返していた。「聖女の安全を確保せよ」——大司教からの命令。表向きは聖女の保護。実態は——聖女の監禁。


 扉が叩かれ、部下が入ってきた。息を切らして。


「団長。魔王カインが単身で城塞に侵入しました」


「知っている。警報は聞いた」


「それだけではありません。魔王が——初代聖騎士の剣技を使っています」


 レオンハルトの手が——止まった。


 命令書を持つ指が、微かに震えた。


「……何だと」


「上位騎士三人が交戦しましたが、全員倒されました。致命傷はありません。魔王は一人も殺していません。そして——剣技が、教範の原型だと。初代聖騎士が創始した型の、完成形だと」


 レオンハルトは立ち上がった。


 初代聖騎士。


 レオンハルトが幼い頃から敬い、憧れ、理想とした存在。「初代聖騎士のように聖女を守る騎士になる」——それがレオンハルトの原点だった。聖騎士団に入団した理由。団長にまで昇りつめた動力。


 その初代聖騎士の剣を——「魔王」が使っている。


「……まさか」


 レオンハルトの手が——机の端を掴んだ。指が白くなるほどの力で。頭の中で、これまで信じてきた全ての前提が音を立てて崩れていく。


 レオンハルトの琥珀色の瞳が揺れた。


 五百年前、初代聖騎士は教会から追放された。「聖女の犠牲を否定した不敬者」として。教会の記録では「堕落して魔に堕ちた騎士」とされている。


 堕落して——魔に。


 魔王に。


「まさか——魔王カインは……初代聖騎士、なのか」


 声にならない呟き。部下には聞こえなかっただろう。


 レオンハルトは窓の外を見た。城塞の中が騒がしい。兵士たちが走り回り、鐘が鳴り続けている。その騒ぎの中心を——一人の男が、止められることなく進んでいる。


 初代聖騎士の剣を持ち、聖女を取り戻すために。


 レオンハルトの手が——剣帯に触れた。


 騎士として——何を選ぶべきか。


 窓の外で雪がちらつき始めていた。白い結晶が冬の風に舞い、城塞の石壁を掠めていく。冷たい空気が肺の奥まで沁みる。


 その問いが、レオンハルトの胸の中で、嵐のように渦巻いていた。


 回廊の窓から、空が見えた。冬の空。雲が低く垂れ込め、今にも雪が降りそうだった。城塞の中庭では、まだ混乱が続いている。「魔王が侵入した」という報せが城内を駆け巡り、兵士たちが右往左往している。


 しかしレオンハルトの耳には——別の声が届いていた。


 リーリエの声。交渉の天幕で聞いた声。「私は人間です」と言った声。あの声には——教会にいた頃にはなかった力があった。自分の足で立ち、自分の言葉で語る少女の声。


 そしてカインの剣。回廊で見た剣技。聖騎士の原型。殺さずに倒す剣。あの剣は——初代聖騎士の伝承そのものだった。


 全てが——繋がった。パズルの最後の一片がはまるように、一瞬で全体像が見えた。


 カインの正体。聖女制度の真実。教会の嘘。五百年の歴史の裏側。レオンハルトが半生を捧げてきた「正義」の土台が、根元から腐っていた。


 レオンハルトは立ち上がった。膝はもう震えていなかった。


 剣帯に手をかけ、教会の紋章に指を当てた。冷たい金属。長年身に着けてきた紋章。


 ——聖女を守る。


 胸の紋章に触れた指先が、微かに震えていた。けれどその震えは——恐怖ではなく、決意の震えだった。


 それが騎士の誓いだ。教会への忠誠ではない。聖女を守ること。それだけが——変わらない誓い。


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