摩天楼の裏社会と不可視の群狼
6月8日、大幅にブラッシュアップ(加筆・修正)いたしました。
キャラクターの心情や設定をより深く掘り下げていますので、初見の方も、再読の方も楽しんでいただければ幸いです!
「歩くのが遅い。さっさと案内してもらおう」
昼下がりのラスベガス、ビルの隙間に潜む路地裏。鼻血を出して顔を大きく腫らしたチンピラの背中を軽く小突きながら、私は都会の喧騒の奥へと進んでいた。
辿り着いたのは、メインストリートでも一際目を引く巨大なカジノホテルだった。
燦々と降り注ぐ砂漠の太陽光を浴びて、ガラス張りの高層ビルがギラギラと眩しく輝いているが、案内されたのは当然、華やかな正面エントランスではない。
薄暗く簡素な裏口から入り、従業員用の殺風景な通路を抜け、厳重にロックされた専用エレベーターへと乗り込む。向かう先は、このビルの最上階に位置する最高級ペントハウスだ。
静かにエレベーターの扉が開くと、そこには重厚な両開きの扉があり、両脇には丸太のような太い腕をした黒服の巨漢が二人、彫像のように厳めしく立っていた。
「お、お疲れ様です! ボスに上等な『金ヅル』をお連れしましたぜ。……“よく肥えた羊”です」
チンピラがへこへこと卑屈に頭を下げながら、黒服にそう告げる。それと同時に、彼が指先で不自然な隠語を必死に送るのを、私の碧眼は見逃さなかった。
(……なるほど。獲物を罠に誘い込んだという合図か)
私はすべてを気づきながらも、あえてそれを無視して、堂々と扉の奥へと足を踏み入れた。
◇◇◇◇◇
豪華絢爛な部屋に入った瞬間、十数個の金属音が冷たく静かに響き渡った。
「そこまでだ、坊や。変な真似をすれば一瞬でハチの巣だぜ」
部屋のあちこちに潜んでいたギャングの構成員たちが、一斉に手にした拳銃やアサルトライフルの銃口を私に向けていた。案内役のチンピラは一目散に駆け出し、仲間の影へとコソコソと隠れる。
「ひひっ、ざまぁみろクソガキ! ここが俺たち『レッド・スコーピオン』の本部だ!」
私は一切慌てることなく、部屋の中央へと視線を向けた。
そこには、高級な革張りの巨大なソファに深く腰掛け、両脇に露出の多い女性を侍らせた男がいた。でっぷりと醜く肥え太ったその姿は、前世の映画で見た肥満体の怪物を彷彿とさせる。
「俺の若い衆が世話になったようだな。……で、どこの組織の使いだ? 東海岸の連中か? それともチャイニーズ・マフィアか?」
ボスが葉巻の紫煙を気怠げに吐き出しながら、ドスの効いた声で問う。
「さあ、何のことやら。私はただの迷子の観光客だ」
私が平然と澄ました顔で言ってのけると、ボスの顔に青筋が怒張した。
「……ナメたガキだ。足を撃ち抜いて、すべてを吐かせろ」
◇◇◇◇◇
無数の引き金が引かれる寸前、私は静かに息を吐いた。
(……この世界の一般人は、異世界基準で言えば、その辺のゴブリン以下の脅威でしかないな)
私は異世界での過酷な修行と死闘を経て、既に常人とは比べ物にならない膨大な『霊力』を宿している。多少消費したところで一晩寝れば回復するし、何より私のコートのポケットには『魔神の欠片』がある。エネルギーの枯渇など起こり得ない。
近代兵器たる銃火器は確かに厄介だが、それを使う人間が霊的な防壁を一切持たないただの凡人であれば、どうとでもなる。特殊な訓練や素質がない限り、彼らの目には霊も式神も「見えない」のだから。
そして何より、私にとって極めて好都合な条件がこの部屋には揃っていた。
(……随分と阿漕な真似をして人を殺めてきた組織らしい。部屋の至る所に、殺された者たちの『怨霊』がうようよとへばりついている)
雑魚狩りに余計な霊力を使う必要はない。英霊降臨を行うまでもなく、この場にあるエネルギーを効率よく利用させてもらうとしよう。
私は懐から数枚の呪符を取り出し、目の前の虚空へと滑らかに放り投げた。
「お前たちに殺された者たちの怒り、私が形にしてやろう。――『式神転生・群狼の陣』」
放たれた呪符が空中で青白い炎を上げて燃え上がり、部屋に渦巻いていた怨霊の淀んだエネルギーを一気に吸い上げていく。そして次の瞬間、見えない怨念は実体を伴った十数匹の巨大な「狼の式神」へと姿を変えた。
「な、なんだ!? 急に部屋の温度が……凍りつきそうだぞ!?」
「おい、なんか獣の唸り声が聞こえないか……ッ!?」
ギャングたちが一変してパニックに陥る。
彼らの凡俗な目には、目の前に現れた獰猛な狼の姿は映らない。だが、肌を焦がすような獣の悍ましい息遣いと、圧倒的な殺気だけが、狂おしいほどの重圧となって伝わっているのだ。
「やれ」
私が静かに冷酷な命令を下した瞬間、不可視 of 群狼がギャングたちへと一斉に襲い掛かった。
「ギャアアァァッ!!」
「腕が! 何かに腕を噛み砕かれてる!? 見えない、撃て、撃てェッ!!」
恐怖に駆られて乱射される銃弾はすべて虚しく空を切り、高価な調度品を破壊するだけ。
見えない鋭い牙に腕や脚を容赦なく噛み砕かれ、構成員たちは次々と床に転がり、恐怖のあまり泡を吹いて気絶していった。
◇◇◇◇◇
わずか数分後。
ペントハウスに毅然と立っているのは私ただ一人。
完全武装していたギャングたちは、目に見えない恐怖に完全に蹂躙され、全員が床に伏して惨めに呻き声を上げていた。
「ヒィッ……! ば、化け物……! 悪魔め……!」
ソファから無様に転げ落ちたボスが、自らの脚に噛み付く「見えない何か」の圧倒的な風圧に怯え、失禁しながら後ずさる。
私はゆっくりと歩み寄り、ボスの顔を靴底で静かに踏みつけた。
「悪魔じゃない。……私には陰陽師としての顔があってね。さて、命が惜しければ頼みを聞いてもらおう」
「な、なんだってする! 金か!? それとも女か!?」
「そんなものは要らない。必要なのは、この世界での『戸籍』だ」
私は怯えるボスを見下ろしながら、淡々と必要な要求を突きつけた。
数日後。
裏社会のあらゆる違法ルートと莫大な賄賂を駆使し、ボスの手によって一つの完璧な身分証明書が私の手元に用意された。
氏名:リーファス・カモ(賀茂)
身分:日系アメリカ人
パスポートや社会保障番号に至るまで、偽造データなどではなく、国のシステムに完全に組み込まれた「本物」の経歴である。
「これで、この世界でも自由に動けるな」
新しく用意された本物の身分証を手にし、私は満足げに頷いた。
背後では、かつてふんぞり返っていたボスが、今や私の忠実な犬として畏れおののきながら平伏している。
ラスベガスを牛耳る悪名高きギャング「レッド・スコーピオン」。
彼らはこの日を境に、一人の少年を「裏の支配者」として戴く、完璧な資金源兼情報網へと生まれ変わったのであった。
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