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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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守るということ

 従者たちが広間に集まったのは、その日の夕刻だった。


 カインが呼んだわけではなかった。リーリエが頼んだわけでもなかった。自発的に——彼らは集まっていた。


 リュカが先頭に立っていた。いつもの軽い口調は影を潜め、琥珀色の目に真剣な光が宿っていた。その後ろにヴェルナー、マリカ、フィル。そして魔王城の守備を担う戦士たち——角を持つ者、翼を持つ者、尾を揺らす者。二十余名が、広間に整列していた。


 広間の天井が高い。石壁に掛けられた燭台の灯りが、整列した従者たちの顔を照らしていた。影が壁に伸び、二十余人の輪郭が石の上で揺れている。


 リーリエは広間の奥で、椅子に座ったまま——その光景を見ていた。


「リーリエ様」


 リュカが一歩前に出た。


「俺たちは——戦います」


 短い宣言だった。けれどその声には、揺るぎがなかった。


「教会が来ます。聖騎士団が来ます。多分、すごい数の兵士が来ます。正直——きついっすよ。旦那様は強いけど、一人じゃ限界がある。だから俺たちも戦う。リーリエ様を——守るために」


 リュカの言葉を受けて、ヴェルナーが静かに続けた。眼鏡のレンズが燭台の光を反射して、一瞬だけ白く光った。


「私たちはカイン様にお仕えしてきました。しかし今は——リーリエ様もまた、この城の大切な方です。リーリエ様をお守りすることは、カイン様をお守りすることと同じです」


 マリカが小さく頷いた。手を胸の前で組んで、穏やかに——けれど真剣に、言葉を紡いだ。


「リーリエ様が来てから——この城は変わりました。食卓に笑顔が増えました。カイン様が、少しだけ……笑うようになりました。その日常を、守りたいのです」


 フィルが大きな目をリーリエに向けた。小さな角が燭台の光に照らされて、柔らかい影を落としている。


「フィルもがんばる。リーリエ様のこと、大好きだから」


 一人一人が——言葉を重ねた。


 この城に来てから、食事が美味しくなった。カインが怖い顔をしなくなった。朝が楽しみになった。リーリエが花茶を淹れてくれたとき嬉しかった。リーリエがフィルの絵を褒めてくれたとき嬉しかった。リーリエが笑ったとき——もっと嬉しかった。


 だから守る。この日常を。この場所を。この人を。


 リーリエは——動けなかった。


 胸の奥で、相反する感情が渦巻いていた。


 嬉しい。温かい。ありがたい。


 けれど——怖い。


 この人たちが、自分のために傷つく。自分のために血を流す。自分のために——命を懸ける。


 それは——聖女制度と何が違うのか。


 聖女は世界のために命を燃やす。従者たちはリーリエのために命を懸ける。どちらも——誰かの犠牲の上に、誰かが生かされる構図だ。


 リーリエの手が震えた。椅子の肘掛けを握る指が白くなった。


「……私のために、戦わないでください」


 声が掠れた。


「私のために——傷つかないでください。お願いします。私は——そんな価値のある人間じゃ」


 言葉が途切れた。喉の奥が締まった。リーリエは椅子から立ち上がり、広間を出た。従者たちの視線が背中に刺さるのを感じながら——振り返れなかった。


    *


 庭園にいた。


 冬の庭園は殺風景だった。花は枯れ、木は葉を落とし、噴水の水は凍りかけていた。リーリエは石のベンチに座り、膝を抱えていた。冬の風が銀灰色の髪を揺らし、薄い衣の隙間から冷気が忍び込む。寒い。けれどその寒さが——熱い胸の内を、少しだけ鎮めてくれた。


 涙は出なかった。出し方を忘れたわけではない。ただ——涙よりも深いところで、何かが軋んでいた。


 聖女として「他者の犠牲の上に生きる存在」だった。教会では、リーリエの命が結界を支え、世界を守っていた。リーリエの苦痛が、世界の平和の代価だった。


 ここでは——逆だ。


 他者がリーリエのために犠牲を払おうとしている。リーリエを守るために、命を懸けようとしている。


 構図が逆転しただけで——本質は同じではないか。誰かの犠牲。誰かの血。


 足音が聞こえた。


 重い、けれど静かな足音。石畳を踏む音が、一歩ごとに近づいてくる。


「ここにいたか」


 カインだった。


 リーリエの隣には座らなかった。少し離れた場所に立ち、庭園の枯れ木を見つめていた。黒い外套が風に揺れている。


「あいつらは——お前のために戦いたいんじゃない」


 カインの声は低かった。


「お前と一緒にいる日常を守りたいだけだ。朝の食卓。温かいスープ。お前が花茶を淹れる時間。フィルがお前に絵を見せる時間。——あの日常を守るために戦う」


 リーリエが顔を上げた。冷たい風が頬を撫でていった。


「犠牲じゃない」


 カインがリーリエを見た。深紅の目が、まっすぐにリーリエを捉えていた。


「選択だ」


 選択。


 その言葉が——リーリエの中に落ちた。石を水面に投じたように、波紋が広がっていく。


 教会の聖女制度は——選択ではなかった。リーリエに拒否権はなかった。生まれつきの適性で選ばれ、逃げられない仕組みに組み込まれた。


 従者たちは——選んでいる。自分の意志で。誰にも強制されず。リーリエのためではなく——リーリエのいる日常のために。


 犠牲と選択。


 その違いを——リーリエは初めて、言葉として受け取った。


「……選択」


 リーリエが呟いた。


 まだ——完全には消化できていない。けれどカインの言葉は、胸の中に小さな種として残った。


 カインがポケットからハンカチを取り出し、リーリエに差し出した。リーリエの目尻に——自分でも気づかなかった涙の跡があった。冷たい風に乾きかけた、かすかな塩の跡。


「泣いてないです」


「知ってる」


 カインは「泣くな」とは言わなかった。ただハンカチを差し出し、リーリエの隣に——今度は座った。石のベンチが冷たい。けれど隣に座るカインの体温が——わずかに、伝わってきた。


 冬の庭園に、沈黙が降りた。風が枯れ枝を揺らし、凍りかけた噴水の氷が軋む音がする。遠くで鳥が鳴いた。冬を越える小さな鳥の、か細い声。


「犠牲じゃない、選択だ」——その言葉は、リーリエの中に小さな種として残った。いつかこの種が芽吹くとき、リーリエ自身も「選択」をすることになる。


 けれど今はまだ——カインの隣に座って、冬の空を見上げているだけで精一杯だった。


 しばらくして、カインが立ち上がった。リーリエに手を差し伸べた。大きな手。指先が冷たかったが、掌は温かかった。


「城に戻るぞ。冷える」


 リーリエはその手を取った。立ち上がったとき、カインの手がほんの一瞬だけ——リーリエの手を握り返した。すぐに離した。何事もなかったように歩き出した。


 けれどリーリエの掌には——その一瞬の温もりが、しばらく残っていた。凍りかけた噴水の水が、冬の月に照らされて微かに光っていた。


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