第二十話 戦闘狂の心は戦闘狂のみぞ知る
だからこそ戦闘狂は戦闘狂たるのだ。
その精神が、彼を強くする。
クランを投影したレガートと、クラン本人の、鉢合わせ。
それはヴォイドにとって最悪の、クランにとって最高の、偶然だった。
クランとて馬鹿ではない。時間さえあれば見失った本来の自分を取り戻せるだろう。しかし、その時間は残念ながら、限られていた。もしクランがたった一人で立ち直るならば、それまでにティベリオやシャーリィ、オルクスは犠牲になってもおかしくはなかった。
だからこれは最高の偶然。
神も仏もありはしないが、運命は人間に味方した。
***
クランは顔を上げた。そこにいたのは、まるで鏡写しの自分だった。顔立ちが似ているわけではないけれど、それは確かに「クラン」であり、そして。
「レガート」
名前を呼んだ。その男の、本来の名だ。
あの時、全く自分を見てくれなかった第五位の死神。彼が、今はこうしてクランの瞳を抉るかのように見つめてくる。自然と、目が合った。おもむろにその口が開かれる。あの時と同じ子供の声は、しかしあの時以上に確かな、地を踏みしめるような厳かさをもって。
「何をしているんだ、お前?」
その得体のしれない威圧感に、クランは生唾を飲み込んだ。
「……何って……えっと」
「ふん。あんなにも悪夢に見た男の、本物に出会ったら、ただのしおらしい青年になっていたなんて笑い話にもなりゃあしない」
「悪かったな。俺は完璧超人じゃねえんだぞ」
く、とレガートは喉奥で笑う。
「嘆かわしいな! 完璧超人などとは思わないけれどね! こんなものが――こんなお前が、僕が思い描き続けた憎たらしいトラウマの正体だとでも?」
「……うっせえ。俺は別にお前を倒しただけだろうが。大体、その能力なんだよ。なんで俺を模倣してんだよ」
見れば見るほど、感じれば感じるほど、クランとは極端に違うはずのレガートは、しかしクランと重なる。鏡写し、その先にいるのは……誰。
「何を言っている? 知っているはずだ。これは『伝承の権化』――その地に伝わる伝承になりきる能力だ」
「はあ? 俺は伝承じゃねえぞ」
「いいや。君は僕の、伝説であり伝承だ」
「――」
頭をぶん殴られたような、衝撃を受けた。
伝説であり伝承。当然ながらそんな誉められ方、生まれてから今まで一度もされたことはない。ましてや敵であり、こっちを見てもくれなかった彼の口から、そんな言葉が発されるとは思いもよらなかった。
「な、なに言ってんだよ。俺が……お前の?」
「そうだ。寝ても覚めても僕が描き続けた、僕を苦しめ続けた、お前という悪夢。……伝承など最初は一つの口伝に過ぎない。その端緒が僕ならば。それは、生まれたばかりの伝承であり、僕の力足り得る」
「え、え……」
「君の苛烈極まりない戦い方は。君の掛けた言葉は。伝承となるほどに、僕の脳裏にすべて染みついて離れないんだよ。忘れたか。お前が僕にどう戦い、何を言ったか、忘れたとは言わせない」
クランは自然と、驚きに目を見開き、そして自分でもわけのわからぬまま、身を乗り出した。これはまるで天上から垂らされた蜘蛛の糸だった。
「……お前と戦った時のこと」
あの時。クランは今を見ないレガートを蔑んだ。先のことばかりに目が行って、戦いに集中しようとしないレガートを、罵った。
クランは自分を省みる。今の自分はどうだろう。ヴォイドと戦い、オルクスが追いつめられ、動揺して頭が混乱した、あの時の自分は。
“今”に、居たのか。
オルクスが倒れた瞬間に、留まってしまったのではないのか?
思い出せばそれはあまりにも単純明快、簡単なことだった。たった一つだけの自問自答により、靄がかかったような思考が一気に吹き飛んだ。
「そうだよ……そうだよ。俺は、何を勘違いしていたんだ?」
クランは立ち上がった。目の前の、鏡写しの友人は、それを見て、やれやれと肩を竦めた。周囲に目を向けると、ティベリオとシャーリィが言葉もなく、固唾を飲んで見守っていた。
レガートが笑う。子供らしくなく、そしてクランらしくもない、あくどい笑みだ。
「何があったかは知らないが――くくっ。見つけたかい、思い出したかい、何か。お役に立てたかな? 僕の命の恩人よ」
「何があったか、こちらもてんで知らねーが――ああ、最高に最高のタイミングだったさ。それで、俺の姿はお前を救えたのか。そいつは僥倖」
二人は一度だけ、その手を差し伸べ、固く掴み合った。握手というには荒々しいくらいの勢いで。
「……クラン? 大丈夫、なのか?」
ティベリオが恐る恐る問いかける。
「ああ、心配ない。……悪かったな」
すると、小さな息を吐き出すような笑い声が、足元から聞こえてきた。オルクスが、肩を震わせて笑っているらしかった。
「……ふ、ふふ。クランってば。馬鹿、なんだから。えへへへ」
「あ、……あははははっ。そうだな。馬鹿だ。俺はただ、戦ってりゃいいだけだった」
「そうだよ……何、言ってんのさ」
クランは一度、大きく背伸びして。
「本当。楽しんだら負けだの、勝ちに拘り抜いた者が勝つだの、びっくりするほどどうでもいいや。俺は――戦うだけだ。それだけだ」
オルクスを殺されかけた。それは自分の咎だ。認めよう。
だが、そのあとのヴォイドの言葉は的外れだ。巧妙に、クランの戦い方が悪であるかのように、突き落とされてしまったが――違う。クランはあの瞬間までは最善を選び取っていた。オルクスのところに戻ろうと、守ろうとしたらどうなっていたか。それは新たな隙となり、結果的に“同じことが起きていた”。つまり答えはたった一つしかない。
「さっきのは、俺があいつより弱かった。それだけのことだ」
勝敗を決めるのは。
実力だけだ。
「だから――オルクス。次は必ず、あいつより、強く在る。安心して、休んでろ」
にへら、とオルクスが笑う。血を流し、蒼白だったが、その表情はとても嬉しそうだった。
「うん。……勿論、知ってるよ」
ようやく場の空気が少し明るくなった。ティベリオが大きなため息を吐き出すと、それを合図にして全員の緊張が解ける。お互いに少し目を見かわし、笑い合う。
唐突にレガートは、自分がここに来た目的を思い出したとばかりに手を打った。
「そうだ。あいつらを待たせているんだった。……おい、シャーリィ」
「はい」
レガートに名前を呼ばれたシャーリィが、なんで私に? と言いたげな様子でそちらを向く。
「ガドガとラザロを救出した」
「な、えっ!?」
「……成り行きでな。ともかく。そのほかに子供たちと、あと一人、サラリーマンがいるんだよ。ここは安全かい? だったら連れてくるが」
こういう事態は慣れているのであろう、反応が一番早かったのはティベリオだった。
「保護したいのはやまやまだが、今、我々は交戦中だ。君の立場はともかく巻き込まれる可能性が高い。連れてくると言ったが、今どこにいる? そちらは危険か?」
「ふん、話が分かる奴がいると助かるね。……僕がさっき来た方に転移陣があって、子供たちとラザロたちはその先にいる。危険という意味では……一応敵は逃げたが、戻ってこないとも限らないし、監禁されていた子供たちはかなり情緒不安定になっていてね。正直、早く別れたい」
最後はしかめっ面での発言だった。……レガートは子供の姿をしているだけに、子供からは同年代の人間に見えて、いろいろと縋りつかれたのかもしれない。
「ふむ。……残念ながらここの方が危険だな。転移陣の先は、孤島だったりするのか? その場から逃げられないか?」
「無理だね。ガドガとラザロが大怪我をしているんだ、あれに外を歩けと言うのはきつい」
「……ラザロ、怪我してらっしゃるの?」
「ふん」
シャーリィの物憂げな言葉には、レガートは鼻で笑い飛ばす。
「安心していいよ、シャーリィ・ライト。お前の弟は恐ろしい化け物さ」
「……あの子が? シスコン的な意味で?」
「そうそうお前と結婚するって五月蠅くて……ってお前知ってたのか!?」
「ええ。そりゃもう、幼いころは将来を誓い合う指輪を渡されましたわ」
「ねえおねーさん、それスルーしてたの。そんな相手と何年間も音信不通になってたの。おねーさんもヤバい」
オルクスが、懐かしんで思い出を語るシャーリィの後ろで言った。小声なのはたぶん重傷なせいだけではない。
「ってそうじゃない!! そうじゃなくて……あーっもういい。とにかく、あの二人に待機してもらうなら、治療が必要だ。ここが危険だというなら誰か治療を――」
「じゃあ、僕が行くよ」
オルクスが、よいしょ、とぼやきながら立ち上がる。
「オルクス、もう動いても平気か」
「ありがと、クラン。だいぶ良くなったから、へーき。あとは自分で治せる。……それに、ここにいても僕は、足手まといだ」
「……そんなことは」
「いいんだよ。僕があげられるもの、全部、渡していくから。それが、今の僕にできること」
オルクスの屈託のない笑顔。そして、彼はクランの手を握った。
「クラン。受け取って」
温かい炎の魔力が流れ込んでくる。優しくて、まるで母に抱かれているかのような、心を揺さぶる強化魔法。如何なる大魔法使いにも、こんな夢のような魔法は使えまい。真心がぎゅっと詰まっている。
「……確かに受け取った。そっちは頼んだ」
「りょーかいなんだよ。ラザロおにーさんは、痛い治療してやろっと」
「ははは。お手柔らかにな」
ちょうど、扉の方から遠く、足音が聞こえてくる。シルフィードを退けたヴォイドがこちらへ向かってきているのだろう。ティベリオが鋭く声を上げた。
「ここは私とクランだけでよい。シャーリィ、お前もオルクスと一緒に行け」
「……わかりましたわ。負けないでくださいまし」
「無論だ。姉弟の再会に、余計なものは入れさせないさ」
そう言って、一呼吸おいて。
「あとそれから、オルクス。私の分の強化魔法は?」
「あ。……クランのほど強いのかけられる魔力が残ってないけど、いい?」
てへぺろと言いたげに舌を出すオルクス。呆れたように、ティベリオは息を吐き。
「……そうか。いや、ならば要らない。クランにとびっきりのを掛けたのだろう。だったら、残りは全部治療に回してくれ」
「え、いいの、おにーさん?」
「私は、肉体が強化されなくともいくらでも戦いようがある。如何なる相手ともコンビを組めるオールラウンドな柔軟さが、売りなもので。だから、大丈夫だ」
「……わかった。無事でね、二人とも」
オルクスとシャーリィは、レガートに示されて転移陣のあるという奥の扉へ向かっていった。
「なあ、レガート。なんで、助けてくれるんだ?」
ふと、クランは二人に続いて向かおうとするレガートに問いかける。
「……お前を助けたわけじゃない。わけあって、僕の上官は今、ギデオンなものでね。奴の恋人の弟を助けただけさ。……結果的にお前たちを助けるのは、癪だけど」
「ギデオン、近くまで来てんのかよ。……いや、それよりも、お前俺を激励したじゃねえか」
「そいつは恩返し、と言ったろう。僕を救った、君という伝承に対する、ね。あと、項垂れている君は最高に気に食わない。……ま、恩返しはもう終わりだ。オルクスと一緒にいるのを見つかると疑われるから、あいつが治療してる間に僕は姿を眩ますよ。じゃあね」
それだけ言って、レガートは返答を待たずに奥の扉をくぐっていった。彼がギデオンの為に、疑われかねない行為まで犯しているというのも、クランにはどこか不思議な話だったが、これ以上会話を続けることはできなかった。
そして、そのすぐあと、足音が聞こえてくると、反対側の扉が開く――。
クランは自然に気持ちを切り替え、そちらに目を向ける。現れるのは、勿論、第四位――ヴォイド・ゼロ。
「死ぬ準備は終わったらしいな」
「待っててくれたのか? 余裕じゃねえの」
「余裕? 違うな。レガートと鉢合わせると奴のためにならない、そう思ったまでだ」
「……は。こんな時に、あいつを気遣うってのかよ」
「ああ。貴様が立ち直ったところで、俺の勝ちが揺らぐわけではないからな」
「そうだな。それだけの実力差があることは、確かだ。でも、覚えておけ」
クランは敵を見据えた。頭の中から戦闘以外の一切が消え去った。
この一瞬だけが、クランの全て。
「――俺は、強いから」
***
非科学対策本部、第三部隊隊長、フレイヤ・ボルティーアは。
――人を助けたかった。魔法という、常人にとって不可避にして不可解な力。それを理解できる自分たちが、その脅威から民衆を守るのだと信じていた。そのために非科学対策本部からの誘いを受け、この職に就いた。
けれど。
「ああああああ!!! もう嫌!!!!」
フレイヤは叫んだ。社長室から戻る、エレベータの中。ぎょっとして死神ギデオンが振り向き、死神アニムスの獣耳がぴょこんと一度跳ねた。腹心のアーデルベルトは、何も言わない。
「何なの。……何なのよ」
「ど、どうしたの、フレイヤ」
「アニムスっ!! もう我慢ならない、子供たちの場所を教えて!! 私は、私は、助けたいのよ、誘拐された子を、それだけなの!! それなのに……それなのに……」
誘拐を教唆したアニムスを目の前にしても、第四位の、それもギデオンの友である死神に立ち向かうわけにもいかず。太刀打ちできないであろうヴォイドという死神がいることを聞かされて。
社長室で遭遇した“神”も、戦うことすら許されず。
自分は何のためにここへ来たのだろう。
ギデオンを敵に回してはいけない、それだけは何をもっても避けなければならない。そんなことは分かっている。でも、そのために何も罪のない子供や老人が犠牲になるのを見過ごすのは、苦しくてたまらなかった。
「……アニムス。俺からも、頼む。お前の計画上、クランたちをおびき寄せた時点で、もう神託の云々は破棄したって構わねえだろ」
「………ギデオン」
フレイヤは、意外な助け舟に目を見開いた。ギデオンが、まさか、人間の子供のためにフォローを入れてくれるなんて思いもよらなかったのだ。
「そう言われると、えっと。……ギデオン、この人たちは、子供たちを助けに来たの? ってことは、ギデオンも?」
「ああ、そうだ。俺の目的は――」
ギデオンはちらりとフレイヤを見てから、諦めたようにため息をつき、素直に話す。
「俺は、執行のために来た……お前らが誘拐した子の中に、執行対象がいたんだよ。お前ら、子供の監禁場所に魔力感知の効かない結界を張ったろう。それで俺は執行対象の居場所がわからなくなっちまってなァ、目的を同じくするこの二人を頼った。……そういうこった」
「そうだったんだね」
アニムスは、じっと考える仕草を見せ。
「少しだけ、待って。今どうなってるか把握してない。とにかく、シャーリィを助ける旨はヴォイドに伝えなきゃいけないし、一旦状況を把握させて」
「そうだな。フレイヤ、お前もそれでいいな」
「……いいよ」
頷いて、それからふと見ると、アーデルベルトがこちらを睨んでいた。何故そう短絡的な行動をとるのか、と言いたげだった。
「ごめん――」
フレイヤは思わず呟いた。今のはもしギデオンが同意してくれなければ、どうなっていたか分からない要求だったのは、確かだ。
四人はそれぞれの想いを抱いたまま、エレベータを出た。アニムスはすぐさま残りの三人に、「ちょっと待ってて!」と言い残し、駆け去っていく。フレイヤとしても、アニムス抜きで話ができる時間は欲しかったので、引き留めはしなかった。
「……ギデオン。私は……。……ごめんなさい」
「あの程度でアニムスはキレたりしねェし、問題はねェよ。だが、あいつに敵対しようなんて思うなよ。所詮俺は十二位、末端だ。庇ってやれる範囲には限りがある」
「わかってる。……つもり」
壁に背を預けたギデオンは、俯いているフレイヤを見もせずにせせら笑う。
「本当は――俺にも、腹立ってんだろ? あの老人を見捨て、執行と称して罪のない子供を殺そうとしている。お前らからすりゃァ、俺は重罪人だもんなァ」
「っ……、そうよ。悪い?」
全部図星だった。やけっぱち気味に、彼の目を見ずに言い放つ。すると、明るい声で即座に打ち返された。
「悪くねェや」
「……」
「お前の怒りはすべて正しい。俺は人間なんぞ、どうでもいいって思ってらァな。泣き叫ぶ子供を殺そうがなんとも思わない冷血漢さ」
「……っ!! そんなの、そんなのって……」
「死神の世界を変えたい。だから、実質的な創造主への裏切り行為もいとわない。だけどなァ、俺の目的、理想はあくまで死神があるべき形になった世界。人間の為、とか――そんなこと、これっぽちも考えてねェよ。そしてお前らは、そんな俺に利用価値があると考えたんだろう? 敵の敵は味方――そう、思い込むことにしたんだろうが?」
フレイヤはぐっと唾を飲み込んだ。彼の言うとおりだった。ギデオンが人類の味方ではないとわかっていても、創造主の敵であるならば、と。それでティベリオは彼と手を結ぶことを決めたのだ。こんなところでフレイヤが逆らっていい決定ではない。
黙るしかなかった。すると、それまで何も言葉を発しなかったアーデルベルトが、不意に静寂の間隙に割って入る。
「死神ギデオン。良い機会ですので、一つ質問させていただいても?」
「あ? なんだ?」
「我々は『サイス』で起きた解散騒動の事後処理をしました――尤も、あの場で何があったのか、事後処理した当時は知り得ませんでしたが。そして、その真実を後日、クラン・クラインの証言として得ました。それを知った時からずっと不思議だったのです。貴方は死神崇拝の教団を作り、たくさんの鎖を結び、その力を強めた。では……貴方は何故、『信者を殺さなかった』のですか?」
「……どういう意味だ、その質問は?」
「貴方が人間をまるで気にかけていないというのなら、クランのような強敵に出会った時点で、鎖を発動し容赦なく体力を吸い取って、一人二人、殺していてもおかしくはないでしょう。いや、人間を少し気にかけていたって、何百人の信者から適切にギリギリまで体力を吸い取るなんて芸当は難しい。――なのに、『サイス』に潜入していた仲間から連絡を受けて駆け付けたとき、現場は“そうなっていた”」
「……」
「貴方は一人も、たったの一人も殺さなかった。死ぬほど気を遣って、そうした」
フレイヤはアーデルベルトとギデオンを交互に見比べた。確かにそういう報告書を読んだ気がする。……血が上って、すっかり頭から抜け落ちていた。
「……無意味に人間を殺すと、上から大目玉喰らうんでなァ」
「本当にそれだけですか?」
「あァ。上の信頼を失うわけにゃ、行かなかった。そんだけさ」
話は終わりだと言いたげに、ギデオンは顔を背ける。アーデルベルトは納得しない様子だった――フレイヤも、ギデオンが素直に話しているとはどうも思えなかった。この男は本当は、人間を殺したくないのではないか、そんな疑問がよぎる。アーデルベルトが問い詰めようとしたが、しかしそれは叶わなかった……アニムスが帰ってきたのだ。
そして、その様子は明らかに、走り去っていた時とは違う。混乱した表情で三人の前へと来ると、息を吸い込んで。
「なんか凄いことになっちゃってる!!!!」
それだけ、言った。
「す、すごいこと……?」
「うん。えっとね、クランたちが到着しちゃっててー、ヴォイドが交戦しちゃっててー、しかも何故かルナが別の場所で倒れてる。くそっ、なんであいつがルナを!!」
「……あいつ……って誰だ」
ギデオンの声が震えている。
いや、フレイヤもなんとなく気づいていた。この場にたまたま偶然、更に死神と渡り合える者が居合わせる確率など、零に等しいと言っていいだろう。つまり、アニムスの盟友、ルナを倒したのは、恐らく――。
「レガートの野郎だよ!! 城落ちの!! 一体なんで城落ちがこんなところに……誰かが部下に申請しない限りは出てこられないはずなのに、どうして僕らの邪魔を――」
そこまで言って。
アニムスの目がギデオンに向き。
「俺が連れ出しました。すいませんでした」
ギデオンは滅多に喋らない敬語とともに、土下座を決めた。
「……ギデオン。あのね。なんで、なんで、よりによってなんであいつを連れてきたんだ!!!」
「うっ……まさかお前らがいるなんて思わなかったしよ……。それに、ルナを倒した、ってェのはどういうこった? ……あいつは、ルナにゃ勝てねェはずだ……」
最後の方は独り言だった。アニムスはそんな言い訳じみた言葉は意に介さず、ぷんすかと耳を動かす。
「ああ、もういいよ、馬鹿!!! とにかく僕は、オルクスを倒しに行く!」
「ちょ、ちょっと待て! オルクスはどこに……?」
「レガートから、子供たちを託されてるみたい。肝心のレガートはどっか行っちゃったらしいけど……」
「……そうか。なら、アニムス、お前はヴォイドを助けに行け」
「え?」
怪訝そうな表情で、アニムスがギデオンを見やる。クランが離れている今が、オルクスを滅す好機ではないのか、と。ギデオンはその疑いに答える。
「ヴォイドは確かに、第三位のアダムとも比される実力者だ。だけどギルベルトが負けてんだぞ。それに、クランさえ消せればオルクスなんざ目じゃねェんだよ。……確実に、人間側の支柱は、あいつ。総力をもって潰すべきは、クラン・クラインだ」
ギデオンは至って真面目な表情で、そう言った。
フレイヤもアーデルベルトも、その言葉が本当かはわからない。クランという人物に会ったことはないし、ティベリオの話を聞く限り、戦いは強いがそれだけだと思っていた。でも、ギデオンの言葉の真偽に関わらず、彼は本気だった。少なくともその部分に関しては。
アニムスは、息を呑み。
「……わかった。ギデオンの買いかぶりじゃないことを、祈るよ。……ギデオンはどうするの? クランと対峙するのは……」
「シャーリィのことがある。それは避けてェな。俺はレガートを探す。ルナに反逆したっつーのは、どうもしっくりこないんでな……いろいろと、見つけて問い質す」
「そう。了解だ。でも……レガートは、もう無理だと思うよ」
最後の一言は、非常に酷薄だった。無理とは、処刑は免れ得ぬという意味らしい。ギデオンの話では、かつてアニムスをギデオンに紹介したのはレガートだと言うが、今のレガートとアニムスの間には嫌悪の情が迸っているように思える。何か、事情があるのかもしれない。何せ彼らは死神の権力争いの中枢、第四位と第五位なのだから――。フレイヤは気づかれぬようにため息をついた。
「無理かどうかは、問題じゃねェ。俺は、あいつの上官さ」
走り去るアニムスの背中に、ギデオンはそう声を掛けた。
フレイヤはギデオンを見やる。確かにこの男は犯罪組織の一員であり、人殺しだ。でも、先ほどのアーデルベルトとのやり取りや、今の反応から、彼はただ、彼自身がそう言ったような酷薄な者ではないのだと、フレイヤは確信を持ち始めていた。
部下を庇い、同僚を認め、人間に気を遣い、しかし仕事は遂行し、そして創造主に叛逆する。
それらはギデオンの中ではすべて一つなのだ。彼は彼の理想のために、孤独に戦っている。例え仕事と称して人を殺す死神だったとしても、その行動理念は純粋で清廉であり、腐ってはいない。
……そんな気がする。
***
「――解錠」
アンロック。
厳かに、告げられるそれは、必殺の言葉。
深紅に染まった髪は、煌々と闇を照らす篝火のようだ。瞳はこれから待ち受ける激しい戦闘への期待を湛える。体は熱を帯びてティベリオの目には一瞬景色が揺らぐ。クランはティベリオの横から、一歩進み出る。廊下の先にいる、決してここを通してはならない男、ヴォイドに向かって。一歩、踏み出す。
強化魔法のないティベリオは、支援に回るつもりで一歩下がった。それに……この姿のクランは、恐らくティベリオが隣で戦わない方が、強い。彼の自爆戦術を、自分が並び立つことで封じるべきではない。
「ティベリオ。いいか、ここから先、絶対に俺の身を顧みるな。俺は蘇る。殺せると思ったら、ヴォイドを殺せ。どんな状況でも」
「………ああ。わかった」
炎の化身――シャハールやヘンリー、ヴァルナルから、その祈魔法の凄まじさは聞き及んでいる。だから、ティベリオは素直に頷いた。致命傷すらも再生するその力。彼が望むなら、彼ごとヴォイドを倒すことも、厭わない。
「全く。今日は不可思議な魔法に出会う日だ。……体が魔力になっている、か。聞き及んだことすらない魔法だ。だが……それだけのことだ」
ヴォイドは動じない。一度頭を掻いて、それからゆっくりと構える。隙が無い。
一触即発の空気だが、戦う前にティベリオはクランに伝えなければならないことがあった。ヴォイドに聞かれるのはどうしようもないことと諦め、呼びかける。
「クラン! 奴は恐らく、聴覚系の能力を持っている」
「……! 耳……地獄耳ってことかよ?」
ヴォイドは二人の会話を聞いて、一つ鼻で笑った。
「ご明察。いつ気づいた」
「……ついさっきだ。お前はレガートのことに言及していたな? レガートと鉢合わせるべきではないと判断したと。だが、レガートがクランと鉢合わせたのは単なる偶然だ。それを知っているということは、“聴いた”か、“視た”……先の戦いから判断しても、どちらかだと考えるのが妥当だろう」
「しかしそれだけでは聴力とは断定できないはずだが」
すると、ティベリオが答える前に、クランが納得したように頷き、答えを呟いた。
「ああ、ああ、そういうことか。……確かにあれを、映像だけでレガートと認識するのは無理だわな」
クランの姿を借りていたレガート。あれをレガートだと断言するならば、それは声を聴いていたという可能性が一番高い。
ヴォイドは無表情でコメントした。
「……なんだ。あいつ、姿を変えていたのか。まあ、いい。そこまで隠す気もなかったことだ。確かに俺は、些細な音から全てを知ることができる――『絶対聴力』を創造主様より賜っている。だが、それが分かったからといってなんだというんだ?」
「は。強がってんじゃねえよ。からくりがわかっちまえば、やりようもあるってもんだ。……耳がいいなら、とびっきりをくれてやる!!」
クランが動いた。
一直線に駆け寄って放つ、それは凄まじい音をまき散らす爆弾だ。音の奔流で自分たちの音を封じるつもりなのだろう。ティベリオも、そこにヴォイドの隙を見出そうと構え、魔力を練る。
そして音の爆弾が破裂する。鼓膜が破れそうな派手な打音が鳴り響き、反対に控えめな熱と光が放出される。連続で、鳴りやむことなく続く。クランは足を止めることなく、一気にヴォイドの懐へ飛び込み、炎の拳を振りかざす。音による先読みされなければ、十分に接近戦は可能なはずだ。
が――、ティベリオとクランのあては、外れる。
「甘い」
「ッ!!!」
またしても、クランが腕を引いた瞬間からヴォイドは動いた。クランの攻撃はきっちりと見切られ、紙一重で回避される。その先に待つのは、ヴォイドの重い拳の一撃。
吹き飛ばされ、クランはティベリオの方まで転がるように戻ってきた。強化魔法のおかげでダメージはそこまで高くはなさそうである。ヴォイドが追撃しようと踏み出した瞬間、ティベリオは彼の足を狙って風の刃を叩きつける。追撃を諦めたヴォイドは、ひょいと飛びのいてそれをかわした。
「あーっ、あの音でもダメってのか! っていうかそもそも、音でどうやってあそこまで完璧に動きが読めるんだ!」
クランが悪態をつくと、ヴォイドは肩を竦めた。
「浅はかだな。俺の能力は、そんな方法で封じられるほど生易しいものではない。どうせ破れはしないのだから、正確なことを教えてやろう。俺の力は、『望むものを音として聴く』こと。望まぬ雑音がシャットダウンできてこその、地獄耳だ」
「なるほど。対策は万全、ってわけね。いや、待てよ――その、能力。お前まさか、俺の動きを『聴いている』……!?」
「……どうだろうな?」
ヴォイドはそう言って濁す。しかし恐らくクランの読みは正しい。
ティベリオは戦慄した。思っていたよりもずっと強い能力だ。ただ音を聴くのではなく、望んだ情報を音という形で得る能力だとしたら――本来は殆ど存在しないはずの魔力の練り上げられる音や筋肉の動く音が、彼には聞き取れるのだとしたら。それは先読みするには十分な情報だろう。
「さっさと戦意喪失してくれるとありがたいのだがな。お前たちに万に一つも勝ち目はない」
ヴォイドがやる気のなさそうに、そう告げる。本当にこの戦闘が早く終わることだけを望んでいるように見えるその表情からは、勝ち誇った様子はまるでなく、油断も隙もない。
ティベリオは思わず、不安になってクランの表情を盗み見た。そして別の意味で戦慄することとなる。
……彼は、さっきよりも深く、明るく、笑っていた。
ああ、この人は狂っている。
――ティベリオは、ここまで戦闘そのものを心から楽しむ笑顔を初めて見た。まるで楽しい野球の試合を始めるかのような、まるで勝っても負けても汗を流しながら同じように笑えると言いたげな、そんな笑顔。この命がけの戦場で、クランだけが別の世界にいる。
「く、はははははは!!! 最高に素敵な能力だな!!! こりゃあ俺も、あと五回くらい死なないと勝てねえかもな!!」
「……お前は五回くらい殺さないと死なないだろうからな。奇怪な体をしているから、面倒になる。……まあいいさ。何度でも殺そう。勝つために」
五回。……五回の死と復活、それはクランにとって恐らく、限界となる再生回数。
使い切れば、勝てるのか。五回死なないと勝てない――その言葉がティベリオには引っかかった。何故限界まで使い切ることで勝てるのか。あまりにも消極的な勝利宣言ではないか。
そして、小骨のように思考の端で引っかかったそれが、ティベリオに一つの可能性、クランの描く作戦を想起させた。
「あいつ、まさか――」
もし、クランがそのつもりだとしたら。
ティベリオはぎゅっと拳を握りしめる。自分はそれに応えられるのだろうか、と。
(第二十話 了)




