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断絶の日、あるいは古稀の旅立ち

5月26日、大幅にブラッシュアップ(加筆・修正)いたしました。

キャラクターの心情や設定をより深く掘り下げていますので、初見の方も、再読の方も楽しんでいただければ幸いです!

15歳を迎えた朝。

私は父オーギュストの執務室に呼び出された。

(やれやれ、ようやくこの日が来たか……)


デスクの向こうから見下ろしてくる父の冷徹な視線を受けながら、私は内心で深い安堵のため息をついていた。

前世で55年、今世で15年。合わせれば、私の精神はすでに70歳――古稀こきの領域にある。

とっくに隠居して縁側で茶でもすすっていておかしくない年齢だというのに、この15年間、実家を欺くために「怯える無能な子供」を演じ続けるのは、老骨にはなかなかに骨が折れる作業だった。


「誕生日おめでとう、リーファス。これでお前も成人だ。同時に――」


父は我が子の成長を祝う色など微塵もない、事務的で冷え切った声を響かせた。


「今日限りでお前をスミス伯爵家から除籍とする。平民に落とすのだから、二度とスミスを名乗るな。魔力なき無能を15年も生かしてやったのだ、我が寛大さに感謝するがいい。……ああ、それと」

「はい」

「手切れ金代わりだ。お前にあてがっていた、その不吉な闇魔術使いの奴隷も連れていけ。本邸の連中が不快がる。衣服も今着ているもの以外は一切持ち出しを禁ずる。その身一つで即座に立ち去れ」


私の背後で、クリスが悔しさに身を縮める気配がした。

私はあえて表情に出さず、小さく心の中で口元を緩める。

父よ、貴方は本当に見る目がない。この娘がどれほどの、国家を揺るがす天才かを知らないのだ。

老舗の骨董屋が、国宝級の古美術品を「価値のないガラクタ」として路頭に放り出すようなものである。

まあ、こちらとしては拾い物をする手間が省けて万々歳なのだが。


「承知いたしました。15年の長きにわたり、最低限とはいえ衣食住の恩恵に預かりましたこと、感謝いたします」


私は洗練された完璧な所作で、深々と頭を下げた。

通算70年の人生経験がなせる、本物の気品。皮肉なことに、この本邸の誰よりも「高貴な貴族」らしい振る舞いを見せた私に、父は一瞬だけ、虫に噛まれたかのように不快そうに顔をしかめた。


「……二度とこの街の敷居を跨ぐな。行け、不快だ」


◇◇◇◇◇


粗末な衣服のまま、裏門へと向かう私とクリス。

その行く手を阻むように待ち構えていたのは、やはりあの二人だった。


「やれやれ、やっと我が家からドブネズミの臭いが消えるな」

「本当ですねマケール兄さん。無能な血筋が近くにうろついているだけで、朝から反吐が出そうでしたよ」


長兄マケール(20)と次兄ウィルソン(18)。

多少は魔術師らしく着飾ってはいるが、魂の輝きがあまりに薄い。

魔法の鍛錬など、口先だけの怠惰なものだと一目でわかる。

70歳の私から見れば、彼らはまだ「オムツすら取れていない幼児」が必死に虚勢を張っているようにしか見えない。


「おいリーファス。お前のようなゴミが外に出てどうするんだ? 大人しく野垂れ死ぬか? それとも、その薄汚い奴隷女に身体でも売らせて、その日暮らしの汚い金でも稼ぐか?」


反論できない平民になった私をいたぶろうと、下卑た笑みを浮かべるウィルソン。

その瞬間、クリスの足元の影が、測り知れない怒りと殺気でドロリと波打った。私はそっと彼女の前に腕を出し、静かに制する。


(冷静になりなさい、クリス。赤ん坊の夜泣きに、いちいち大人が腹を立ててどうするんだい)

(……ッ! は、はい……申し訳ありません、リーファス様……)


私は古稀の寛容さを持って、彼らに穏やかな、慈愛すらこもった微笑みを向けた。


「ご心配には及びません、兄上たち。どうか、お健やかに。スミス家の益々のご発展を、世界の遠い空の下より祈念しております」

「ッ……なんだその目は! 無能の分際で、俺たちを見下しているのか!?」


思い通りの悲惨な顔を見せない私に苛立ったのか、マケールが掌に青白い火球を生み出し、こちらの顔スレスレに突きつけてきた。

爆ぜる熱気が肌を撫でる。

ああ、なんと未熟で、今にも立ち消えそうな火だろう。構成が致命的に甘い。魔力の練り方も雑だ。私がその気になれば、呪詛じゅその息を吹きかけるだけで消し飛ぶような、子供の火遊び。

彼らが必死に誇示する「魔力」という特権が、私にはあまりに滑稽で、哀れで、いっそ愛らしくさえ見えた。


「さっさと消えろ! 二度と俺たちの前にツラを見せるな!」


私は無言で一礼し、踵を返した。

争う気すら起きない。大人が、子供の泥遊びの喧嘩を買ってどうする。


◇◇◇◇◇


裏門の重い鉄扉を抜け、伯爵邸の敷地外へ出た瞬間。

鬱蒼とした木々の影から、フードを目深に被った人影が、必死の形相で飛び出してきた。


「……リーファス!」

「やあ、ビンセント兄さん。見送りに来てくれたのかい?」


三男のビンセント。この歪んだ家の中で唯一、まともな人の心を持った少年だ。彼は息を切らし、周囲を怯えたように警戒しながら、私の手にずっしりと重い革袋と、数枚の羊皮紙の束を無理やり押し付けてきた。


「これを持って行け! 僕が貯めた小遣いのすべてと……それと、伯爵領の通行手形だ。夕べ、父上の執務室に忍び込んで、必死で複製魔法で偽造したんだ……!これがないと、お前たちは次の街に行く関所で捕まって、奴隷に逆戻りさせられる……!」

「……危険を冒しましたね、兄さん。見つかれば貴方の立場がない」


私は目を細めた。手形を握るビンセントの指先は、極度の緊張でガタガタと震えていた。

自己保身と魔力自上主義が全てのこの家において、彼は己の将来や命を危険に晒してまで、無能と蔑まれた弟のために動いたのだ。その魂の色彩は、兄たちの歪んだ魔力よりも遥かに美しく、尊い。


「ありがとう、ビンセント兄さん。この金も手形も、命に代えても大切に使わせてもらうよ」

「恩なんて、どうでもいい……! ただ、頼むから……どうか、死なないでくれよ……!」


いまにも泣き出しそうな顔で、ビンセントは本邸に見つかる前にと、慌ただしく走り去っていった。

私はその小さな背中を静かに見送りながら、懐に収めた手形の温かさを確かめる。


「……本当に、良い子だ。彼だけには、いつかこの恩を百倍にして返してやらねばな」

「はい。リーファス様」

「はは、全くだ。さて、行くかクリス」


私は一度だけ、重厚なスミス伯爵邸の門を振り返る。

どれだけ巨大な権力を持とうとも、通算70年の果てしない旅路を経た私にとっては、ここはただの、退屈な通過点の一つに過ぎない。


――さらば、狭き揺り籠よ。

――老骨(中身)に鞭打って、久々のシャバを存分に楽しませてもらおうか。


挿絵(By みてみん)

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