後日談1:黒猫ジルの日記
ボクはジル。リーファス様の使い魔の猫である。
毛並みは夜の闇をそのまま切り取ったような漆黒で、瞳は怪しく光る蒼い色。自分で言うのもなんだけど、なかなか端正な黒猫の姿をしている。
最近、前世のリーファス様の姪である永遠が、ボクを見つけるたびにしつこくリーファス様の近況を聞いてくる。
あまりにうるさいものだから、ボクは彼女に、主が向こうの異世界で繰り広げた、あの息を呑むような大スペクタクルな物語をひと通り聞かせてあげたんだ。
ボクはリーファス様の強大な霊力によって作られた使い魔だからね。パスが繋がっている主の戦いや経験したことは、手に取るように何でもわかるのさ。
バチカンでの魔王との死闘、ヤマトでの天照救出、ヘルヘイムでの魔神顕現の阻止、黄金都市エル・ドラドでのアテナ降臨、そして極寒の南極点に顕現したあの鋼鉄の連合艦隊と、破壊神による世界救済――。
永遠は身を乗り出し、顔を真っ赤にして興奮しながらボクの話を聞いていた。
けれど、物語のグランドフィナーレ。
主が世界から『人類最高の守護者』として最大の栄誉を称えられた後、共に死線を潜り抜けた仲間の四人――クリス、ディードリット、西施、エリーと正式に婚約したことを告げた瞬間、彼女は文字通り石のように固まった。
「……え? こん、やく……? しかも、四人同時に……!?」
永遠は頭を抱え、魂が抜けたような顔で「ちょっと、一人にして……」と自室に引きこもってしまった。
世界を救った主の、これ以上ないめでたい凱旋の話だというのに、どうしてあんなにショックを受けているんだろう。人間の、特に『女心』というやつはつくづく複雑怪奇らしい。ボクには性別が無いから、そのあたりの機微はさっぱりわからないんだけどね。
仕方がないので、ボクは少し外の空気を吸いに散歩に出かけることにした。
もちろん、ただの気晴らしじゃない。ボクは主から、留守中の賀茂家の守護を直々に頼まれている。また良からぬ不届き者に狙われていないか、確認するのも使い魔としての重要な任務だ。
トコトコと塀の上を歩きながら、近所の地域猫や犬たちに、最近このあたりに妙な異変が無いかついでに聞いて回る。
ボクが人間と喋ると腰を抜かして驚かれるからね。情報収集はもっぱら、こうした街の動物たちのネットワークを頼るのが一番確実なんだ。
「……ん? 公園の砂場に、おぞましい気配が居着いているって?」
動物たちの噂話を総合すると、近所の児童公園に最近、たちの悪い悪霊――地縛霊が出没するらしい。
念のため確認しておこうと公園に向かうと、夕暮れ時の誰もいない砂場に、小さな女の子が一人ぽつんと座って砂遊びをしていた。
あたりを見回しても、近くに大人の姿は見当たらない。
(やれやれ。もうすぐ陽が落ちるっていうのに、不用心な子だ。仕方ない、ちょっと注意を促して家に帰らせてあげよう)
ボクが足音を消して砂場に近づき、「にゃあ」と短く鳴いて声をかける。
ところが、その女の子はボクを見るなり目を輝かせ、「あ、黒猫ちゃん!」ともの凄い俊敏さでボクを両手で捕まえてしまった。
「うにゃっ!?」
もがく間もなく、小さな手のひらで頭から背中にかけて、優しく、けれど力いっぱいに撫で回される。うう、使い魔としての威厳が形無しだけど、ここで人間の子供を引っ掻くわけにもいかない。仕方がないので、しばらくその女の子の砂遊びに付き合ってあげることにした。
そうしてじゃれ合っているうちに、不意にあたりが急激に暗くなり始めた。
昼と夜の境界。この世の理が最も曖昧になる、逢魔が時だ。
ぞわり、とボクの黒い毛が逆立つ。
見れば、砂場のすぐ脇に、長い髪をだらりと垂らした生気のない女性が、音も無くすうっと立っていた。
怨念と未練をたっぷり孕んだ、本物の悪霊だ。
「……ア……あ……」
女の子は、その悍ましい霊圧に当てられ、金縛りにあったように恐怖でピクリとも動けなくなっている。悪霊の冷たい手が、女の子の細い首へと伸びていく。
(ふん。ボクの目の前で、人間に手を出そうなんて!百年早いよ!!)
ここは、ボクの出番だ。
ボクは女の子の前に飛び出すと、主から直伝された霊力循環の術式を自らの内で一気に爆発させた。猫の身でありながら、主の『器』としての術理を模倣する――。
「――英霊降臨:白虎!」
刹那、ボクの小さな黒猫の肉体が、眩いばかりの神聖な霊光に包まれた。
光の奔流の中から現れたのは、あらゆる邪悪を噛み殺す神獣、巨大なる白虎の幻影。ボクの意識と完全に同調した四聖獣の霊気が、極限までその爪へと収束していく。
ボクは、主の刀の一閃のごとく、鋭くしなやかに跳躍した。
「――グルルァッ!!」
空を裂いた聖なる霊爪が、悪霊の胴体を真っ二つに一掻きする。
悪霊は悲鳴を上げる暇さえ与えられず、浄化の光の粒子となって跡形もなく四散し、空間を脅かしていたおぞましい瘴気は一瞬で消滅した。
着地と同時に、ボクはいつもの小さな黒猫の姿へと戻る。
あたりを素早く見回すと、公園の入り口から「ひまりちゃん!」と悲痛な声を上げて、女の子の母親らしき女性が血相を変えて駆け寄ってきた。
「お母さん……!」
金縛りの解けた女の子が泣きながら母親の胸に飛び込み、母親は我が子を壊れ物のように強く抱きしめている。どうやら、ちょっと目を離した隙に迷子になっていたらしい。
ボクは親子の無事な姿を物陰から静かに見届けると、何事もなかったかのように賀茂家への帰路についた。
ようやく我が家へと帰り着き、居間の様子を窺うと――永遠はまだ、頭を抱えたままソファの上で激しく苦悩していた。
「……待って。リーファスは中身は五十代の叔父さんだけど、今の身体はもう血縁者じゃないのよね!? 戸籍上だってただの従弟なんだから……もしかして、私が結婚とかしても法律上は何の問題も無いんじゃ……!」
永遠はブツブツと呟きながら、顔を真っ赤にしたり青くしたりして忙しい。
「でも、あっちの世界で四人とも婚約したって言ってたし……。あ、でもでも! 向こうの世界のお貴族様ルールなら、五人目の妻(奥さん)枠だって、もしかしたら有り得るんじゃ……!? あああ、でもでもでも、私の一途な乙女心がそんな不純な真似を許すわけが――!!」
のたうち回る永遠を見て、ボクは小さくため息をつく。
どうやら、彼女の頭の中のパニックが収まるには、まだまだ相当な時間が掛かりそうだ。
これ以上付き合っていられないや。ボクは寝床のクッションの上で、ふかふかと丸くなって休むことにする。
次に主がこの世界へ顔を出すときには、お土産に美味しい極上のキャットフードでもねだることにしよう。
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