やわらか戦士
──街へと戻った翌日。討伐隊の訓練場では、朝も早いというのに多くの人が集まっている。伝説の英雄翁と、次代の英雄候補と噂されるティル。その二人が決闘するとあって、誰もが興味を隠せずにいた。
「早く始まらないかな」
「英雄の闘いなんて滅多に見られるもんじゃねぇ!」
娯楽の少ない民衆にとって、これほどの見世物は滅多にない。訓練場はさながら祭りのような賑わいを見せていた。
「おいおい、本当にやるのかよ」
「ティルの奴、相手が誰だか分かってんのか?」
「うっるせぇー!」
周囲のざわめきが、今のティルには妙に癇に障った。自分なりに考え、ようやく申し込んだ闘いだ。それを無謀な挑戦だと笑われるのは、我慢ならなかった。
「……本当に、受ける必要があったんですか?」
シグルドの傍らのガンバが小声で問いかける。
「必要かと問われれば、ない。だが、合理的であることが全てではなかろう」
シグルドはそう答えると、向かいに立つティルへと目を向けた。こちらを見据える険しい表情に、小さく息を吐いて言葉を継ぐ。
「大体、あいつの考え自体が間違っているわけではないのだ」
ガンバは口を挟まず、続きを待った。シグルドはティルへ視線を向けたまま、少し声を和らげる。
「それでも、自分が選んだ道に疑問を抱くのは、その選択に責任を感じているからだ。ならば、別の道を示したわしが付き合うべきだろう」
「……そういうことでしたら、止めませんよ」
ガンバは小さく頷くと、シグルドの傍らを離れた。その姿を目で追っていたティルは、改めてシグルドへと視線を戻し、ゆっくりと息を吐く。
「見守っていてくれ、アルグリム……フェルヴォル……。今から英雄翁と戦うからさ」
それは誰の名であったか。呟きは周囲のざわめきに紛れ、消え行く。
「勝てる勝てないじゃない……少しでも理解するために、戦う!」
視線の先ではシグルドが、静かにこちらを待っている。信じたい。その気持ちは変わらない。けれど、憧れた英雄の言葉だからと、何もかも頷いて済ませたくはなかった。
「これより双方の合意のもと、決闘を執り行う。勝敗は、どちらかの戦闘不能、もしくは降参にて決する」
立会人を務める討伐隊隊長の声が訓練場に響き渡った。ティルは黄金の剣を構え、足を前後に開いた。向かいでは、シグルドが静かに構える、だが、その手に握られたものを見て、ティルは目を疑った。
「なんだよ、それ……ふざけてんのか!」
シグルドが構えていたのは木の剣──あの玩具の剣だった。
「……いや、聖剣にすれば」
「先に言っておく。この闘いでは、わしは聖剣を使わん」
シグルドの宣言に、周囲からどよめきが上がった。
「……俺には、それで十分だってことか?」
ティルの視線が、玩具の剣からシグルドの顔へと移る。真剣に向き合うつもりでいたからこそ、その意図が分からなかった。
「見たいように見ろ。それが真理だ」
シグルドは玩具の剣を構えたまま答えた。その声にも表情にも、からかうような色はない。ティルは言い返しかけ、口を閉じた。ここで問答を続けても仕方がない。
「……えー、双方、準備はいいか?」
隊長が二人に確認をとったあと、片手を高く掲げた。周囲の隊員たちが息を潜める。
「──始め!」
掲げた手が振り下ろされると同時に──
「バースト!」
地面を蹴ったティルが、一気に間合いを詰める。黄金の剣を振りかぶり、踏み込む勢いのまま斜めに振り下ろす。
「ぶふっ……!?」
だが、その刃がシグルドに届くより早く、ティルの身体が後方へ吹き飛んだ。何が起きたのかすら理解できぬまま地面を転がる。
「うわっちゃー……言わんこっちゃねえ。ありゃ鼻にモロ入ったな」
「それにしてもあのスピードにカウンター合わせる英雄翁はやっぱすげぇな」
観衆から様々な声が次々と上がるが、シグルドは全く動じず正眼へと構えなおす。
「玩具の剣だと侮ったな、相手の剣も崩さず攻撃が通るわけがあるまい」
後の先を突かれたティルは地面に片手をつき、上体を起こした。顔面に鈍い痛みが残っている。息を吸おうとすると、血が喉へ流れ込み、呼吸がしづらい。血にまみれた顔を上げると、シグルドは追撃を仕掛ける事もなく剣を構えている。
「げほっ……確かに侮ってた。それに、頭に血が上って、無茶な攻め方しちまったけどさ」
ティルは立ち上がると、剣を構えて間合いを詰めた。そこから小さく踏み込み、玩具の剣を横へ払うように刃を繰り出す。
「その剣じゃ、まともに受けられないことに変わりはないだろ!」
だが、打ち払おうとした玩具の剣は、触れる寸前にすっと引かれた。黄金の刃が大きく空を切る。
「ならば、受けねばよい」
シグルドは剣を引いた動きから、そのままティルの手首を打った。
「ぐっ……!」
指が緩みかけるのを堪え、ティルは剣を引き戻しながら後ろへ跳ぶ。シグルドが追ってこないのを見て、深く息をついてまばたきした瞬間 、脚に熱が走る。
「……え?」
目を下ろすと太ももに深々と短剣が刺さっている。遅れて激痛が押し寄せ、ティルの膝が折れかけた。無事な脚へ体重を移し、どうにか踏みとどまる。
「離れれば安全だと思ったか? わしは聖剣を使わないとは言ったが、この剣しか使わんとは言っておらんぞ」
顔を上げると、シグルドの空いた手が腰元へ戻るところだった。
「正々堂々など、強者が順当に勝つための理屈でしかないが……卑怯、と言うこともあるまい。お前にはこれを見せていたはずだ」
ティルは唇を噛んだ。見ていた。見張りを二人、瞬く間に仕留めたのを。それなのに、玩具の剣ばかり気にして、もう片方の手を見ていなかった。
「玩具の剣なら恐れることはない。距離を取れば攻撃は届かん。……どちらも、お前がそう思っただけだ」
シグルドは木の剣を下げることなく、ティルを見据えた。
「考えただけで強くなった気になるなよ。自分の出した答えを信じるあまり、目の前の相手を見失ってはならん」
ティルは言い返せない。鼻も、手首も、脚も痛む。そのどれもが、自分の見込みを外された結果だった。
「まだだ、まだ終わっちゃいない……」
痛みを堪えながらティルが剣を構え直すと、シグルドが初めて間合いを詰めてきた。
「さて、今度はこちらから行くぞ」
ティルは迫る玩具の剣を見据えた。切っ先が顔へ向かって伸びてくるが、冷静さを取り戻した今は見えている。しかし黄金の剣で払いのけようとした瞬間、その切っ先が下がった。
「っ……!」
下がった切っ先を追い、ティルは咄嗟に剣を引き戻そうとした。しかし、その寸前に玩具の剣が黄金の刃の下をくぐり、喉元へと突き上げられる。
「がっ……!」
喉を突かれ、声が潰れた。息を吸おうと口を開くが、空気が入ってこない。ティルは空いた手で喉を押さえ、後ずさった。
「逃がさん」
シグルドが玩具の剣を横薙ぎに振るう。ティルは咄嗟に剣を立てて受けようとしたが、シグルドは振りかけた剣を止めると、そのまま踏み込み、ティルの太ももに刺さった短剣の柄を蹴りつけた。
「うあっ……!」
傷口を抉られる痛みに、ティルの膝が崩れた。反射的に脚へ伸ばしかけた手を地面につき、倒れるのを堪える。
「……まずいっ!」
ティルが顔を上げると、木の剣が頭上に迫っていた。このままでは、まともに一撃を受けてしまう。剣で振り払おうとした瞬間、シグルドがそれを躱す未来が見えた。
「俺は……! 負けたくない……っ!!」
ティルは自分の感覚を信じ、見えた未来の中で、シグルドが身を躱した先へと剣を振るう。その瞬間、それまで変わらなかったシグルドの表情に、明らかな驚きが浮かんだ。
「ぬっ、やるではないか……」
シグルドは攻撃を中断し、強引に身を引いた。黄金の刃が二の腕をかすめ、浅い傷を刻む。
──届いた。
「チャンスだ……!」
無理に躱したシグルドは、体勢を崩していた。ティルは脚の痛みを堪えて踏み込み、すかさず追撃を仕掛ける。
「よし、いけるっ!」
シグルドがどう身を躱そうとするのか、おぼろげながら見える。ティルはその動きを先回りするように、剣を繰り出した。
「……一度なら偶然とも言えよう。だが、二度ともなれば必然か」
シグルドは身をひねって避けようとしたが、黄金の剣を避けきれず、その切っ先が脇腹をかすめた。裂けた衣服に血が滲む。
「おおー! ティルのやつ押し返したぞ」
「今の、避ける先を狙ってなかったか?」
見守っていた観衆の声が弾む。ティルにも聞こえていたが、応える余裕はない。剣を戻しながら、シグルドの次の動きを見据える。
「認めよう、お前は強くなった」
シグルドは静かにティルに告げた。
「……だったら、もう少し喜ばせてくれよ」
ティルは荒い息の合間に言い、柄を握り直して斬りかかった。シグルドが左へ躱す姿が見える。その先へ刃を下ろした瞬間──未来がその姿を変えた。
「だが、それだけだ。わしの予想を越えてくれるほど成長したわけでない」
黄金の剣が空を切る。左に躱すはずのシグルドは右へと躱していた。剣を構え直すより早く、玩具の剣がティルの右目を突いた。
「ぐあっ、な、なんで……!」
咄嗟に目を閉じ、顔をそらして受け流したことで、切っ先は瞼を擦って外へと滑った。それでも、右目には鋭い痛みが残り、開こうとしても開けられない。距離を取って仕切り直す。
「なんと……〖半歩〗を実戦で見るとは」
今の攻防を見ていた隊長が驚きの声を上げた。傍らの隊員達が、その顔を覗き込む。
「ご存じなんですか?」
「うむ、稀なる熟練の戦士は未来が見えるかのように相手の動きを読む。〖半歩〗は、それを崩すために大昔に産み出された技法だ」
隊長の説明は、ティルの耳にも届いていた。見えた動きを正直に狙ったからこそ裏をかかれた事を理解する。
「けど……それなら……」
ティルは一つの答えに辿り着く。相手がこちらの読みを外すように動くのなら、その変化まで読みきればいい。
「あんたを越える、越えて見せる!」
裂けた瞼から血が滲み頬を伝う。ティルはよろめきながら、左目でシグルドの姿を捉え直した。
「ただ強ければいい、そんな考えでは勝利は掴めぬぞ」
言うや否や、シグルドは真っ直ぐに間合いを詰める。右か、左か。ティルは切り返す瞬間を読もうと目を凝らした。だが、見えるのは今も未来も真っ直ぐに迫る姿ばかり。その進路は変わらない。
「だったら──」
迎え撃つ。闘いの始まりに、自分がそうされたように。
「ここで逃げたら……あんたに挑んだ意味がねえ……っ!」
ティルは剣を構え、シグルドが間合いに入る瞬間を待った。あと一歩。そこへ踏み込んだところを──そう狙いを定め振りかぶった瞬間、現実が未来を置き去りにする。
「がっ……!」
剣を繰り出すより早く、玩具の剣が腹に食い込んだ。息が押し出され、ティルの身体が折れ曲がる。
「思い通りにならぬのが、不思議か?」
まだ、届かないはずだった。だが、シグルドは見えていた未来の姿を追い越し、既に目の前に立っていた。
「なぜ、先が見えるのは自分だけだと錯覚していた? 随分と思い上がったものだ」
気づいてしまった、気づかされてしまった。あまりにもシグルドが遠い存在で……優しすぎることを。
「……そう言うことかよ」
いつでも終わらせられたのだ。それでも、わざわざティルが立ち上がるたびに向き合い、剣を交えてくれた。
「お前は自分の武器に頼りすぎた、それがお前の強みでもありお前の敗因だ」
今、この瞬間でさえ、自分は教えられ続けている。その言葉を噛みしめながら、ティルは唇を噛んだ。
「俺……この剣があるからって、いつの間にか調子に乗ってた。強くなりたいって願って、周りを見失ってた」
ティルは俯きかけた顔を上げた。シグルドは答えを急かさず、その目を見据える。
「ティル、お前の目的はなんだ? わしを倒すことか? 自分の正しさを証明することか? ……それとも英雄になることか?」
自分の、目的。遠い昔に交わした約束がおぼろげに甦る。
『……人を信じ……なくな……なよ、ケル……』
『必……、……王を……てね、……ディエ』
途切れた声が頭の奥に響く。顔も、言葉の続きも掴めない。それなのに、失った痛みだけが一度に押し寄せた。
「…………っ!!」
何かを叫ぼうとする。誰かの名を。だが、喉から溢れるのは、言葉にならない慟哭ばかりだった。
「そうだ……俺の目的は……」
脳裏に浮かぶのは守れなかった約束。願いが導くのは自らの正体。
「……何が、英雄になる、だよ……俺の方が悪で……倒される側じゃねえか……」
笑おうとして、息だけが漏れた。虚しさが一気に押し寄せてくる。
「まさか……気づいたのか、己が何者か」
シグルドがわずかに目を見開く。その声に驚きはあっても、戸惑いはなかった。
「その様子じゃ、あんた、知ってたんだな……」
「……その剣の姿も、宿る気配も、知らぬ訳がなかろう」
その肯定に、僅かに残っていた逃げ道が閉ざされた。何かの間違いであってほしかった。
「だったら……なんで、俺を……」
斬らなかった。その先を口にするのが怖かった。
「わしはな……卑怯なのだ」
ティルは耳を疑った。世界を救い、今もその強さと優しさを示す英雄翁。その人が、己を──卑怯だと切り捨てたのだ。
「お前がただの悪なら、斬り捨てればよかった。だが、人のために剣を振るい、英雄を志すお前を斬る覚悟が、わしにはなかった。……だから、逃げたのだ」
ティルは口を開きかけ、言葉を呑み込んだ。何者であるかは、もう分かってしまった。今さら願ったところで、何が変わる。
「……知らぬ方が幸せなこともある。わしとて、剣を交えたばかりに、このような形で決闘を終えるのは不本意だ」
「……もう、いい。俺は……」
自らの手で全てに幕を引こう。そう思い、剣を動かした瞬間──
「「「ティルーっ!!!」」」
「……は? お前ら……」
あちこちから声が上がる。怒鳴る者も、泣きそうな顔で拳を握る者もいた。
「俺達はお前がどれだけ頑張って来たか知ってる!」
「英雄になるんだって、訓練も任務も、いつだって必死だったじゃねえか!」
途切れぬ声に、剣を動かす手が止まった。
「俺たちとやってきたことまで、全部無駄だったなんて言わせねえぞ!」
「お前に助けられた俺達が、ここにいるだろうが!」
何も知らないくせに。そう思った。それでも、自分を呼ぶ声から耳を閉ざすことはできなかった。
「「「諦めんなぁっ!!」」」
例え自分が討たれるべき、忌むべき魔王の欠片だとしても。それでも、彼らと過ごした日々が変わる事はない。
「……」
ティルはゆっくりと剣を構え直し、シグルドへと向き合う。その眼差しには、先ほどまでの迷いを押しのけるような強い意志が宿っていた。
「……諦める気はなさそうだな」
その眼差しを受け止め、シグルドはふっと頬を緩めた。
「ああ。俺は、あいつらにとっては英雄らしいからな」
ティルは声のする方へ目を向けた。ただ自分を応援してくれる仲間たち。その姿を見て、思わず苦笑がこぼれる。
「……魔王の五魔具だからって、それがどうした。俺の願いも、あいつらと過ごしてきた時間だって嘘になるわけじゃない」
五魔具という事実は消えはしない。それでも、もう俯くつもりはなかった。
「俺は……俺だっ……! 何も変わらねえよ!」
言い放つと同時に、ティルは黄金の剣を振りかぶった。そのまま勢いよく腕を振り抜き、シグルドめがけて投げつける。
「ここで自棄の一撃か……? いや……これは……!」
シグルドは身を躱しかけ、踏みとどまった。ティルは先に自分が伝えた教えを躊躇なくぶつけに来ていたのだ。
「そうだよな、あんたは躱せるだろうけど……後ろのじーちゃんは別だ!」
正々堂々とは程遠い。だが、だからこそ、力も技も及ばぬ相手に届き得る一手だった。──もっとも、シグルドが宣言を覆して聖剣を使うという、同じく卑怯な手に出れば話は別だが。
「シグルド! 避けてください!」
ガンバの叫びにも、シグルドは動じなかった。迫る黄金の刃を見据え、その口元に不敵な笑みを浮かべる。
「躱せぬ、受けられぬ。だからといって、届くとは限らんぞ。──覚えておけ」
黄金の剣がシグルドの胸を間違いなく捉えた──はずだった。シグルドの姿が揺らいで消え、少し下がった位置に何事もなかったかのように立っている。
「実体を持った残像──!?」
「あれはっ……〖半歩〗の応用技〖位相転遷〗! 歩法により気力だけをその場に残して代わりに攻撃を受けさせるのだ!」
辺りから驚愕の声が上がる。残像が消え、勢いを失った黄金の剣がシグルドの足元に落ちた。
「わしが躱せぬ理由まで作った。そこは見事だったぞ。だが敢えて言おう……悪手であると」
シグルドは足元の黄金の剣を一瞥すると、背後へと蹴り飛ばした。
「あの剣も、本質はわしの剣と変わらん。遠く離れるほど手元に戻して再生成するには時間が……ぬ?」
「ぐぅっ……なんの! 当然、織り込み済みだぜ! 喰らえっ──スパイラルストライク!!」
無事な脚で勢いよく地を蹴り回転するティルの手には赤い剣が握られている。それは己の脚から引き抜き血に濡れた短剣だった。
「ぬうっ……」
迫りくるティルを迎え撃とうとするが、身体に力が入らない。先の〖位相転遷〗は、窮地を代償なく難なく切り抜けられる技ではない。その一度の行使だけで、老いた身体から余力をほとんど奪い去っていた。故に──シグルドはあえて膝の力を抜いた。
「──〖無拍子〗」
沈む身体の重みを前へと流し、剣に乗せる。踏み込みも振りかぶりもなく、切っ先が一気に加速した。それは、力が衰えようとなお戦い続けるために編み出された老巧の奥義。
「……っ!」
短剣が届く寸前、玩具の剣の切っ先が脇腹を捉える。回転の軸が崩れ、ティルは勢いを殺せず横倒しになり、地面を転がった。赤く濡れた短剣が手を離れ、乾いた音を立てる。
「ぐっ……ううっ……」
ティルは起き上がろうと地面に手をついた。だが、腕は身体を支えきれず、肘から崩れる。
「……見事だった。お前の想いも、力も、確かに見せてもらった」
シグルドは荒い息の合間に告げ、玩具の剣を下ろした。ティルはその顔を見上げ、ようやく地面を掴む指を緩める。
「お世辞ならいらねぇよ……魔王どころか、手加減してたあんた相手に手も足も出ねぇのに」
「今日わしに勝てなかったからといって、それがお前の限界ではあるまい。今の自分だけを見て、これからの自分まで見限ってどうする」
シグルドは息を整え、ティルを見つめた。ティルの唇がわずかに開く。
「……あんた、ほんとに優しいな」
「お前にも、そうあって欲しいだけだ。人にも、自分にもな」
ティルは俯いた。守れなかった約束を、今さらもう一度、果たそうと願ってもいいのだろうか。
「……俺、生きてていいのかな」
「そのために、これからがある。人生とはな、やり直せるべきものなのだ」
シグルドの言葉が、ティルの胸に深く沁みた。悪も過ちに向き合い、生き直す道は残されるべきなのだ。シグルドが守ろうとしていたものを、自分にもその道が示されて、ようやく理解した。
「……完敗だ」
勝てなかった悔しさは消えない。それでも、この人に挑んでよかったと思えた。
「勝負あり! 勝者、シグルド!」
隊長の宣告に、歓声が沸き上がる。誰もが決着に心を緩めた。ティルもまた、安堵に頬を緩める。だからこそ誰も気づけなかった。
「えっ──?」
ティルに向かって赤い閃光が走った。世界が反転する。くるりくるり空と地面が回り、落ちて、堕ちて、墜ちて──。
「馬鹿な、お前は──!」
シグルドは驚愕に目を見開いた。そこには、いるはずのない男が立っていた。
「よお、また会ったな。俺様のこと記憶してたか?」
その声も、顔も、紅い大剣も、間違えるはずがない。以前倒したはずの五魔具の一つ──グラムだ。




