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魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


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お茶の時間

 カインが茶を持ってきた。


 午後、リーリエが書庫で本を読んでいると、カインが一言も言わずに茶のカップを机に置いた。花茶だった。湯気が立ち、甘い香りが漂っている。


「……なぜそんなことをするのですか」


 リーリエは本から目を上げずに聞いた。


「茶を飲むのに理由がいるのか」


「魔王が聖女に茶を淹れる理由は聞きたいです」


「お前に聞いている。飲むのか、飲まないのか」


 問いに問いで返す。カインの常套手段だった。理由を聞かれるたびにはぐらかし、行動だけを重ねる。


 リーリエはカップに手を伸ばした。温かい陶器の感触が指先に伝わる。一口飲む。花の香りが口の中に広がり、優しい甘さが喉を滑り落ちていった。


「……不味くは」


「わかっている。不味くはない、だろう」


「はい」


 カインの口元が僅かに歪んだ。呆れなのか苦笑なのか、リーリエには判別がつかない。


「明日も持ってくる」


「頼んでいません」


「頼まれなくても持ってくる」


 カインは振り返らずに書庫を出ていった。


 それから毎日、同じ時間に茶が届くようになった。カイン自身が持ってくることもあれば、リュカが「旦那様からっす」と持ってくることもあった。花茶の種類は毎日変わったが、温度はいつも同じ——熱すぎず、冷めてもいない、ちょうどいい温度だった。


 不思議だった。リーリエが読書に没頭している時間を正確に把握しているとしか思えない。カインは聖女の行動を全て把握しているのだろうか。


「監視されているようですね」


 ある日そう言うと、カインは眉を寄せた。


「監視じゃない。……気配を探っているだけだ」


「それを監視と言うのでは」


「言わん」


「世間一般では言います」


「俺は世間一般じゃない。魔王だ」


 反論になっていなかったが、カインは堂々としていた。リーリエはそれ以上言わず、茶を受け取った。


 その日の夕方、リーリエが廊下を歩いていると、角を曲がったところで小さな影とぶつかりそうになった。


「わっ!」


 幼い声。見下ろすと、小さな魔族の子供がしりもちをついている。丸い金色の目、頭の両脇から小さな角が生えている。背丈はリーリエの腰ほどしかない。


「大丈夫ですか」


 リーリエが手を差し出した。自分でも無意識の動作だった。手を差し出すという行為が、身体に残っている記憶なのかもしれない。村にいた頃——まだ人間だった頃の。


 子供はその手を掴んで立ち上がった。小さな手が、リーリエの指をしっかりと握っている。


「お姉ちゃん、だれ?」


 金色の目が好奇心に輝いている。怖がる様子は全くない。


「……聖女です」


「せいじょってなに? つよい?」


「強くはないです」


「じゃあぼくがまもってあげる!」


 子供が胸を張った。小さな角がぴょこんと揺れる。


 リュカが廊下の向こうから慌てて走ってきた。


「あー! フィル、お嬢のとこまで来ちゃったんすか! すんません、お嬢。この子、城で暮らしてる魔族の子で——好奇心旺盛で言うこと聞かなくて」


 フィルと呼ばれた子供は、リュカの制止など聞く気もなくリーリエの服の裾を掴んでいた。


「お姉ちゃん、あそぼ!」


「遊ぶ理由がありません」


「りゆう? あそぶのにりゆういらないよ?」


 リーリエは一瞬、答えに詰まった。


 遊ぶのに理由はいらない。花を見るのに理由はいらない。茶を飲むのに理由はいらない。この城の住人たちは、何かにつけて「理由はいらない」と言う。教会では全てに理由があった。祈るのは神のため、生きるのは世界のため、痛みに耐えるのは人々のため。


「構いません」


 リーリエは言った。


 リュカが目を丸くした。


「お嬢、いいんすか?」


「構わないと言いました」


「構わない」——「どうでもいい」とは、微妙に違う言葉。拒否ではない。けれど積極的な肯定でもない。その曖昧な中間に、リーリエは立っていた。


 フィルはリーリエの手を引いて庭に走り出した。リーリエは引きずられるように歩く。体力のない聖女には、子供の全力疾走でさえ追いつけなかった。


「お姉ちゃん、おそい!」


「すみません。走るのは得意ではないので」


「じゃあ歩こ!」


 フィルが歩幅を合わせた。小さな手が、リーリエの指をしっかり握っている。


 庭で過ごした午後は、不思議な時間だった。フィルは花を指差して「あれなに?」と聞き、虫を見つけて「すごい!」と叫び、石を積み上げて「おしろ!」と笑った。リーリエはその隣に座り、聞かれたことに淡々と答えた。


「あの花は、エーデルフラウです」


「えーでる——むずかしい!」


「難しくありません。覚えればいいだけです」


「お姉ちゃん、ものしりだね!」


 リーリエは答えなかった。「物知り」と言われたのは初めてかもしれない。教会では「聖女の知識は世界のため」と教えられた。自分のための知識など、持っていなかった。


 夕暮れ時、フィルがリュカに連れられて帰っていった。「お姉ちゃん、また明日ね!」と手を振りながら。


 リーリエが庭に一人残されると、渡り廊下の上にカインの姿が見えた。


 遠くから見ている。リーリエとフィルが一緒にいた場所を、複雑な表情で見つめている。


 その目に宿る感情を、リーリエは読み取れなかった。懐かしさのような、痛みのような、それでいて温かいような——矛盾した光。


 カインはリーリエと目が合うと、視線を逸らして去っていった。


 リーリエは首を傾げた。


「……不思議な方ですね」


 呟いて、部屋に戻る。


 机の上に、花茶のカップが置いてあった。まだ温かい。カインが届けに来たのだろう。リーリエが庭にいる間に。


 一口飲んだ。


 いつもと同じ味。いつもと同じ温度。


 けれど今日は——「不味くはない」とは、思わなかった。


 代わりに、何も思わずにもう一口飲んでいた。花の香りが口の中に残り、温かさが指先まで広がっていく。カップの底に茶葉が揺れているのを、ぼんやりと眺めていた。急いで飲み干す必要がなかった。この時間が、少しだけ長くてもいいと——そんなことを、無意識に思っていたのかもしれない。


 窓の外で夕日が沈みかけていた。橙色の光がカップの縁を照らし、茶の水面にも色が映っている。庭から風が吹き込み、花茶の香りと庭の花の香りが混ざった。


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