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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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聖騎士の剣

 剣が——歌っていた。


 カインの剣は、魔王のそれではなかった。


 教会の回廊で、上位騎士三人と対峙する。彼らは教会最精鋭の剣士だ。何年も修練を積み、実戦を経験し、聖術の祝福で身体を強化した騎士の頂点。


 カインの一手目——右からの横薙ぎ。中央の騎士が剣で受ける。重い。鍔迫り合いになる——と思った瞬間、カインの剣が水のように滑り、騎士の手首を撫でた。剣が弾かれる。騎士の手が痺れる。


 左の騎士が突きを放つ。カインが身体を半歩ずらし、突きをかわす。同時に足が動く。精緻な足運び。左足を軸にして身体を回転させ、左の騎士の側面に回り込む。教範に載っている「流転の歩法」——の完成形。教範よりも滑らかで、教範よりも速い。


 右の騎士が上段から振り下ろす。カインが剣を上げて受ける。金属音。火花が散る。カインの足が——一歩、踏み込んだ。鍔迫り合いの中で、一歩。


 床の石畳にひびが走った。鍔迫り合いの衝撃が回廊の壁を揺らし、ステンドグラスがびりびりと共鳴した。


 その一歩が、全てを決めた。


 距離が縮まったことで、右の騎士は大振りの剣を振り回せなくなった。近接戦に持ち込まれた。カインの左手が騎士の鎧の胸当てを掴み、引き寄せて——額を打った。柄頭で。的確に。


 右の騎士が崩れた。


 残る二人。中央と左。


 中央の騎士が気合いとともに連撃を放った。上段、中段、下段。三連撃。教会の正式な型——「三聖撃」。聖騎士団の基本にして最も実用的な連撃。


 カインは——三撃全てを、一歩の動きで躱した。


 中央の騎士の目が見開かれた。


「馬鹿な——三聖撃を避ける動きなど、教範のどこにも——」


「ないだろうな」


 カインが初めて口を開いた。声は低く、平坦だった。


「教範を書いたのは俺じゃない。俺の弟子が書いた。弟子は天才だったが——それでも、全ては伝えきれなかった」


 中央の騎士の顔が——凍りついた。


 教範を書いた者。初代聖騎士の弟子。聖騎士団の教範は、初代聖騎士の技を弟子が記録したものだと伝承されている。


 カインはそれ以上語らなかった。語る必要がなかった。五百年間、一度も名乗ることなく生きてきた。名前を捨て、過去を封じ、「魔王」という虚名だけを纏ってきた。今さら正体を明かしたところで——何が変わるわけでもない。


 踏み込んだ。流水のような連撃。一手。二手。三手。四手——。


 剣と剣が噛み合い、弾かれ、また噛み合う。金属の悲鳴が回廊に反響し、壁の紋章を振動させた。火花が散るたびに、二人の騎士の表情が一瞬だけ照らし出される。驚愕。畏怖。そして——何かへの理解が、少しずつ浮かんでいた。


 カインの剣技には力任せの一振りがない。全ての動作が、次の動作への布石になっている。一太刀が一太刀で完結せず、流れの中の一瞬として存在する。


 それは——聖騎士の剣技の完成形だった。


 教範に載っている型の、さらに上。型を創った者だけが到達し得る、型の源流。


 中央の騎士が——崩れた。カインの一撃が鎧の肩口を打ち、衝撃が全身に伝わって意識を断った。


 左の騎士が——剣を構え直した。手が震えている。柄を握る指の関節が白い。額に冷汗が浮かんでいる。けれど退かない。騎士だから。その矜持だけが、震える足を支えていた。


「……あなたは」


 左の騎士が言った。声が震えていた。


「あなたの剣は——自分たちが学んできた剣の——原型だ」


 カインは答えなかった。


「教範に載っている技の、さらに上の完成形。こんなものを使える者は——一人しかいない。伝説の——」


「黙れ」


 カインが遮った。


 左の騎士が口を閉じた。


 カインが一歩踏み込んだ。左の騎士の剣を弾き、柄で鳩尾を打った。騎士が膝をつき、倒れた。


 三人。全員、気絶。致命傷なし。


 カインは剣の血——いや、血は付いていない。一滴も。誰も斬っていないのだから。柄と峰と足払いだけで、三人の上位騎士を倒した。


 回廊に静寂が戻った。カインの呼吸が微かに乱れていた。息を整える。冬の空気が肺に沁みる。


 倒れた騎士たちの間を通り過ぎながら、カインは——思い出していた。


 五百年前。


 この剣を——同じ場所で振るったことがある。教会の回廊。聖騎士として。あの時は——仲間のために振るっていた。教会を守るために。聖女を守るために。


 あの時——間に合わなかった。


 聖女は——炉に自ら身を投じた。カインの目の前で。「ごめんなさい」と言って。カインが手を伸ばしたが、指先が聖女の手に届く前に——炎が彼女を呑み込んだ。


 五百年前の記憶が——フラッシュバックした。


 炎。叫び声。手の届かなかった指先。鼻の奥に、あの日の匂いが蘇る。聖なる炎の焦げた匂い。初代聖女の髪が燃える匂い。五百年経っても——身体は覚えている。


 カインの歩みが——一瞬、止まった。


 けれど——すぐに、歩き出した。


「今度は間に合う」


 低い独白。自分に言い聞かせるように。声が掠れていた。喉が乾いている。けれど足は止まらない。五百年分の後悔が——今、一歩一歩を前に押し出している。


「今度は——間に合わせる」


 回廊の奥に——階段がある。下へ。地下へ。


 リーリエが——そこにいる。


 カインは剣を握り直した。柄の革が掌に馴染む。五百年間握り続けてきた感触。この剣を、今日——最も大切な目的のために振るっている。


 階段に向かって歩き出した。


 階段を降りるたびに、空気が変わった。冷たくなる。湿気を帯びる。壁を伝う水の音が耳に届く。松明の灯りが減り、闇が濃くなっていく。そして——あの気配が強くなる。聖なる炉の気配。五百年前にカインが最後に見た場所。初代聖女が命を捧げた場所。


 足が止まりかけた。


 身体が覚えている。あのときの恐怖を。あのときの絶望を。手を伸ばして、届かなかった記憶。彼女の微笑みが——炉の光の中に消えていった記憶。


 拳を握った。爪が掌に食い込む。痛い。掌に爪の跡が赤く残る。血が滲む。けれどその痛みが——過去の亡霊を退けた。今この瞬間に引き戻してくれた。


 あのときとは違う。


 あのときは——間に合わなかった。今度は——間に合わせる。


 リーリエは生きている。この先にいる。必ず——助け出す。


 階段の先に、光が見えた。青白い光。聖術の光。空気の匂いが変わった。石と水の匂いに混じって——微かに、聖女の紋章の気配を感じた。リーリエの気配。まだ生きている。まだ——光っている。地下は——深い。けれどカインの足は止まらなかった。五百年間止まらなかった足が、今、最も大切な場所に向かって動いている。


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