後日談3:永遠の日記
その日、陰陽庁から若手陰陽師を中心とした、ある大規模な怪異討伐任務が発令された。
現場は、どす黒い瘴気に包まれた都内の廃ビル。集められた六人ほどの若手精鋭たちの中に、私もいた。私の肩には、いつも通り不敵な笑みを浮かべた黒猫のジルが乗っている。
「――ウオオオオオオッ!!」
ビルの最奥で待ち受けていたのは、巨大な禍々しい姿をした『上級怨霊』だった。
夜の静寂を切り裂くように怨霊が咆哮し、若手の男子たちが一斉に呪符を貼り、結界陣を張って取り囲むけれど、怨霊が放つ圧倒的な霊圧の前に、結界は次々とひび割れていく。
「くそっ、なんて力だ……! 僕たちの霊力じゃ、術式が維持できない!」
「おののくな、陣を死守せよ!」
悲鳴が上がる中、私は一歩前へと踏み出した。
リーファスが遺してくれた術理を、無駄にするわけにはいかない。
「みんな、下がって! ここは私に任せて、バックアップをお願い!」
「な、何を言っているんだ賀茂さん! 一人じゃ危険だ!」
「大丈夫。――いくよ、ジル!」
「にゃあ!(任せて、永遠!)」
ジルが私の肩の上で短く鳴き、リーファスの術理を模倣して、私の霊力循環を全開にするための補助をかけてくれる。私は印を結び、深く息を吸い込んだ。
「――『英霊降臨』! 顕現せよ、日ノ本無双の女武者――巴御前!」
刹那、私の身体から、桜色の鮮烈な霊光が爆発的に立ち昇った。
光の中から現れたのは、猛々しくも美しい大弓を携えた女傑の幻影。私の中に宿った英霊の覇気が、夜のビルの瘴気を一瞬で吹き飛ばす。
私は霊力で編み上げた光の矢を番うと、一ミリの躊躇もなく弦を引き絞り、解き放った。
「――貫けっ!!」
轟音と共に放たれた極大の一矢は、上級怨霊の眉間を正確に射抜いた。
怨霊はおぞましい悲鳴を上げながら、聖なる霊光に焼かれ、一撃のもとに塵となって消滅したのだった。
◇◇◇◇◇
「す、凄い……! 上級怨霊をたった一撃で……!」
「さすが賀茂家の血筋だね、永遠ちゃん!」
作戦終了後、ビルの外で仲間たちから拍手喝采を浴びて、私は「あはは、みんなの協力のおかげだよ」と照れ笑いを浮かべていた。
すると、一緒に参加していた若手女性陰陽師の二人――美咲と結衣が、目を輝かせて私に突撃してきた。
「ちょっと永遠ちゃん! あっち見て、阿部先輩がこっちに来るよ!」
「うそ、本当だ! 今日もめちゃくちゃイケメン……! 絶対永遠ちゃんのこと見てるって!」
二人のミーハーな視線の先から歩み寄ってきたのは、阿部幸春先輩だった。
高名な陰陽師の家系である阿部家の嫡男で、端正な顔立ちと高い実力から、若手の憧れの的となっている先輩。何を隠そう、私も少し前までは「格好いい先輩だな」と、密かに仄かな憧れを抱いていた相手である。
「見事な術式だったよ、永遠さん」
「あ、阿部先輩……! ありがとうございます」
急に名前をファーストネームで呼ばれ、私は一気に耳まで真っ赤にしてドギマギしてしまう。
それを見た美咲と結衣が、待ってましたとばかりに私の背中をツンツンと小突きながら、周囲を巻き込んでお祭り騒ぎのようにはやし立て始めた。
「キャーッ! 先輩から名前呼び!? これ絶対そういうことじゃん!」
「永遠ちゃん顔真っ赤! ヒューヒュー、お熱いねー!」
「ちょ、ちょっと二人とも、からかわないでよ……っ!」
現場が一気にミーハーな熱気で色めき立つ中、阿部先輩は優しげな笑みを浮かべたまま、一歩近づき、私の手をそっと握った。
「君のような素晴らしい陰陽師を、ずっと探していたんだ。……永遠さん、私と交際してくれないだろうか?」
「え、えええええっ!? せ、先輩が、私と……っ!?」
突然の告白に、私の頭は完全にキャパシティオーバーを起こした。
美咲や結衣たちの「付き合っちゃえ!」という黄色い歓声が遠くのノイズのように聞こえる。
だけど、その最高潮の雰囲気の中。
阿部先輩は私の手を握る力を少し強め、さも当然の権利であるかのように、自身の本音をポロッと口に滑らせた。
「君が私の妻になってくれれば、阿部家の箔も付く。何より、君と結婚すれば、あの賀茂家が秘匿している最高位の術理も我が阿部家へと受け継がれるわけだ……。そうなれば、阿部家の安泰とさらなる権力は約束されたも同然だからね」
「…………え?」
その言葉が耳に届いた瞬間、私の脳内を埋め尽くしていた桃色のパニックが、一瞬で極低温の怒りへと凍りついた。
阿部幸春の目は、私という一人の女性を見てなどいなかった。
その奥にある「賀茂家の秘術」という利権だけを、ギラギラとした強欲な目で見つめていたのだ。
私の全身から、先ほどの怨霊戦をも上回るほどの冷徹な霊気が放たれる。
(……この男は、今、なんて言ったの?)
私の脳裏に、かつてこの現代日本で、周囲の蔑みや妨害に遭いながらも、血反吐を吐くような凄まじい修行を重ね、命を削ってあの『魔霊反転』や『英霊降臨』の術式を完成させた、大好きな叔父さん――賀茂時行の姿がよぎる。
あの人が、どれだけの孤独と痛みに耐えて守り抜いた術理だと思っている。
それを、私を利用して、横からお気楽に盗もうなんて――。
「許せない……っ」
「ん? 何か言ったかい、永遠さ――」
パチィィィィィンッ!!!!
静寂を切り裂くような高い音が、現場に響き渡った。
一瞬、何が起きたのか誰も理解できなかった。美咲も結衣も、囃し立てていた男の子たちも、全員が息を呑んで凍りついている。
阿部は自身の左頬を抑え、信じられないものを見る目で床にへたり込んでいた。私が、全力の平手打ちで引っ叩いたのだ。
「調子に乗るのも大概にしてください、阿部先輩」
一気に気持ちの冷めた私は、氷のように冷たい眼差しで、へたり込むイケメン先輩を見下ろした。
「私が憧れていた阿部先輩は、実力もあって、もっと誇り高い陰陽師でした。……他人が血の滲むような努力で作り上げた秘術を、結婚を餌にして横取りしようだなんて、浅ましくて反吐が出ます! あなたとの交際なんて、こちらから全力でお断りです!」
「な……っ、か、賀茂家の分際で、私に向かって……!」
「帰るよ、ジル」
「にゃあ(スカッとする一撃だったよ、永遠)」
呆然と立ち尽くす仲間たちを置き去りにして、私はバサリと髪を翻し、一切の未練なく出口へと歩き出した。
◇◇◇◇◇
ビルを出て家へ向かう帰り道、街を歩いているうちに、夜の静寂が少しずつ明けていくのが見えた。
私はふぅ、と大きなため息をついた。けれど、その表情に暗さはなくて、むしろ憑き物が落ちたような清々しさに満ちていた。
「……やっぱり、あっちの世界のライバルたちに、負けてられないや」
私は地平線の向こうを見つめ、小さく拳を握りしめる。
異世界で四人もの美女――クリス、ディードリット、セイシ、エリザベスと婚約したというリーファス。ジルの解説で聞いたときは「5人目枠もワンチャン……!?」なんてのたうち回って悩んだけれど、身近な男の浅ましさを知ったからこそ、あの人の、どこまでもストイックで高潔な強さが、どれほど特別で愛おしいものだったのかが、痛いほどによく分かった。
中身は大好きな叔父さん、でも今の身体は血縁のないイケメン従弟。
「見ててよね、リーファス。……ジルの補助なしで、最高位の術式『魔霊反転』と『英霊降臨』を、私一人の力で完璧に成し遂げてみせるから」
もし、それができたなら。
一人前の陰陽師として、あの人の隣に立つ資格を得られたなら――その時は、この胸にある全ての想いを、今度こそあの人に告げに行こう。
そう私は決心するのだった。
冷たい夜の空気を切り裂いて、ビルの隙間から眩しい「朝日」が差し込んでくる。
私はその光に向かって、強く、深く、自らの心にそう誓うのだった。
隣を歩くジルが「やれやれ、主の苦労はこれからも増えそうだな」と呆れたように髭を揺らしたけれど、今の私はそんなジルの言葉が、なんだかとても愛おしくて、少しだけ誇らしかった。
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