幕間:闇に咲く向日葵(クリス・サイド)
5月26日、大幅にブラッシュアップ(加筆・修正)いたしました。
キャラクターの心情や設定をより深く掘り下げていますので、初見の方も、再読の方も楽しんでいただければ幸いです!
色のない世界……。
私の世界は、生まれた時から不吉な「黒」だけで塗りつぶされていた。
黒い髪、黒い瞳。
この世界において、それは悪魔の色彩であり、災いの予兆とされている。
物心ついた時には、私はすでに親に捨てられ、奴隷商人の檻の中にいた。
「見ろ、不吉なガキだ」
「おい、目を合わせるな。呪われるぞ!」
石を投げられるのは日常茶飯事だった。
水すらまともに与えられず、泥水をすすることにも慣れた。私の価値は、大人たちの「サンドバッグ」か「憂さ晴らしの玩具」でしかなかった。
誰からも愛されず、誰からも必要とされない。私の心臓の鼓動は、ただ死ぬまでの時間を無機質に刻むだけの、意味のないノイズに過ぎなかった。
――あの日、スミス伯爵家の離れに連れてこられるまでは。
◇◇◇◇◇
11歳の時、私は「質の悪い在庫処分」としてスミス家に二の足を踏むような安値で買われた。
連れて行かれたのは、本邸の敷地の端にある、ボロボロの離れ。
そこで私は、彼――リーファス様に出会った。
輝く銀色の髪に、宝石のように澄んだ碧眼。
スミス家の誰よりも高貴で美しい少年。けれど、彼もまた私と同じだった。「魔力がない」という理不尽な理由だけで、実家からゴミのように捨てられた存在。
彼を一目見た瞬間、私は自分の汚さを心底恥じた。こんな美しい人の視界に、私のような穢れた黒色が映ってはいけない、と。だから私は床に必死に這いつくばり、涙を流して謝った。存在してしまってごめんなさい、と。
でも、リーファス様は違った。
『クリス。その黒髪も瞳も、隠す必要はない』
彼は私の顎を優しく持ち上げ、あの透き通る瞳で、真っ直ぐに私を見つめた。そこには軽蔑も、憐れみもなかった。あったのは、まるで至高の宝物を見つけたかのような、純粋な好奇心と温かさ。
『闇に溶け、敵の意表を突くには最高の色だ。君は強くなるよ』
その言葉は、私の世界を鮮やかに塗り替えた。
忌み嫌われた黒色が、彼にとっては「最高の武器」になるという。凍りついていた私の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。生まれて初めて、深く呼吸ができた気がした。
あの日、私はただ人間に戻ったのではない。
私は、リーファス様という名の「太陽」だけを見上げる、一輪の向日葵に生まれ変わったのだ。
◇◇◇◇◇
それからの生活は、まるで夢のようだった。
リーファス様は私に、読み書きを、食事の作法を、そして何より「生きる術」を教えてくれた。
「クリス、君の魔力は『呪い』じゃない。空間を書き換える『鍵』だ」
彼は私が無意識に暴走させていた闇の魔力を、見たこともない緻密な術理で制御させていった。
影に潜む方法。視界の遮られない空間を削り取り、敵の首を飛ばす方法。そして、目の前の空間を歪めて繋げることで、受けた攻撃をそのまま敵へと送り返すカウンターの方法。
彼が教えてくれる術理は、この世界の退屈な魔術体系とは根本から異なっていた。まるで、遙か遠い別の世界の理をすべて知悉しているかのような……。
私は死に物狂いで彼に食らいついた。優雅に紅茶を淹れるメイドとしての所作も、影から邪魔者を屠る暗殺者としての技術も、すべては彼のためだけに。
◇◇◇◇◇
そんな私たちの関係が、より特別なものになったのは、お母上であるマリー様がお亡くなりになった翌日のことだった。
リーファス様は、私にだけ、その胸の奥に秘められた大いなる「秘密」を打ち明けてくださったのだ。
ご自身がこの世界ではない、遥か遠い別の世界から記憶を持って生まれ変わってきた存在であること。そこには魔法こそないが科学という理が発展し、この世界より遥かに文明が進んでいること。そして前世のリーファス様は、こちらで言う「レイス」のような悪霊を専門に退治する、最強の陰陽師というお仕事をされていたこと――。
「だから私は、この世界の理不尽をすべて打ち砕くために力を磨いている。クリス、私と一緒に来てくれるか?」
そう言ってまっすぐに差し出された手を見た瞬間、私の胸は歓喜で激しく震えた。
すべてが腑に落ちたのだ。3歳も年下のはずなのに、下手な大人など足元にも及ばない圧倒的な落ち着きと気品。光魔法でしか倒せないはずのレイスを、魔力ゼロの身で容易く消滅させてみせるあの超常の技。そのすべてが、彼の孤独な戦いの軌跡だったのだと。
畏れなど微塵もなかった。ただ、世界で自分だけが彼の本当の姿を知っているのだという事実に、脳が溶けるほどの幸福感を覚えた。
「――どこまでもお供いたします、我が主」
私はその手を強く握り返し、魂のすべてを懸けて永遠の忠誠を誓った。
◇◇◇◇◇
そして、リーファス様が15歳になる前夜。
私たちは、翌朝の出発に向けて粗末な荷物をまとめていた。
明日、リーファス様は正式に家を追放される。
伯爵家の愚かな兄たちは、私を「嫌がらせの餞別(押し付け品)」として彼に押し付けるつもりらしい。可哀想な人たち。それが私にとって、この上ない「極上のご褒美」だとも知らずに。
月明かりの下、静かに眠るリーファス様の寝顔を盗み見る。
整った顔立ち。長いまつ毛。この人が、魔力がないというだけで「無能」と呼ばれるなんて、この世界は本当に狂っている。
でも、それでいい。世界が彼を認めないのなら、私が世界を否定する。世界が彼を傷つけようとするなら、私がそのすべてを切り裂くだけだ。
私は己の黒髪を一房、愛おしく指に絡めた。
かつて呪ったこの黒は、今や彼を守るためだけに研ぎ澄まされた「闇」。
(リーファス様。あなたが光の中を歩むなら、私はその足元に伸びる絶対の影になりましょう)
あなたの敵となるものは、たとえ世界の神であろうと、私の闇で残さず飲み込んでみせる。
私はそっと、彼の頬に触れないギリギリの距離で、静かな口づけを送った。
奴隷の首輪はとうに外れたけれど、私の魂に刻まれた「リーファス様のもの」という見えない刻印は、たとえ死んでも消えることはない。
さあ、夜明けだ。
私たちの、愛おしい地獄への旅が始まる。
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