ドーバー海峡、荒波を越えて
北のダンジョン「氷鋼の蒼宮」での死闘から数日後。
パリの中心部にある探索者ギルド・パリ支部。
その最上階の支部長室には、重苦しい沈黙が降りていた。
「……信じられん。ブリタニア王室直属の『鴉』が、我が国のダンジョンでスタンピードを画策していたとは」
初老の支部長ジャンは、机の上に置かれた大魔石の破片と、クリスの「影の檻」から引きずり出され、床に転がされている黒装束の男たちを交互に見比べ、深くため息をついた。
「事実は小説よりも奇なり、と言うだろう? 支部長殿。それにしても、随分と物騒な隣人を持ったものだ」
高級な革張りのソファに深く腰掛け、用意された紅茶を優雅に啜りながら、リーファスは老成した笑みを浮かべる。その背後には、微動だにせず控えるメイド姿のクリス。
「……Cランク探索者、『銀影』のリーファス。お前の報告が事実なら、これは明確な条約違反。最悪、国家間の戦争に発展するぞ」
「だからこそ、ギルドの出番だろう? 国家の枠組みを超えた『世界探索者ギルド』として、ブリテン支部に直接この請求書を叩きつければいい」
「言うのは簡単だがな……」とジャンが頭を抱えたその時、部屋の隅で腕を組んでいた人影が動いた。
「彼らの言い分は事実でしょう、ジャン支部長。この装備に施された魔力隠蔽の術式……間違いなく、我が祖国の暗部のものです」
涼やかな、しかし芯のある凛とした声。
そこに立っていたのは、透き通るような白い肌と、長く尖った耳を持つエルフの女性だった。
陽光を編み込んだような金糸の髪を揺らし、腰には装飾の施された細身の長剣を帯びている。
彼女こそ、ブリテン支部所属にして、現在パリに客将として滞在中のSランク探索者。
『絶剣』の二つ名を持つ、ディードリット・エアリアルであった。
「……恥ずかしい限りです。誇り高きブリタニアの騎士が、他国でこのような卑劣な真似を企てていたとは」
ディードリットは苦渋の表情で黒装束たちを睨みつけた後、リーファスへと鋭い視線を向けた。
「しかし、解せません。この『鴉』たちは最低でもAランク相当の実力者揃い。おまけに、深層の主『ゼロ・ギガース』まで現れたと聞きました。それを、わずか十五歳の少年と従者の二人だけで制圧したと?」
ディードリットの翡翠色の瞳が、リーファスの底を暴こうと細められる。
「リーファス様を愚弄するおつもりですか、エルフの剣士殿」
主を疑われたクリスの足元から、黒い影が鎌首をもたげる。室内の温度が急激に下がった。
「よせ、クリス。……無理もないさ。俺だって、他人が同じ話をしたら鼻で笑う」
リーファスはクリスを片手で制し、ティーカップをことりと置いた。
「信じる信じないは君の自由だ、エルフのお嬢さん。だが、結果として俺たちは生きてここにいて、こいつらは転がっている。それが全てだ」
「……お嬢さん、とは随分な口を利きますね。私の方が百年は長く生きているのですよ?」
「ははっ、それは失礼。俺から見れば、君も十分に若々しいからな」
精神年齢五十五歳のリーファスからすれば、長命なエルフといえど、感情を隠しきれない彼女はまだ若輩に見えた。その余裕の態度に、ディードリットは少しだけペースを崩される。
「……支部長」
ディードリットはジャンに向き直った。
「この不祥事、我が祖国の問題です。私が責任を持って、この者たちと事の顛末を記した書簡を、ロンドンのブリテン支部長のもとへ護送します」
「うむ……お主がそう言ってくれるなら助かるが。相手は暗部だ、道中、口封じの襲撃があるかもしれんぞ」
「構いません。『絶剣』の誇りにかけて、必ず送り届けます」
「なら、俺たちも同行しよう」
あっさりと手を挙げたリーファスに、ディードリットが目を見開く。
「な、何を言っているのですか? あなたたちは被害者であり、もう十分な役割を果たしたはずです。これはSランクの私の任務――」
「いやいや、俺が見つけた獲物だ。最後まで見届けないと気が済まない性分でね。それに……」
リーファスは立ち上がり、窓の外、遠く北の空を見つめた。
「一度、霧の都の紅茶(本場の味)を楽しんでみたかったんでね」
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数日後。
荒れ狂うドーバー海峡を渡る大型の魔導船の甲板に、三人の姿があった。
「……本当に、ただの観光気分のようですね」
海風に金髪をなびかせながら、ディードリットは呆れたように呟く。
「船旅なんて前世……いや、昔から縁がなくてな。潮風が悪くない」
軍服風のロングコートを翻し、手すりにもたれかかるリーファス。その横では、クリスが甲斐甲斐しく彼に温かいお茶(特注の保温魔導具入り)を手渡している。
船の底倉には、厳重な魔法陣の牢に閉じ込められた工作員たちと、パリ支部長からの親書が積まれている。
当然、彼らを奪還、あるいは口封じしようとする追手は現れた。数時間前、海峡の中間地点でのことだ。
暗部に雇われたと思しき凶悪な**「海賊」の艦隊が、魔術で操られた巨大な海竜「シーサーペント」**を伴って強襲を仕掛けてきたのである。
荒れ狂う波間から現れた数十隻の海賊船と、天を衝く海竜の姿に、ディードリットが顔色を変えてレイピアを抜こうとした――その時だった。
「……海戦なら、うってつけの英霊がいる」
リーファスは海風に銀髪をなびかせ、静かに印を結んだ。
「英霊降臨:山本五十六。――部分召喚『戦艦武蔵・四十六糎主砲塔』」
ゴォォォォォンッ!!
空間が軋むような轟音と共に、魔導船の頭上に、あり得ない質量の「鋼鉄の塊」が顕現した。
全長二十メートルを優に超える三連装砲。この世界には存在しない、超弩級戦艦の主砲塔である。それが、ゆっくりと海賊艦隊とシーサーペントへ砲星を向けた。
「な、なんですかあれは……!? 巨大な鋼の……筒!?」
「一斉射撃」
ズドォォォォォォォォン!!!
放たれた絶大な閃光と爆風が、海を真っ二つに割った。
炸裂した大質量弾は、数十隻の海賊船ごと巨大なシーサーペントを文字通り「蒸発」させた。悲鳴を上げる暇すら与えない、完全なる蹂躙。圧倒的な破壊力の前に、荒れ狂っていた海は一瞬にして静寂を取り戻した。
「…………っ」
あまりの光景に、レイピアを構えたまま完全に硬直するディードリット。
限界まで見開かれた翡翠の瞳は、驚愕に震えている。
その横で、メイド服のクリスはふんぞり返り、これ以上ないほどの見事な**『ドヤ顔』**を決めていた。
「当然です。リーファス様にかかれば、海の屑など一瞬で消し飛ぶ運命なのです。エルフの剣士殿、少しはリーファス様の偉大さが分かりましたか?」
「(……魔力を持たないのに、あのような規格外の武具を召喚し、自然の理さえ粉砕する。彼はいったい、何者なのでしょう……)」
圧倒的な武威を見せつけられ、ディードリットは横顔に老成した凄みを垣間見せる銀髪の少年に、深い畏怖と、説明のつかない強い興味を抱いていた。
「見えてきたぞ、ディードリット殿」
リーファスの声に、彼女はハッと我に返る。
灰色の分厚い雲の下。
鉛色の海を越えた先に、無数の煙突が吐き出すスモッグに霞む巨大な街の輪郭が浮かび上がってきた。
産業革命の熱気と、古き魔術の神秘が混在する大英帝国の心臓部。
「あれが……ロンドン」
「ええ。我が祖国であり……今の腐敗した権力者たちが巣食う都です」
「安心しろ。淀んだ空気には、強烈な換気が必要だ。魔を祓うのは、俺の専門だからな」
リーファスはニヤリと笑い、腰に差した祖父の形見、和泉守藤原兼重の柄をポンと叩いた。
フランス全土を席巻した「現代陰陽師」の次なる舞台は、陰謀渦巻く霧の都。
波乱に満ちたブリテン編の幕が、今ここに上がった。
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