幕間:王水(ジャービル)と戦闘機(ハルトマン)で挑む陰陽師(クリス回想)
5月27日、大幅にブラッシュアップ(加筆・修正)いたしました。
キャラクターの心情や設定をより深く掘り下げていますので、初見の方も、再読の方も楽しんでいただければ幸いです!
暗く、冷たい北の最難関ダンジョン――「氷鋼の蒼宮」の冷徹な空気の中を歩きながら、私、クリスは、一歩前を行く愛しい主の背中をうっとりと見つめていた。
銀糸のように艶やかな髪を高い位置でポニーテールに結い上げ、仕立ての良い軍服風の外套を軽やかに翻して歩くその背中は、この禍々しい地下迷宮にあってさえ、世界の中心であるかのように眩しい。
スミス伯爵家を共に追放されてから、まだ半年。
けれど、私たちの――いいえ、リーファス様の歩みは、この世界のあらゆる常識と因習を、あまりにも容易く蹂躙し尽くしていた。
パリ支部の探索者ギルドを初めて訪れた、あの始まりの日のことは、今でも脳裏に鮮明に焼き付いている。
「魔力なしの出来損ない」と鼻で笑った愚鈍な受付嬢や、子供と侮って絡んできた分不相応な荒くれ者たち。あの有象無象どもがリーファス様に向けた汚らわしい嘲笑が、実力試験での圧倒的な無双劇によって、見事なまでの絶望と畏怖の表情へと塗り替えられたあの瞬間。思い出すだけで、私の胸の奥は極上の歓喜で満たされる。
結果は、ギルドの歴史を覆す特例の「Cランク登録」。
当然だ。あの盲目の豚どもは、リーファス様の爪の先に宿る神秘の、その一割すら理解していなかったのだから。
その後、西の港町近郊での初仕事を文字通り「お散歩」のように平定したのを皮切りに、リーファス様の進撃は加速した。
東西南北の迷宮を制覇するという主の覇道に付き従い、足を踏み入れた、東の「翡翠の樹海」での戦い。
あれは本当に、身震いするほど美しい光景だった。
私たちの前に立ちはだかったのは、並大抵の魔法をことごとく弾き返す強固な外殻を持った、巨大毒蜘蛛アラクネ・ロードの軍勢。通常であれば、高ランクの魔術師が師団を組んで挑むべき災厄だ。
けれど、リーファス様は涼やかな碧眼をただ退屈そうに細め、静かにその唇を開いた。
――『英霊降臨:ジャービル・ブン・ハイヤーン』。
主の手中に現れたのは、この世界の誰も見たことがない、奇妙で複雑な硝子管と真鍮で組まれた歪な器具――リーファス様が「王水噴霧器」と呼んだ、近代化学の先駆者の遺物。
そこからシューッと、霧状の黄金色の液体が散布された瞬間、蜘蛛たちの誇る無敵の装甲は、悲鳴を上げる間もなくドロドロの肉粥へと溶け落ちた。殻も、肉も、内臓も、すべてが泡を吹いて液状化していく。
強酸の饐すえた匂いが立ち込める中、眉ひとつ動かさず、優雅に敵を消滅させていくリーファス様の完璧な横顔。私は危うく、その場に膝を突いて崇拝の祈りを捧げそうになってしまった。
さらに、南の「紅蓮の火山道」では、生態系の頂点たる火竜ファイア・ドラゴンと相対した。
『クリス、ブレスは任せるぞ』
そう言って、あの至高の声音で私を頼ってくださった瞬間、私の魂は喜びで狂わんばかりに打ち震えた。
私は、リーファス様から授かったこの闇の力――『影魔法』を全開に展開し、火竜が吐き出した世界を灼く業火を、巨大な影の顎を開いて一滴残らず胃袋へと呑み込んでみせた。
世界中がリーファス様を敵に回そうとも、私だけは、主を護る絶対の盾になれる。その事実が、誇らしくてたまらない。
そして、自慢の息吹を封じられて無様に隙を晒したトカゲに対し、リーファス様が呼び下ろした英霊は、これまでのどの「武器」の概念をも超越した、巨大な黒鉄の塊だった。
――『英霊降臨:エーリヒ・ハルトマン』。
主の凛とした詠唱が響いた瞬間、激しい地響きと共に、広大な火山道の足元へ白銀に輝く『霊力の滑走路』が眩い光の帯となって一直線に伸びた。
その光の滑走路の上へと、膨大な光の粒子が猛烈な密度で集束し、凝縮していく。粒子は瞬く間に強固な輪郭を形作り――顕現したのは、大空を統べる鉄の怪鳥……「メッサーシュミットBf109」と呼ばれる、異世界の戦闘機。
ドゴゴゴゴゴゴォォォォンッ!!!!!
天を切り裂き、火山道全体を激しく揺さぶる、プロペラのけたたましい爆音とエンジンの咆哮。
圧倒的な質量と威容を誇る「黒鉄の怪鳥」を前に、リーファス様は恐れる風もなく、纏った軍服風のコートを風に颯爽と翻した。その美しい銀髪を爆風に揺らしながら、流れるような優雅な動作でコックピットへと乗り込んでいく。その一連の仕草があまりにも絵になり、私はまたしても息を呑んだ。
バァァァァァァンッッ!!!
キャノピーが閉まると同時に、メッサーシュミットは光の滑走路を猛烈な速度で滑走し、凄まじいGを置き去りにして大空へと華麗に飛び立った。
火山道の広大なドーム状の天井へと向かって急上昇し、重力を嘲笑うかのように鋭く反転、傾斜。美しい弧を描いて旋回した怪鳥は、完全に火竜の真上――完璧なドッグファイトの『背後』を捉える。
上空から獲物を見下ろすリーファス様の冷徹な碧眼と連動するように、怪鳥の機首がピタリと火竜に照準を合わせた。
次の瞬間、放たれたのは光の豪雨。
プロペラの回転と完全に同期した機関銃が凶悪な火花を散らし、上空からの無慈悲な掃射が、無防備な火竜の巨体を蹂躙していく。
強靭な竜鱗を紙切れのようにハチの巣に変え、どす黒い血飛沫を上げながら崩れ落ちる巨獣。
圧倒的。ただただ、あまりにも一方的な空からの蹂躙。
この世界の限界とも言える火竜でさえ、大空を自在に駆けるリーファス様の前では、ただの動きの鈍い的に過ぎないのだ。
「……ふふ、ふふふっ」
思い出すだけで、下腹部のあたりが熱くなる。魔力が無いからとリーファス様を虐げ、ゴミのように捨てたスミス伯爵家の無能どもに、いつかあの神の如き蹂躙を見せつけてやりたい。
彼らが自身の愚かさを知り、絶望と恐怖で顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃに変えて許しを請う姿を、リーファス様の足元でじっくりと見下ろしてあげるのだ。
そんな仄暗い悦楽の妄想に浸りながら歩いていると、前を行くリーファス様が、ぴたりと足を止めた。
どうやら、愛しい思い出に耽る時間はここまでらしい。私は即座に、冷徹な給仕メイドの顔へと戻り、主の斜め後ろへと並ぶ。
「……クリス。どうやら、薄汚いネズミが紛れ込んでいるな」
リーファス様が、腰に差した祖父の形見『和泉守兼重』の柄に、白く滑らかな指先をそっと添える。
主の碧眼が捉えた視線の先。巨大な蒼い大魔石の影から、音もなく姿を現したのは、迷宮の魔物ではなかった。
光を吸い込むような不気味な黒い隠密装束に身を包み、鋭く、洗練された殺気を放つ数人の男たち。
その身のこなし、そして装備の隠密性には見覚えがある。そこらの野盗でもなければ、フランス国内の探索者でもない。
「……ブリタニア王室直属の工作員、か。他人の家の庭で、随分ときな臭い真似をしてくれているじゃないか」
リーファス様の静かな、しかしすべてを見抜いたような呟きに、黒装束の男たちの目が、驚愕に僅かに見開かれた。
なぜフランス北部の、それもこの深層にブリタニアの暗部が潜入しているのか。その正確な理由はまだわからない。
けれど――理由など、どうでもいい。
一つだけ、天の理よりも確実に狂いのない事実がある。
彼らが、私の愛するリーファス様にその不浄な刃を向けようというのなら。
この凍てつく極寒の迷宮の底が、彼らの哀れな墓標になるということだ。
私は、愛しい主の背中を、この世の何者からも冒涜させないよう、足元の影から静かに濃厚な魔力を練り上げながら、敵に向かって、最高に冷酷で、極上に美しい微笑みを浮かべた。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます! 次回から新展開に突入します。
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