深海行破と海淵の死闘
6月1日、大幅にブラッシュアップ(加筆・修正)いたしました。
キャラクターの心情や設定をより深く掘り下げていますので、初見の方も、再読の方も楽しんでいただければ幸いです!
太陽の光が完全に遮絶された、深度三千メートル――そこは、いかなる生物の生存も許さない、絶対的な静寂と狂暴な水圧が支配する完全なる闇の世界であった。
しかし、リーファスの霊力によって強固に構築された『伊号第十九潜水艦』の艦内は、外の地獄が嘘のように、仄かな白銀の霊子の光で穏やかに満たされている。
「……ふぅ。リーファス様、艦内の気圧、および酸素濃度の固定術式、すべて安定いたしました」
額に薄っすらと真珠のような汗を浮かべながら、クリスが凛とした声で報告を上げる。彼女の高度な闇魔術(空間魔法)は、伊19の内部空間を周囲の狂気的な深海水圧から完全に切り離し、地上と変わらない極上の居住環境を維持し続けていた。
「見事だよ、クリス。君のおかげで実に快適な航海だ。……ディード、そっちの様子はどうだい?」
「え、ええ。精霊たちにお願いして、艦の周囲の海流を受け流し、水圧の負荷を分散させているわ。それにしても……」
艦長席に悠然と腰を下ろすリーファスからの問いかけに答えつつ、ディードリットは未だに信じられないといった様子で、周囲を取り囲む無機質な鋼鉄のリベット壁や、不規則に明滅する複雑な計器類を見回した。エルフの常識からは到底測れない「科学の塊」の内部に、彼女の美貌には驚きが隠せない。
「本当に、冷たい鉄の塊の中なのに少しの息苦しさもないのね……。それに、このチカチカ光っている魔道具(計器類)の数々……あなたは一体、どういう仕組みでこれらを動かしているの?」
「私の霊力で、かつて海を支配した英霊たちの記憶をこの空間に具現化しているだけさ。だが、確かに窓がないと外の様子が分からなくて退屈だろう? 少し視界を広げようか」
リーファスは薄く微笑むと、艦長席の前に設置されたコンソールへと、白く細い右手を滑らせるように軽く触れた。
「――『霊視・投影』」
その瞬間、潜水艦を構成する重厚な鋼鉄の壁面がフッと淡い光を放ち、まるで水そのものに変形したかのように半透明に透け渡った。ぐるりと360度、どこまでも昏い深海のパノラマ景色が、艦内へとダイナミックに投影される。霊力で構築されたこの艦自体が、すでにリーファスの肉体であり、鋭敏な感覚器官そのものと化しているのだ。
「わっ……すごい……! まるで、自分自身が海の中に直接浮かんでいるみたいだわ……!」
「リーファス様、素晴らしい視界です。これなら敵の奇襲の余地などありませんね」
二人が少女のように目を輝かせて感嘆の声を上げる中、リーファスの碧眼が、冷徹な一筋の光を帯びて鋭く細められた。
投影された漆黒の海淵の先――海底の底に、不自然に青白く発光しながら、周囲の海水を強引に巻き込んでいる巨大なマナの渦を捉えたからだ。
「……見つけたぞ。あそこがマナラインの結節点だ。どうやら、随分と不躾なお出迎えも用意されているようだがね」
リーファスが示す視界の先。
猛烈に荒れ狂うマナの渦の中心には、深海の絶対王者を誇示するかのような、場違いなほど巨大な珊瑚の王座が鎮座していた。そこに傲然と座していたのは、身長五メートルを超える巨体を持った、醜悪な半魚人の姿をした魔族――魔王四天王の一人、『海淵のダゴン』であった。
全身を鋼の如き硬質な鱗で覆い、そのウェブ付きの太い手には、禍々しい暗黒の魔力を放つ巨大な三叉槍を握りしめている。
さらにその周囲の闇からは、数十メートル級の巨体を誇る大王烏賊の変異体や、鋭い牙を剥き出しにした深海魚の姿をした無数の巨大な魔物たちが、王座を護衛するようにニョロニョロと蠢き、姿を現していく。
『……何だ、あの不気味な鉄の筒は。人間の乗り物だと? 否、あり得ん! 人間ごときがこの深海に生きて届くはずがない……だが、あの鉄塊からは凄まじい純度の力が放たれておる……!』
ダゴンの驚愕に満ちた怒声が、水を媒介とした強力な精神念話となり、強烈な圧力となって艦内にまで響き渡る。深海の絶対支配者を自負する彼にとって、生身の人間がこの深度まで、しかも傷一つなく到達したという事実そのものが、天変地異に等しい想定外の事態であった。
『ええい、正体不明のガラクタめが! 誰かは知らんが、魔王様復活の儀式を邪魔することは許さん! 沈め、深海の眷属ども! その鉄の皮ごと、噛み砕いて肉片に変えてしまえ!!』
ダゴンが三叉槍を激しく振り下ろすと同時に、周囲を埋め尽くしていた無数の深海魔物たちが、一斉に『伊19』を目がけて牙を剥き、弾丸のような速度で突進してきた。
「敵影多数、急速接近。……まったく、海の底まで来て、これほど騒々しい大歓迎を受けるとはね」
目前に迫る、無数の巨大な顎と這い寄る触手の群れ。地上であれば国家規模の災厄とされるその光景を前にしても、リーファスは眉一つ動かさず、むしろ楽しげに口角を釣り上げた。その碧眼には、恐怖など微塵も存在しない。
「クリス、ディード、衝撃に備えろ。これより、一方的な駆逐戦闘に入る」
リーファスは己の魂を、大洋の隠密頭・木梨鷹一の記憶へと深く同調させる。前世の地球において、ただの一度で敵の主力艦隊を恐怖のどん底に叩き落とした大日本帝国海軍が誇る「最強の雷撃技術」を、この異世界の深海に解き放つべく、彼は凛とした冷徹な声で号令を下した。
「――一番から四番発射管、九三式酸素魚雷、装填。目標、正面から接近する魔物群。……歴史に名高い無航跡の牙だ、往け(て)ッ!」
リーファスの極限まで圧縮された白銀の霊力を原動力として生成された、不可視の兵器「九三式酸素魚雷」。
それは、魔法の感知すら一切寄せ付けない不気味な無航跡の刃となり、音もなく、しかし圧倒的な殺意を持って、深海の闇へと解き放たれた。
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