ドーバー海峡、荒波を越えて
5月27日、大幅にブラッシュアップ(加筆・修正)いたしました。
キャラクターの心情や設定をより深く掘り下げていますので、初見の方も、再読の方も楽しんでいただければ幸いです!
北のダンジョン「氷鋼の蒼宮」での死闘から数日後。
私たちは、パリの中心部にある探索者ギルド・パリ支部にいた。
最上階の支部長室には、重苦しい沈黙が降りている。
「……信じられん。ブリタニア王室直属の『鴉』が、我が国のダンジョンでスタンピードを画策していたとは!?」
初老のパリ支部長ジャンは、机の上に置かれた大魔石の破片と、クリスの「影の檻」から引きずり出され、床に転がされている黒装束の男たちを交互に見比べ、深くため息をついた。
「事実は小説よりも奇なり、と言うだろう? 支部長殿。それにしても、随分と物騒な隣人を持ったものだ」
高級な革張りのソファに深く腰掛け、用意された紅茶を優雅に啜りながら、リーファスは老成した笑みを浮かべる。その背後には、微動だにせず控えるメイド姿のクリス。
「……Cランク探索者、『銀影』のリーファス。お前の報告が事実なら、これは明確な条約違反。最悪、国家間の戦争に発展するぞ」
「だからこそ、探索者ギルドの出番だろう? 国家の枠組みを超えた『世界探索者ギルド』として、ブリタニアのロンドン支部に直接この請求書を叩きつければいい」
「言うのは簡単だがな……」とジャンが頭を抱えたその時、部屋の隅で腕を組んでいた人影が動いた。
「彼らの言い分は事実でしょう、ジャン支部長。この装備に施された魔力隠蔽の術式……間違いなく、我が祖国の暗部のものです」
涼やかな、しかし芯のある凛とした声。
そこに立っていたのは、透き通るような白い肌と、長く尖った耳を持つエルフの女性だった。
陽光を編み込んだような金糸の髪を揺らし、腰には装飾の施された細身の長剣を帯びている。
彼女こそ、ロンドン支部所属にして、現在パリに客将として滞在中のSランク探索者。
『絶剣』の二つ名を持つ、ディードリット・エアリアルであった。
「……恥ずかしい限りです。誇り高きブリタニアの騎士が、他国でこのような卑劣な真似を企てていたとは!!」
ディードリットは苦渋の表情で黒装束たちを睨みつけた後、リーファスへと鋭い視線を向けた。
「しかし、解せません。この『鴉』たちは最低でもAランク相当の実力者揃い。おまけに、深層の主『ゼロ・ギガース』まで現れたと聞きました。それを、わずか15歳の少年と従者の二人だけで制圧したと?」
ディードリットの翡翠色の瞳が、リーファスの底を暴こうと細められる。
「リーファス様を愚弄するおつもりですか、エルフの剣士殿」
主を疑われたクリスの足元から、黒い影が鎌首をもたげる。室内の温度が急激に下がった。
「よせ、クリス。……無理もないさ。私だって、他人が同じ話をしたら鼻で笑う」
リーファスはクリスを片手で制し、ティーカップをことりと置いた。
「信じる信じないは君の自由だ、エルフのお嬢さん。だが、結果として私たちは生きてここにいて、こいつらは転がっている。それが全てだ」
「……お嬢さん、とは随分な口を利きますね。私の方が百年は長く生きているののですよ?」
「ははっ、それは失礼。私から見れば、君も十分に若々しいからな」
精神年齢55歳のリーファスからすれば、長命なエルフといえど、感情を隠しきれない彼女はまだ若輩に見えた。その余裕の態度に、ディードリットは少しだけペースを崩される。
「……支部長」
ディードリットはジャンに向き直った。
「この不祥事、我が祖国の問題です。私が責任を持って、この者たちと事の顛末を記した書簡を、ブリタニアのロンドン支部長のもとへ護送します」
「うむ……お主がそう言ってくれるなら助かるが。相手は暗部だ、道中、口封じの襲撃があるかもしれんぞ」
「構いません。『絶剣』の誇りにかけて、必ず送り届けます」
「なら、私たちも同行しよう」
あっさりと手を挙げたリーファスに、ディードリットが目を見開く。
「な、何を言っているのですか? あなたたちは被害者であり、もう十分な役割を果たしたはずです。これはSランクの私の任務――」
「いやいや、私が見つけた獲物だ。最後まで見届けないと気が済まない性分でね。それに……」
「リーファスは立ち上がり、窓の外、遠く北の空を見つめた。
「一度、霧の都の紅茶(本場の味)を楽しんでみたかったんでね」
◇◇◇◇◇
数日後。
荒れ狂うドーバー海峡を渡る大型の魔導船の甲板に、三人の姿があった。
「……本当に、ただの観光気分のようですね」
海風に美しい金髪をなびかせながら、ディードリットは未だに信じられないといった様子で呆れたように呟く。
「船旅なんて前世……いや、昔からあまり縁がなくてな。この荒々しい潮風も悪くない」
軍服風のロングコートを翻し、船の手すりにもたれかかるリーファス。その横では、クリスが嬉々として自身の『影魔法』の空間から、淹れたてのように湯気を立てる温かいお茶を取り出し、甲斐甲斐しく手渡している。
船の底倉には、厳重な魔法陣の牢に閉じ込められた工作員たちが積まれていた。パリ支部長からの親書は、ディードリットの胸元に厳重に保管されている。
だが、国家の暗部がこのまま大人しく護送されるはずもない。当然、彼らを奪還、あるいは生きて国境を越えさせまいとする「最悪の追手」は現れた。
それは、海峡の中間地点に差し掛かった時のことだ。
突如として海面が激しく波打ち、ブリタニアの暗部に雇われたと思しき凶悪な「海賊」の魔導艦隊が、周囲を包囲するように出現した。さらに最悪なことに、彼らは禁忌の魔術によって操られた、全長数十メートルを超える伝説級の巨大海竜「シーサーペント」を伴って強襲を仕向けてきたのである。
牙を剥く数十隻の重装甲船と、天を衝くほどの質量で海割って現れた海竜の咆哮。
「チッ、口封じの軍勢ですか……! 船を沈める気ですね!」
ディードリットが瞬時に顔色を変え、その華奢な身体からSランク特有の凄まじい魔力を噴出させ、腰のレイピアを抜こうとした――その時だった。
「……ふむ。海戦なら、うってつけの英霊がいるな」
リーファスは激しい海風に銀髪をなびかせながら、涼しい顔で不敵に指先で印を結んだ。
「英霊降臨:山本五十六。――部分召喚『戦艦武蔵・四十六糎主砲塔』」
――ゴォォォォォンッ!!!
空間そのものが莫大な質量に耐えかねて悲鳴を上げるような、悍ましい重低音が響き渡る。次の瞬間、魔導船の頭上の虚空に、あり得ない漆黒の「鋼鉄の怪物」が顕現した。
全長二十メートルを優に超える、大和型戦艦二番艦『武蔵』の象徴たる、世界最大最強の三連装主砲塔。異世界の住人が見れば、巨大な鋼鉄の砦が宙に浮いているようなものだ。
駆動油の匂いと圧倒的な金属の威圧感を放ちながら、その巨大な三本の砲身が、ゆっくりと海賊艦隊とシーサーペントへと照準を合わせた。
「な、なんですかあれは……!? 巨大な鋼の……筒!? 魔法陣もなしに、あんな質量を……!」
「一斉射撃!!」
――ズドォォォォォォォォンッッッ!!!
鼓膜を叩き割らんばかりの爆音と共に、放たれた絶大な閃光がドーバーの海原を真っ二つに引き裂いた。
着弾の瞬間、炸裂した超大質量弾の破壊エネルギーは、海水を何万トンと一瞬で蒸発させ、数十隻の海賊艦隊ごと、伝説の海竜シーサーペントの巨体を文字通り跡形もなく「消滅」させた。
悲鳴を上げる暇すら与えない、神の雷霆の如き完全なる蹂躙。
世界を揺るがした圧倒的な武威の前に、さっきまで荒れ狂っていた海は、嘘のように波を失い、完全なる静寂を取り戻した。
「…………っ」
あまりにも次元の違う光景を前に、レイピアを半分抜いた姿勢のまま、文字通り指先まで完全に硬直するディードリット。
限界まで見開かれた翡翠色の瞳は、カタカタと恐怖と驚愕に震えている。
その真横で、メイド服のクリスはここぞとばかりにふんぞり返り、これ以上ないほど見事な、誇らしげな『ドヤ顔』を決めていた。
「当然です。リーファス様にかかれば、海の屑など一瞬で消し飛ぶ運命なのです。エルフの剣士殿、少しは我が主の偉大さが分かりましたか?」
「(……魔力を持たないのに、あのような規格外の武具を召喚し、世界の理さえ粉砕する。彼はいったい、何者なの……!?)」
圧倒的な武威を見せつけられ、ディードリットは横顔に老成した凄みを垣間見せる銀髪の少年に、深い畏怖と、説明のつかない強い興味を抱いていた。
「見えてきたぞ、ディードリット殿」
リーファスの声に、彼女はハッと我に返る。
灰色の分厚い雲の下。
鉛色の海を越えた先に、無数の煙突が吐き出すスモッグに霞む巨大な街の輪郭が浮かび上がってきた。
産業革命の熱気と、古き魔術の神秘が混在する大英帝国の心臓部。
「あれが……ロンドン」
「ええ。我が祖国であり……今の腐敗した権力者たちが巣食う都です」
「安心しろ。淀んだ空気には、強烈な換気が必要だ。魔を祓うのは、私の専門だからな」
リーファスはニヤリと笑い、腰に差した祖父の形見、和泉守藤原兼重の柄をポンと叩いた。
フランス全土を席巻した「現代陰陽師」の次なる舞台は、陰謀渦巻く霧の都。
波乱に満ちるであろうブリテンの地にリーファスは心を踊らせた。
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