表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

163/183

魔王の進撃

 門が——砕けた。


 教会の聖堂城塞。東の山岳地帯に聳える白い城塞。信仰の要にして軍事拠点。その正門が、一太刀で両断された。


 鉄と石の混合物でできた巨大な門扉が、中央から真っ二つに裂け、地響きとともに左右に倒れた。砂塵が舞い上がり、門番の聖騎士たちが衝撃波で吹き飛ばされた。


 砂塵の中に——男が立っていた。


 黒い外套。黒い髪。深紅の瞳。片手に剣を提げ、無造作に城塞の中に踏み込んだ。


 カインだった。


「ま——魔王だ!」


 門番の一人が叫んだ。地面に倒れたまま、震える声で。


「魔王が来た! 魔王が来たぞ!」


 鐘が鳴った。警報の鐘。城塞の至るところで鐘が鳴り響き、兵士たちが武器を手に走り回る。鎧の軋む音、剣を抜く音、聖術の詠唱——城塞全体が一瞬で臨戦態勢に移行した。


 カインは歩いていた。


 走りもしない。急ぎもしない。ただ、前に向かって歩いていた。一歩一歩が重く、確実に。剣は右手に下げたまま。まだ構えてすらいない。


 砕けた門の破片が足元に散らばっている。鉄と石の粉塵が舞い上がり、喉を刺す。冬の朝日が粉塵を金色に染めていた。


 城塞の広場に、聖騎士たちが集まった。二十人。三十人。鎧を纏い、剣を抜き、陣形を組んでカインを迎え撃とうとしている。


「止まれ、魔王!」


 先頭の騎士が叫んだ。


「ここは教会の聖域だ。これ以上の侵入は——」


 カインが一歩を踏み出した。


 たったそれだけで——空気が変わった。


 広場全体に、目に見えない圧力が広がった。魔力ではない。殺気でもない。もっと根源的な——存在の重さ。五百年の時間を生きた者が発する、人間の尺度を超えた気配。


 聖騎士たちの足が止まった。先頭の騎士の手が震えた。


「……何だ、これは」


 カインは答えなかった。深紅の目が、広場の騎士たちを一人ずつ見ていた。品定めではない。数えているのだ。何人いて、どの順番で倒すか。一瞬で計算を終えている。


 ただ——歩いた。


 先頭の騎士が剣を振り上げた。「斬れ!」と叫んだ。


 三人の聖騎士が同時に斬りかかった。左、右、正面。三方向からの連携攻撃。教会の聖騎士団が誇る、訓練された連撃。


 カインの剣が——動いた。


 一閃。


 三本の剣が、同時に弾かれた。三人の聖騎士が同時に体勢を崩した。カインの一太刀が三本の剣全てに触れ、正確に力の中心を弾いた。力ではない。速さでもない。角度と、タイミングと、相手の重心を読み切った技術。


 三人が崩れたところに、カインが踏み込んだ。柄で一人の鳩尾を打ち、足払いで一人を倒し、もう一人の剣を蹴り上げて奪い去った。


 三人が地面に倒れた。気絶している。傷は——ない。甲冑に凹みはあるが、血は一滴も流れていない。


 カインは殺さなかった。剣を鞘に戻すことすらしない。右手に提げたまま、そのまま歩き出した。


 殺す必要がなかった。この程度の相手に殺意を向ける理由がない。それに——リーリエが悲しむ。リーリエは優しい。教会の兵士が死んだと聞けば、自分のせいだと思うだろう。


 だから殺さない。


 次の集団が来た。五人。陣形を組み、聖術の祝福で身体を強化した精鋭。通常の兵士とは明らかに動きが違う。足運びが速く、剣の軌道が鋭い。


 カインの目が——細くなった。


 踏み込んだ。


 精鋭の陣形の中心を、一息で突破した。すれ違いざまに五人の武器を弾き、鎧の隙間を突いて衝撃を流し込む。内臓には届かない。けれど意識を断つには十分な衝撃。


 五人が崩れ落ちた。


 カインは立ち止まらなかった。


 広場に静寂が降りた。倒れた騎士たちの呻き声だけが、遠く響いている。


 回廊に入った。石造りの長い回廊。天井にはステンドグラスが嵌め込まれ、聖者の絵が光を受けて輝いている。教会の権威を誇示するための荘厳な空間。


 カインはその回廊を、血の一滴も残さず通り抜けた。行く手を阻む者は全て倒した。一人も殺さず。一人も見逃さず。


 ステンドグラスの光がカインの黒い外套に色を落とした。聖者の光が「魔王」を照らしている。皮肉な構図だった。この教会が五百年前に追放した男が、聖者の光の中を歩いている。


 倒された兵士たちが廊下に転がっている。鎧が床に当たる鈍い音が、回廊に余韻を残している。気絶しているが、呼吸は安定している。胸甲が規則的に上下している。朝になれば目を覚ますだろう。頭痛はあるかもしれないが、命に別状はない。


 リーリエが——これを知ったら、安心するだろうか。「殺さなかったんですね」と、あの穏やかな声で言うだろうか。


 剣を振るうたびに——思った。


 リーリエ。


 その名前を心の中で呼ぶたびに、足が速くなった。剣を握る手に力がこもった。


 今、行く。


 もう少しで——もう少しで着く。


 回廊の先に、聖騎士団の上位騎士が三人、陣形を組んで立ちはだかった。これまでの兵士とは格が違う。鎧の紋章が異なる。剣の持ち方が違う。構えが——本物だ。


「魔王カイン」


 中央の騎士が言った。落ち着いた声だった。恐怖を制御している。


「ここから先は通さない」


 カインが——初めて、剣を構えた。


 右手に剣を立て、左手を添え、半身に構える。足を肩幅に開き、重心を低く。


 上位騎士たちの表情が——変わった。


「あの構えは……」


 一人が呟いた。


 見たことがある。教範に載っている。聖騎士の基本構え——の原型。教範では「初代聖騎士が創始した」とされる伝説の構え。


 カインは答えなかった。


 踏み込んだ。


 剣が——流水のように動いた。


 聖騎士の隊長が驚愕に目を見開いた。カインの剣技は——聖騎士団の型だった。しかもその洗練度は、隊長自身の技を遥かに凌いでいた。原型。五百年前の原型。教本に載っている技の、さらに源流。


 剣が弧を描いた。白銀の鎧が弾ける。盾が砕ける。次々と。しかし——致命傷はない。一人も殺していない。全員が生きている。意識を断たれ、鎧を砕かれ、戦闘能力を奪われているが——命は残している。


 それは——魔王の戦い方ではなかった。


 聖騎士の戦い方だった。敵を殺さず、無力化する。かつての教会の理念——「命を奪わず守る」を体現した剣。教会自身がとうに忘れた理念を、「魔王」と呼ばれた男だけが、五百年間守り続けていた。


 カインは回廊の先を見据えた。ステンドグラスの色が外套に落ちている。赤、青、金。聖者の光が「魔王」の身体を彩っている。その不条理さに、カインは唇の端を微かに歪めた。


 地下への階段が——その奥にある。足元から、あの気配が這い上がってくる。聖なる炉の気配。五百年前と変わらない、飢えた炎の気配。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ