マッチポンプドリーマー
──あちこちで悲鳴が上がり、首を断たれたティルの名を呼ぶ声が重なる。その中で、グラムは口の端を吊り上げ凶悪な笑みを浮かべた。
「なんだよ。幽霊でも見たような顔しやがって。言っただろ、生まれ変わったらまた会おうぜって」
「お前は……確かにあの時、死んだはずだっ……!」
シグルドの叫びに、グラムは堪えきれないとばかりに笑い声を上げる。
「ハハッ……! だからよ、生まれ変わってきたんじゃねえか!」
ティルの身体が、黒い靄となって崩れていく。闇は一筋の流れとなり、紅い大剣へと吸い込まれた。
「……まあ、こいつは俺様が食っちまったからもう甦らないけどな」
シグルドは、ティルのいた場所を見つめた。そこに抱き起こす身体は、もうない。つい先ほど、共に語った未来が訪れることもない。
「……貴様ッ!!」
喉の奥から、掠れた怒号が迸る。握りしめた玩具の剣が紅い輝きに包まれる。
「おいおい……そう睨むなよ。この街を苦しめてきた悪党が、ようやくくたばったんだぜ……もっと喜んだらどうだ?」
グラムがわざとらしく首を傾げる。その挑発に、近くの隊員が声を荒らげた。
「ふざけんな……あいつは、俺たちを助けてくれたんだぞ!」
「はっ、笑えるなぁ! おい! 魔物が増えたのも、盗賊どもがのさばり始めたのも全部こいつの仕業だってのによ!」
グラムはティルの消えた地面を顎で示し、嘲るように笑った。
「嘘だ! あいつがそんなことをして、何になるってんだ!」
隊員の叫びに、周囲からも否定の声が上がる。グラムはその反応を楽しむように、一人ひとりの顔をゆっくりと見渡した。
「なんだぁ? お前ら、本当に気づいてなかったのか?」
驚いたふりをして目を見開き、次いで堪えきれぬように喉を鳴らした。
「全部、自作自演なんだよ。困ってる奴が増えりゃ、それだけ助けて英雄面できるってわけだ」
「そんなことあるはずが……」
「いや……恐らくこいつの言っている事は本当だ」
シグルドの低い声に、隊員たちが振り向いた。その目はなお、否定の言葉を求めている。
「五魔具が魔物を操れることは、そいつに見せてもらっていたからな。魔物の活性化から五魔具の関与を疑い、わしらはこの街へ来たのだ」
シグルドは唇を引き結ぶ。疑念はあった。だが、信じたかったがゆえに、確かめるのが怖かった。あの若者の願いまで壊してしまいそうで。
「そして魔物に襲われた者たちの傷にも、不自然な点があった。あれほど一方的に襲われながら、急所を外れた傷が多く、治療も早く済んだ……傷つけないと意識して外したようにな」
グラムは片眉を上げた。その顔から、一瞬だけ嘲りが消える。
「ひゅう! さっすが英雄翁、話が分かるぅ! ちなみに盗賊どもも同じだぜ。人の中にある欲や恨みを膨らませりゃ、昨日まで踏みとどまってた奴も、すぐに一線を越える」
それまで上機嫌に語っていたグラムの顔から、笑みが消えた。
「俺様はな、こいつを心底軽蔑してるぜ。自分が英雄になるために自分で倒すべき敵を作ってんだ。その上、自覚がないと来たもんだ……胸糞悪ぃんだよ、そういうのは」
そう吐き捨てたグラムは忌々しげに唇を歪める。
「……随分と勝手な言い草だな。お前とて、己のために多くの命を奪っているだろうに」
シグルドの追及に、グラムは鼻で笑った。
「ハッ、俺様が正しいなんざ思っちゃいねえさ。だがな、だからってお前らが正しいとも思わねえ。誰もが正しく生きられるほど、世の中甘くはねえんだよ」
「だからといって、罪を犯してよい理由にはならん」
シグルドの言葉に、グラムは肩をすくめた。
「わかってるさ。生きるために罪を犯すことが悪だってんなら、俺様は悪で構わねえ。善人扱いしてくれなんざ思ってねえよ」
グラムの声に、後ろめたさは微塵もなかった。紅い大剣を肩に担ぐ姿には、己の生き方を疑わぬ傲慢さが滲んでいる。
「……それとも何か? 今ここで心を入れ替えるって言やあ、俺様のことも許してくれるのかい?」
グラムは口の端を吊り上げ、挑発するように問いかけた。
「いいぞ」
「ハァッ!?」
シグルドの予想外の答えに誰もが呆気に取られた。
「お前が本気でやり直すというのなら、わしは止めん。そうだな、命ぐらい置いていくといい」
「……ハッ、そいつは勘弁願いたいね。せっかく拾った命だ。そう簡単に手放せるかよ」
グラムは笑って答えたが、シグルドはその言葉に眉をひそめた。
「なるほど、死んでも甦る者が命を惜しむか。どうやら、お前を殺すことにも意味はあるようだ」
「……冗談かと思ったら、食えない爺さんだぜ」
グラムは苦笑しながらも、内心では舌を巻いていた。ほんの一言から、そこまで見抜かれるとは思わなかった。
「だが、それがわかったところで俺様が大人しく殺されてやるとでも?」
そう言って、肩に担いでいた紅い大剣をゆっくりと下ろす。
「……皆、下がれ。下手に手を出すと死ぬぞ」
「総員、引け! このままでは英雄翁の邪魔になる!!」
シグルドの言葉を受け隊長が指示をだす。事実、グラムの吸収能力を使われれば数で押してもその都度回復されて無意味となる。
「ずっと見てたから、知ってるぜ。体力も気力も、もう底をついてんだろ」
シグルドは震える膝を押さえ込み、紅く輝く剣を構えた。グラムの視線が、周りの隊員たちへと移る。
「……まあ、こいつらをぶっ殺して、その魔剣に命を吸わせりゃ、まだ戦えるかもな。けどあんたにはできねえ、そうだろ?」
シグルドは荒い息を吐き、震える手で柄を握り直した。その眼光は、なお衰えていない。
「体力が尽きたから戦えない、か……舐められたものだ。ガンバぁっ!!」
「……終わりを知らぬ無窮の命脈よ、巡りて甦れ──『体力』!」
ガンバは既に杖を掲げていた。杖の先から淡い黄色の光が伸び、シグルドを包み込む。重く沈んでいた身体に力が戻っていく。
「ちっ……体力回復の魔法か、クソジジイめ余計な真似しやがって」
グラムはガンバを一瞥し、すぐにシグルドへ視線を戻した。
「だけどよ、忘れたのか? その剣じゃ俺様は倒せねえぞ、英雄翁」
シグルドは答えず、空いた手を腰の長剣へ伸ばす。抜き放たれた刃に、白い光が灯る。もう片方の剣には、今なお紅い輝きが宿っている。
「二刀!? マジか!」
二振りの剣を構えたシグルド。ティルを奪われた怒りと、残された者を守る意志。二つの感情を並列思考によって切り分け、それぞれの刃へと注ぎ込む。
「身体がこれ以上強くならなくとも、心はいつまでも伸びゆくものだ」
シグルドは二振りの剣を軽く振るい、聖剣の切っ先をグラムへと向けた。聖剣と魔剣、相反する二つの力を宿しながらも、その構えに迷いはない。
「グラム……お前は、このわしが倒す!」
言い終えるより早く、シグルドが地を蹴った。瞬く間に間合いを詰め、左手の聖剣を振り下ろす。
「やっぱ、そっちで仕掛け……ぬおっ!?」
グラムが大剣で受け止めた瞬間、シグルドの右手の魔剣が脇腹へと迫る。咄嗟に身を引いたグラムだったが、避けきれずに切っ先が脇腹をかすめ、鮮血が散った。
「おいおいマジかよ……魔剣の方も遠慮なく使う気じゃねえか」
シグルドは答えず、再び間合いを詰めた。右の魔剣を横薙ぎに振るい、グラムに大剣で受けさせる。
「……!」
刃がぶつかった瞬間、グラムは違和感に気付く。あまりにも手応えが軽い……フェイントだ。そう気づいた時には、すでにシグルドの聖剣が動いていた。
「なかなかやるじゃねえか」
迫る聖剣の斬撃をグラムは咄嗟に上体を反らすことで紙一重でかわし、その勢いを利用して大剣を振り上げ、シグルドの胴へと斬り返す。
「ぐっ……」
シグルドは魔剣でグラムの大剣を受け流す。しかし、斬撃の勢いを殺しきれず、数歩後退して体勢を立て直した。軽い衝撃でも思考の境界が曖昧になり始めている。
「なんのっ!」
シグルドは素早く踏み込んで距離を詰め直し、白い刃を振り下ろした。グラムが大剣で受け止める。その脇腹へ紅い切っ先を向けたが、腕が一瞬、意思に従わず僅かに遅れた。
「……そらよ!」
大剣に押し返され、追撃は空を切る。グラムは距離を取り、二色の輝きとシグルドの顔を見比べる。
「確かにそいつは脅威だぜ、英雄翁。だが……その状態はずいぶん無茶してるな。付け焼き刃の技は俺様には通らねえよ」
口元に笑みが戻る。その目は、二刀の動きに生じる僅かな遅れを捉えていた。
シグルドの気力はすでに枯渇し生成器官である丹田を限界を超えて酷使して、無理矢理に気力を絞り出している。このまま続ければ間違いなく先にシグルドが討たれる。
「シグルド……」
ガンバは杖を握りしめる。援護をしたくても有効な手が今は無い。下手に詠唱を始めて狙われれば、シグルドは自分を庇わざるを得ない。聖剣と魔剣を維持するだけで苦しんでいる今、その余裕まで奪うわけにはいかなかった。
「遅え、遅え! 信念ってのは、随分と重てえもんらしいな!」
グラムの嘲りが剣戟に重なる。シグルドは魔剣で大剣を逸らし、すかさず聖剣を返そうとした。だが、腕が一瞬遅れる。白刃が走る頃には、グラムは既に間合いの外へ退いていた。
「わしは欲張りでな。……どれも捨てる気はない。全部、背負ってみせよう」
「だったら、その重さに押し潰されちまいな!」
グラムが踏み込み、大剣を振り下ろす。シグルドは魔剣で受け流そうとしたが、刃を合わせるのが僅かに遅れた。重い一撃をまともに受け、膝が沈む。
「こいつも荷物に入れとけよ!」
シグルドが聖剣を返すより早く、突き出されたグラムの膝が腹を捉えた。
「ぐうっ……!」
シグルドは腹を折り、後ずさった。二刀を握る手は緩めない。だが、構え直すより早く、グラムが大剣を振り上げる。間に合わない、誰もがそう思ったその時──
「うわあぁぁーッ!!」
悲鳴にも似た叫びとともに、横合いから槍が突き出された。隊員の一人が、青ざめた顔でグラムへ踏み込んでいた。
「馬鹿者、下がれ!」
隊長の怒声にも、隊員は止まらなかった。グラムは煩わしげに眉をひそめ、身をひねって余裕綽々で穂先を躱す。そのまま、振り上げていた大剣の狙いを、無防備になった隊員へと変えた。
「そんなに死にてえなら、先に殺して──」
振り下ろそうとした腕が止まった。
「……あ?」
グラムの紅い大剣の輪郭が揺らぐ。幅広の刀身が細まり、紅を押し退けるように黄金の輝きが広がった。
「このっ……、言うことを聞きやがれ!!」
力を込めても、黄金の剣は小刻みに震えるばかり。槍を引き戻そうとする隊員を前にグラムの顔から笑みが消えた。
「……ティル?」
隊員の唇から、その名が零れた。見慣れた黄金の刃が、自分へ振り下ろされることを固く拒んでいる。例え全てが嘘であったとしても、この想いだけは嘘だと思いたくなかった。
「……見事だ、ティル。今、この瞬間確かにお前は正義で、英雄だ」
言葉と同時に、シグルドは踏み込んだ。隊員を背に庇い、聖剣を振り抜く。死んだ者の想いを継げるのは生きている者ゆえに。
「ちっ……! 残りカスがふざけやがって!!」
グラムは身を引いたが、白刃が胸元を大きく裂いた。血を散らしながら跳び退き、震える剣を睨みつける。
「くだらねぇ……やめだ! やめ!! 付き合ってられねえ!」
そう吐き捨てると、シグルドを警戒しながら、さらに一歩退いた。
「……逃がすと思うか?」
「素手であんたを倒すのは骨が折れるが、足を止めるだけなら話は別だ。……あんた、守るもんが多いからな」
グラムの視線が、周囲の隊員たちへと流れた。シグルドは歯を噛みしめる。剣を振るえずとも、こいつなら容易く彼らを殺せる。踏み込めば、その矛先が誰に向くか分からない。
「だが、俺様も無駄に争う気はねえ。……今回は俺様の負けだ、英雄翁。ここは退かせろよ。代わりに一つ、耳寄りな話を聞かせてやる」
「……よかろう、耳ぐらい貸してやる」
シグルドは剣を握る指に力を込めたまま、怒りを押し殺すように答える。
「英雄翁! あんな奴の言葉を信用するんですか!?」
周囲の隊員たちからも非難の声が上がる。しかし、シグルドは動じることなく、静かに口を開いた。
「……奴にその気があれば、お前たちを利用して戦いを有利に運ぶこともできた。だが、そうはしなかった」
その冷静な指摘に、隊員たちは言葉を詰まらせた。
「それは……」
「意外なことに、無益な殺しを好む男ではないようだ。……もっとも、必要とあらば躊躇なく殺すだろうがな」
グラムは愉快そうに笑い、大剣を肩に担ぎ直す。
「嬉しいねぇ。随分と買い被ってくれるじゃねえか、英雄翁」
そう言って肩をすくめると、シグルドを見据えた。
「ま、せっかく見逃してもらえるんだ。約束くらいは守るぜ。……イルディア氷王国に行ってみな、そこに五魔具の一つドラウプニルがいるぜ」
思わぬ情報に、シグルドは眉を動かした。だが、こいつが何の得もなく獲物の居場所を明かすはずがない。
「……わしをぶつけるつもりか」
「嫌なら行かなきゃいい。俺様は場所を教えただけだぜ? ……そもそもあんたにあいつは殺せねえ」
グラムは意味ありげに口元を歪めた。
「……どこまでも食えぬ奴よ」
「お互いにな、英雄翁」
グラムはゆっくりと外に向かって歩いていく。退路の近くには、まだ隊員たちがいたが隊長が下がらせていた。
「じゃあな、英雄翁。……言っちゃあなんだが俺様はあんたの事、結構気に入ってるぜ」
グラムは足を止め、肩越しに笑った。そして次の瞬間、グラムの姿は出口の向こうへと消えた。足音一つ残さぬ、鮮やかな退き際だった。
「くっ……ごふっ……!!」
突然、シグルドの膝が折れた。口元を押さえる間もなく、血が口から溢れた。二振りの剣から輝きが失われる。
「シグルドっ……!?」
ガンバの叫びに、静まり返っていた訓練場が騒然となった。
「これは……気力を酷使しすぎて丹田が損傷している!!」
駆け寄った隊長が、シグルドの口元を染める血に顔を強張らせた。ガンバは傍らに膝をつき、その身体を支える。
「それだけではありません。聖剣と魔剣を同時に保つのが無茶だったんです……!」
気力を使い果たしたシグルドは、丹田を暴走させ、無理矢理気力を生み出していたうえ、並列思考を駆使して聖剣と魔剣を同時に維持し続けた。度重なる無理は肉体に多大な負担をかけていたのだ。
「森羅の慈悲よ、痛みに喘ぐ肉体を包め。断たれた絆を結び、生命の門を開け──『治癒』!」
ガンバの杖から緑の光が溢れ、シグルドの身体を包み込んだ。苦しげな呼吸が少しずつ落ち着いていく。
「ああ、また……守れなかったな……」
シグルドはティルがいたはずの場所に視線を落とす。しかしそこにはもう、自分を見上げていた若者はいない。
「……もう、休んで下さい。今は自分の身体を気遣ってください」
ガンバはそう言って、シグルドの肩を支えた。慰めの言葉を探しても、何一つ口にはできなかった。
「……」
シグルドは答えず、ティルのいた場所を見つめ続けた。やがて、その瞼がゆっくりと閉じる。握りしめていた手が緩むまで、ガンバは黙って傍らに寄り添っていた。




