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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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共犯者

 午後の書斎。静かな時間。嵐の前の、最後の穏やかさかもしれない。暖炉に大きな薪が投じられ、ぱちりと弾ける音が空間を満たしている。窓辺には花瓶があり、マリカが活けたエーデルフラウが白い花弁を広げていた。


 窓から差し込む冬の日差しが、古い書物の背表紙を照らしている。光の中を埃が漂い、金色の粒子のように見えた。机の上には文献が広げられていた——聖なる炉に関する古代の記録。カインがリーリエに「全てを話す」と決めた以上、これらの資料もリーリエと共有することになる。隠し事の上に築かれた関係は、砂の上の城だ。風が吹けば崩れる。


 カインがリーリエを呼んだ。「話がある」と。


 リーリエは身構えなかった。前回の「話がある」が何をもたらしたかを考えれば、身構えて当然だった。最後の聖女。死ねば世界が終わる。あの真実を告げられた夜の記憶は、まだ生々しい。けれど怖くなかった。もう隠し事はないだろうと直感していた。あの夜に——全てが変わった。嘘の上に立っていた関係が一度壊れ、真実の上に立て直された。今のカインの目には、嘘の重さがない。


 書斎に入ると、カインは机の前に立っていた。いつもの黒い外套。けれど——纏う空気が少し違う。軽い、とは言わない。しかし重さの質が変わった。隠し事の重さが消えて、代わりに——覚悟の重さがある。嘘を抱える重さは陰鬱だが、覚悟の重さには凛としたものがある。


「座れ」


「立ったままで構いません」


「……好きにしろ」


 リーリエは椅子には座らず、カインの正面に立った。向かい合う。カインが見下ろし、リーリエが見上げる。身長差が大きい。カインの肩幅は広く、リーリエの倍近くある。けれど——対等に。立つ位置が対等なら、関係も対等だ。


 カインが口を開いた。


「これからは——全部話す」


 低い声。しかし迷いがない。声の中に——嘘の重さが、もうない。一本の弦のように真っ直ぐな声だった。


「俺が知っていることは全てだ。聖なる炉のこと。結界のこと。教会のこと。初代聖女のこと。五百年の間に俺が集めた情報の全てを——お前に話す」


 リーリエは黙って聞いていた。カインの深紅の瞳を、真っ直ぐに見つめて。瞳の奥に、蝋燭の炎が映っている。小さな炎だ。けれど揺るがない炎だった。


「隠し事はしない。もう——一つも」


 そこに——誓約の光があった。言葉だけの約束ではない。五百年の歳月を背負った男が、全てを賭けて立てる誓い。リーリエの瞳の中に自分を映して、逃げ場を断って。自分自身の退路を、自分で塞いでいる。


「最初からそうしてくれていれば」


 リーリエが言った。


「面倒が少なかったのですが」


 皮肉だった。口調は穏やか。けれど内容は——皮肉だった。教会で育った少女の口から出た、洗練された一刺し。


 カインが一瞬、顔を強張らせた。


 しかしリーリエの口元に——微かな笑みが浮かんでいた。目は笑っていない。まだ笑えない。けれど口元だけが——僅かに、緩んでいた。皮肉を言える余裕が——戻り始めている。氷の下で水が流れ始めているように。


「……ああ。その通りだ」


 カインが苦笑した。五百年を生きた男を、十七歳の少女の皮肉が撃ち抜いた。あの無愛想な顔に、苦笑が浮かぶ。それだけで——書斎の空気が少し柔らかくなった。


 リーリエが続けた。声の調子が変わる。皮肉から——真剣へ。唇の端の笑みが消え、代わりに目に光が宿る。


「もう——隠さないでください」


 カインが文献から目を上げた。深紅の瞳に蝋燭の光が映り、金色の光点が揺れている。


「ああ」


「どんなに辛い真実でも。知らないまま判断を迫られるよりは——知っていて選ぶほうがいい。教会のように——何も教えずに私を使わないでください。私は道具ではありません。少なくとも——もう道具でいたくはありません」


 カインの目が——微かに見開かれた。「道具でいたくはない」。その言葉が——響いた。リーリエが初めて、自分の扱われ方に対して「嫌だ」と言った。否定ではなく意思表示。受容ではなく拒絶。「仕方がない」ではなく「嫌だ」。この少女の中で、何かが——確実に変わり始めている。


「約束する」


「信じます」


 短い言葉の交換。しかしその重さは——測りきれなかった。二つの言葉が空気の中で絡み合い、見えない糸で二人を結んだ。


 カインが机の上の文献に手を置いた。古い羊皮紙が蝋燭の光に照らされている。


「世界の真実を知っているのは、今のところ俺たちだけだ。教会は『最後の聖女』のことを大司教を含む一部の上層しか知らない。民は何も知らない。結界が弱まっていることすら——公表されていない」


「秘密を共有している、ということですね」


「ああ。俺たちは——共犯者だ」


 リーリエが目を瞬かせた。


「共犯者」


 その言葉を、噛みしめるように繰り返した。舌の上で転がすように。


「物騒ですね」


「そうだな」


「でも——悪くありません」


 リーリエの声に——微かな温度があった。共犯者。秘密を共有する二人。保護者と被保護者ではなく、対等な関係。同じ重荷を知り、同じ問題に向き合う——仲間。その言葉が、リーリエの胸の中で小さな灯火のように温かく光った。


 カインが書斎を出た。リーリエが後に続いた。


 廊下を歩く。石壁の窓から午後の光が差し込み、二人の足元を照らしている。埃が光の中を漂い、時間が緩やかに流れていた。


 いつもはカインが前を歩き、リーリエが二歩後ろをついていった。カインの歩幅は大きく、リーリエの足では追いつくのが精一杯だった。それを指摘したこともない。ついていくのが当然だと思っていた。後ろを歩くのは——慣れていた。教会でも、いつも誰かの後ろを歩いていた。


 今日は——カインが歩幅を緩めた。意識してか無意識か。リーリエが追いつくのを待ち、並ぶのを待った。


 二人が並んで歩く。肩が触れそうな距離で。同じ速さで。同じ方向を向いて。リーリエの肩がカインの腕にほんの僅かに触れた。黒い外套の布地が、リーリエの肩掛けを撫でた。触れたのは布と布だったが、その先にある温もりが——伝わった。


 廊下の窓から午後の光が差し込んでいる。二人の影が、石の床に並んで伸びていた。長い影と、短い影。けれど——同じ方向を向いている。同じ光源から伸びて、同じ方向に消えていく。


 リーリエは隣のカインをちらりと見た。黒い外套。長い手足。前を向いた横顔。無表情に見える——けれど、口元が僅かに緩んでいる。気づいていないのだろう。本人は。自分の口元が緩んでいることに。


 共犯者。


 悪くない。


 リーリエは前を向いた。並んで歩く。二人の足音が石畳の上で重なる。ただそれだけのことが——今までの何よりも、温かかった。


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