後日談6:おとぎ話の続きと、英雄を護る盾
新居にある、豪奢なシャンデリアが照らす客間。
今宵は、エリーの婚約を祝うためのささやかな食事会が開かれていた。招待されたのは、彼女に聖魔法を叩き込んだ恩師であり、Sランク探索者である『聖女』カタリナただ一人である。
「エリザベス。あなたがこれほどまでに立派なレディとなり、そして素晴らしい伴侶を得たこと……師として、これほど鼻が高いことはありませんよ」
白のドレスに身を包んだカタリナは、淑女の鑑のような優雅な所作でワイングラスを傾けた。しかし、空になった最高級のワインボトルが物語るように、彼女の白磁のような頬はほんのりと桜色に染まり、明らかにほろ酔いの状態だった。
「もったいないお言葉ですわ、お師匠様。わたくしがリーファス様の隣に立てるのも、すべては厳しくも優しいお師匠様のご指導のおかげですわ」
金髪の縦ロールを揺らし、エリーは誇らしげに緑の目を輝かせた。ブリタニア王国の第三王女としての気品と、過酷な探索を生き抜いてきた芯の強さが、今の彼女には同居している。
だが、上機嫌に微笑んでいたカタリナの視線が、不意に、エリーの隣に座るリーファスへと向けられた。
「それにしても、リーファス様……」
とろんとした、普段の厳格な聖女からは想像もつかない艶やかな瞳。カタリナはグラスをテーブルに置くと、ふわりと甘い香りを漂わせながら、リーファスの隣へと身を乗り出してきた。
「間近で拝見すると、本当に吸い込まれそうなほど美しい碧眼をしていらっしゃる。そのうえ、世界を救うほどの力と器の大きさ……ふふっ。もし、よろしければ……私も、あなたの伴侶の末席に加えていただいたり……なんて」
「お、お師匠様!? な、なにを仰っていますの!!」
至近距離でリーファスを見つめるカタリナに、エリーの余裕は一瞬で消え去った。緑の目を限界まで見開き、立ち上がって二人の間に割って入ろうとする。
「シロ!」
エリーが短く呼ぶと、部屋の隅で静かに羽を休めていた使い魔の白フクロウが、音もなく飛来した。シロが二人の間でバサリと羽ばたくと、カタリナとリーファスの間に、薄く光り輝く『反射結界』がふわりと展開された。
Sランク直伝の絶対防御。それを、愛する男を恩師のからかいから遠ざけるためのパーテーションとして使ったのだ。
「あらあら」
目の前に張られた完璧な光の盾を見て、カタリナは悪びれる様子もなく、上品にくすくすと笑い声を上げた。
「ふふっ、冗談ですよ。少しからかってみただけです。……でも、咄嗟の無詠唱での結界展開、実に見事でした。私の教えを、しっかり自分のものにしていますね」
「もうっ! お師匠様ったら、心臓に悪いですわ!」
安堵と気恥ずかしさで顔を真っ赤にしたエリーは、反射結界を解き、シロを自身の肩へと戻した。
カタリナは優しく微笑み、エリーの金髪の縦ロールをそっと撫でる。
「エリザベス。あなたのその一途な想いが、あなた自身を強くしたのですね。……リーファス様、どうか私の大切な弟子を、末永くよろしくお願いいたします」
「ええ。私の方こそ、彼女にはいつも助けられていますから」
リーファスが静かに頷くと、カタリナは満足そうに微笑み、夜も更けたからと、用意されていた客室へと優雅な足取りで引き上げていった。
◇◇◇◇◇
客間に残されたのは、リーファスとエリーの二人だけ。
エリーはまだ少し唇を尖らせて、ソファに座るリーファスの腕にぴったりと抱きついていた。
「……お師匠様も、冗談がきついですわ。リーファス様は、わたくしだけの旦那様ですのに」
「そう拗ねないでくれ。カタリナ殿は、エリーの成長を確かめたかっただけだろう」
「分かっておりますわ……。でも、わたくしは、絶対にリーファス様をお護りすると決めているのです」
エリーはリーファスの肩に頭を預け、その透き通るような緑の目で、じっと彼を見上げた。
「……わたくしの母は、第二夫人でした。体が弱く、まるで鳥籠のような離宮から、生涯出ることが叶わなかった人です」
静かに紡がれる、彼女の過去。リーファスは口を挟まず、黙ってその言葉に耳を傾けた。
「幼い頃、母は毎晩、わたくしに絵本を読んでくれました。英雄が、魔物に囚われたお姫様を救い出す、ありふれたおとぎ話です。でも、幼いわたくしはいつも不満でした。『どうしてお姫様は、英雄様を助けてあげないの? 英雄様も怪我をして、血を流して、とっても痛いのに』って」
ただ助けを待つだけの姫。それが、当時のエリーにはひどくもどかしかった。
そんな幼い娘の不満に、病床の母は優しく微笑んで、こう言ったのだという。
『――じゃあエリーは、いつか現れるあなたの英雄様を護れるくらい、強いお姫様になりなさい』
「母のその言葉が、わたくしのすべてになりましたの。……攻撃の魔法ではなく、お師匠様に教えを乞い、ひたすらに癒やしの聖魔法と、この反射結界ばかりを磨き続けたのもそのためです。ただ守られるだけの、鳥籠の姫にはなりたくなかったから」
彼女の脳裏に、祖国での勲章授与式の光景が蘇る。
強大な霊力を操り、世界を救うために傷つきながら戦い抜いた、気高くも孤独な少年の姿。その姿を見た瞬間、エリーの魂は激しく震えた。この人こそが、自分が一生をかけて背中を護り抜くべき『英雄』なのだと。
「だから……南米の過酷な探索の時も、必死にあなたの背中を追いかけました。足手まといではなく、共に戦う仲間として認めてほしかった。あなたが初めて、わたくしを『エリー』と呼んでくださったあの泥だらけのジャングルでの出来事は、わたくしの生涯の誇りですわ」
瞳を潤ませながら微笑むエリー。
王女としての安言な暮らしを捨ててまで、苛烈な前線で戦う自分の隣を選ぶ。その重すぎるほどの愛情と覚悟に、リーファスの胸の奥が熱く締め付けられた。
「……君の張る光の盾と、その使い魔には、私の死角を何度も救ってもらった。私の霊力でも防ぎきれない死線を越えられたのは、君が隣にいてくれたからだ」
リーファスは前世から持ち越した大人の包容力で、その華奢な肩をそっと抱き寄せ、金髪の縦ロールを優しく撫でた。
「私の背中は、これからもずっと君のものだ。頼むよ、エリー」
「――はいっ! リーファス様!」
おとぎ話の姫はもう、ただ塔の上で泣いているだけの存在ではない。
バチカンの夜の静寂の中、自らの意思で自由と愛を掴み取った王女は、愛する英雄の温もりに包まれながら、世界で一番幸せな笑みを浮かべるのだった。
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