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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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伝承の剣

 訓練場で——また、あの剣を見た。


 教会軍の接近に備え、カインは連日、魔族の戦士たちに対聖騎士団の戦術を叩き込んでいた。今日の訓練は攻防の組み手。カインが聖騎士側を演じ、魔族の戦士がそれを崩す練習だ。


 リーリエは今日も訓練場の端に座り、見学していた。膝の上に毛布を広げ、両手を温めながら。朝の空気は冷たく、吐く息が白い。けれど訓練場には戦士たちの熱気が漂い、剣と剣がぶつかる火花の残像が朝靄に混じっていた。


 カインが構えを取った。右足を引き、剣を斜めに構える。前回と同じ——聖騎士の構えだ。


「聖騎士団長の剣技は、現在の団員の中では最も洗練されている。だが——型そのものは、五百年前の原型から崩れている」


 カインが剣を振った。鋭い一閃。空気が裂ける音がした。


「これが——原型だ」


 今度は、前回見た技とは違う動きだった。踏み込みが深く、剣の軌道が複雑で、打ち終わりの構えが自然に次の攻撃に繋がっている。一つの技が連鎖する——流水のような剣。重力を味方にしているかのように、体重の移動が一切の無駄なく刃に乗っている。踏み込みの足音と刃が空を裂く音が、一つの旋律のように響いた。


「今の聖騎士団が使っているのは、この原型の——劣化版だ。五百年の間に、伝承の中で本質が失われている」


 リーリエは目を見張った。原型と劣化版。その違いは——素人の目にも明らかだった。原型の動きには無駄がない。刃の一振りが、そのまま次の動きの起点になっている。五百年の伝承の中で失われた「繋ぎ」が、カインの技には全て残っている。


 魔族の戦士が首を傾げた。


「カイン様、なぜ原型をご存じなのですか」


 カインの手が——一瞬、止まった。


「……古い文献に記録が残っている」


 それだけ答えて、訓練を続けた。


 リーリエは——黙って見ていた。


 古い文献。


 リーリエは膝の上の毛布を握りしめた。カインの声には——嘘の匂いがなかった。けれど真実を語っている匂いもなかった。言葉の表面だけを滑らせて、本質に触れさせない話し方。何百年もそうしてきたのだろう。真実を隠すことが——呼吸のように自然になるまで。


 前回は「知っていて損はない」と言い、今回は「古い文献」。どちらも——嘘ではないが、真実でもない。カインの剣技は「文献から学んだ」ものではなかった。あの流麗さ、あの自然さは——身体に染みついた技だ。何千回、何万回と振り続けた剣の記憶。


 訓練場の隅で、リーリエは考えていた。


 聖騎士団長が——以前、語った言葉を。


 以前、リーリエの引き渡し交渉のために魔王城を訪れた際。レオンハルトが——一瞬だけ、敬意を込めて語った伝承。


「初代聖騎士は、聖女を守るために剣を取った伝説の騎士です。その剣技は聖騎士団の基礎として五百年受け継がれてきた。——私の理想です」


 初代聖騎士の剣技。


 五百年前に生まれた、伝説の剣。


 それとカインの剣が——同じだった。


    *


 訓練の休憩時間に、リーリエはカインのそばに歩み寄った。


「カインさん」


「何だ」


「聖騎士団長が言っていた、初代聖騎士の伝承——覚えていますか」


 カインの目が、わずかに細まった。


「伝説の剣技が聖騎士団に受け継がれている、と。その伝承の剣と——今カインさんが見せた原型の技、似ていませんか?」


 カインの動きが止まった。


 剣を持つ手が——微かに強張った。


「……古い剣だ。あちこちに伝わっている」


「でも——『原型』と言いましたよね。劣化版ではなく、原型。それは——この技を最初に作った人が使っていた形、ということでは?」


 カインの声が固くなった。


「文献に記録が残っている。それだけだ」


「文献を読んだだけで、あんなに自然に——」


「リーリエ」


 カインが名前を呼んだ。その声には——警告の響きがあった。けれど怒りではなかった。もっと深い——「これ以上踏み込むな」という、切実な響き。


 リーリエは口を閉じた。


 カインが目を逸らした。訓練場の向こうを見つめている。深紅の瞳の奥に——また、あの遠い光が浮かんでいた。何百年も前の何かを見ている目。


「……すみません」


 リーリエが小さく謝った。


 カインは答えなかった。ただ——リーリエの髪に、手を伸ばした。訓練場の砂埃が銀灰色の髪についていた。大きな指先が、丁寧にそれを払った。


 無意識の動作だった。リーリエの髪の砂埃を払うことに——カイン自身が気づいていないような、自然な仕草。


「……あ」


 リーリエが声を漏らした。


 カインが手を止めた。自分が何をしていたか——遅れて気づいたように。


「……訓練場は埃が多い。次は見学するな」


 ぶっきらぼうに言って、背を向けた。


 リーリエは立ち尽くした。髪に残る指先の感触。温かかった。大きな指が銀灰色の髪に触れた一瞬——カインの手は、驚くほど優しかった。戦場で剣を振るう手と同じ手が、砂埃を払うときにはあれほど繊細になる。


 心臓が少しだけ、速く打っていた。冬の空気が冷たいのに、顔が熱い。


    *


 夕暮れ時。


 リーリエは中庭のベンチに座り、一人で考えていた。


 教会への詳しさ。聖騎士の剣技。数百年の寿命。「昔の話」「少し関わった」「古い文献」——はぐらかしの言葉たち。封じられた部屋。夢の中の女性の声。そして——「炉」という言葉への反応。


 断片が頭の中で渦巻いていた。


 繋がりかけている。点と点が——線を描こうとしている。


 初代聖騎士。五百年前。教会から追放された者。聖女を守ろうとした者。


 カインは——。


 リーリエは首を振った。まだ、結論には至らない。至れない。あまりにも——大きな答えだから。もし自分の推測が正しければ——カインの五百年の孤独の意味が、すべて変わる。


「カインさんは——一体、何者なんだろう」


 夕暮れの空が、橙から紫に変わっていった。初代聖騎士の伝承の剣と、魔王カインの剣。その一致が意味するものは——リーリエはまだ答えに辿り着けない。


 しかし答えは——すぐそこにある。


 中庭の枯れ木の向こうに、夕陽の最後の赤い光が差していた。その光の中に——東棟の屋根が見える。封じられた部屋がある棟。あの扉の向こうから聞こえた声。夢の中の女性の声。カインの聖騎士の剣。全てが——一つの答えを指している。


 リーリエは立ち上がった。冬の風が頬を打つ。寒い。けれど——頭の中は熱かった。思考が渦を巻いている。


 もし答えが——自分の推測通りだとしたら。


 カインがあれほど不器用に優しい理由。五百年を一人で生きてきた理由。リーリエを拾った理由。全てが——繋がる。


 そしてその答えを知ったとき——自分はどうするのだろう。


 リーリエにはまだ、わからなかった。


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