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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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最後の適性者

 カインが語り始めた。深い息を一つ吐いてから。蝋燭の炎が揺れ、カインの深紅の瞳に橙色の光が踊った。五百年分の沈黙が、一つの息に凝縮されていた。言葉を選ぶ時間は終わった。もう——ただ、真実を述べるだけだ。


「聖女の適性は——特殊な魔力体質だ」


 月明かりの部屋の中で、カインの声は低く、静かだった。感情を抑えた声。しかし——怒りが滲んでいる。聖女制度そのものへの、根源的な怒り。五百年間かけても消えなかった、灼けるような怒り。声を低くしているのは、怒りを制御しているからだ。解き放てば——この部屋が震えるだろう。


「生まれつき備わっている。本人の意志とは無関係に。教会はそれを『神の選び』と呼ぶが、実際は魔力の変異体質に過ぎない。適性を持つ者は——身体が聖なる炉と共鳴する構造になっている。先天的なもので、後天的に得られるものじゃない」


 リーリエは黙って聞いていた。椅子に座り、膝の上で手を組んでいる。指と指が絡み合い、白い指先がわずかに力を込めている。月明かりが銀灰色の髪を照らし、横顔に淡い影を落としている。窓ガラスに映った自分の顔を、視界の端で捉えていた。蒼白で、儚くて、まるで幽霊のような自分の顔。


「歴代——世界に一人だけ、適性者が存在した。先代の聖女が命尽きると、炉からの波動を受けて、次の適性者の体内で紋章が発現する。教会はそれを探し出し、引き取り——『聖女』にしてきた。五百年間、二十三人。二十三人の女が、燃料として消費されてきた」


 二十三人。リーリエはその数字を噛みしめた。舌の上で転がすように。自分を含めて、二十三人。自分の前に二十二人の聖女がいた。二十二人の女が、同じ苦痛を味わい、同じ運命を辿った。名前も知らない。顔も知らない。好きだった花も、嫌いだった食べ物も、眠れない夜にどんなことを考えていたかも——何も知らない。けれど確かに——存在した。彼女たちも、かつては子供だった。笑い、泣き、夢を見た。朝起きて空を見上げ、風の匂いを嗅ぎ、母の手を握った。そして——炉に送られた。


「つまり」


 リーリエが口を開いた。声は平坦だった。感情の凍結が、ここでは防壁として機能している。大きすぎる事実を受け止めるために、感情を遮断している。感情を通したら——処理しきれない。


「私の前にも——先代の聖女がいて。その方が亡くなったから、私に紋章が現れた」


「ああ」


「その方は——何歳でしたか」


 カインの表情が一瞬、硬くなった。唇が引き結ばれ、目が細められた。顎の筋肉が動いた。答えたくない質問だ。けれど——隠さないと約束した。


「二十二だ」


「二十二」


 リーリエがその数字を繰り返した。二十二歳。あと五年。自分が二十二歳まで生きたとして——あと五年。先代の聖女は、二十二年の人生を生きた。覚醒してからは七年。七年間、リーリエと同じ苦痛に耐えて——死んだ。七年。リーリエは二年でこれだけ疲弊している。七年——想像もつかない。


「その方の前は」


「十九だった」


「その前は」


「二十五」


 若い。全員が若い。花が咲く前に摘み取られている。蕾のまま、茎から切り離されている。


「……もういいです」


 リーリエが遮った。これ以上の数字を聞いても——変わらない。二十二人の命が燃やされた。それだけで十分だった。数字は数字だ。どれだけ並べても——一人一人の痛みを、数字は語らない。


 沈黙が部屋を満たした。月明かりが窓辺に白い四角を作っている。風が吹いて、木の枝が窓を叩いた。こつ、こつ、と。小さな音。まるで二十二人の聖女が、窓の外から叩いているようだった。入れてくれ、と。覚えていてくれ、と。


 カインが続けた。声の調子が変わった。事実の説明から、核心へと近づいている。声が低くなり、言葉と言葉の間の沈黙が長くなる。


「適性者の発現には——周期がある。先代が死んで、次の適性者が現れるまでの期間だ。初期は短かった。数ヶ月で次が見つかった」


 リーリエの手がスカートの布を握りしめていた。指が白い。カインの声が石壁に反響し、書庫の隅々にまで届いている。


「しかし」


 リーリエが先を促した。論理の帰結を、既に推測している。


「代を重ねるごとに——間隔が長くなっている。第十二代で五年。第十八代で八年。炉が弱まっている。五百年の稼働で、聖なる炉そのものが劣化しているんだ。適性者の発現に必要なエネルギーが、枯渇しつつある」


 リーリエの手が——膝の上で、微かに強く組まれた。爪が掌に触れている。白い指に、力が入った。紋章の鈍痛が、言葉のリズムに合わせて脈打っている。


「カインさん」


「何だ」


「その話の先を——聞いても、いいですか」


 カインの深紅の瞳が、リーリエを見つめた。月の光が混じり、金色の粒が瞳の中で揺れている。この男の目は、感情が高まると金が混じる。今——混じっている。怒りか。悲しみか。あるいは——もっと別の、名前のない感情か。


「お前が——聞きたいなら」


「聞きます」


 短い応答。しかしそこには——真実を受け止める覚悟が詰まっていた。二年間の苦痛に耐えてきた少女の、静かな強さがあった。凍結した感情の下にある、折れない芯。ヴェルナーが見抜いたもの。カインが今、目の前で確認しているもの。


 カインが深く息を吸った。冬の夜の冷たい空気が、声帯を冷やす。


「お前以降——適性者が生まれていない」


 言葉が、月明かりの部屋に落ちた。石が水面に落ちるように。波紋が広がるように。静寂の水面に、一語が落ちて、波紋が部屋中に広がっていく。


「理由はわからない。炉の劣化が臨界に達したのか。適性の因子そのものが枯渇したのか。五百年の間に、世界の魔力の総量が変質したのか。——だが事実として」


 一拍の間。カインが言葉を選ぶ最後の間。この一拍に、五百年分の覚悟が詰まっている。


「聖女の適性を持つ者は——お前が、最後だ」


 リーリエの瞳が僅かに見開かれた。月明かりの中で、薄い青紫の瞳が——揺れた。水面に石が落ちたときの、最初の波紋。


「……最後」


 呟くように繰り返した。唇が動いて、音になるまでに、僅かな時間がかかった。


 最後の適性者。最後の聖女。自分の後には——誰もいない。


 リーリエの指が微かに震えた。しかしそれは一瞬で収まった。凍結した感情が、まだ防壁として機能している。震えを——押し込めた。


「最後」


 もう一度、呟いた。その言葉の意味が——まだ完全には把握できていない。しかし胸の奥で、何かが軋み始めている。氷の下で、何かが動いている。巨大な何かが、凍った水面の下で身じろぎしている。


 最後の聖女。私が死んだら——次はいない。


 ならば。


 答えは——次の言葉で明かされる。


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