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叛逆のしにがみ戦記  作者: 紅乱
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第十九話 犬耳あざとい超あざとい

でもギデオンは無頓着であった。猫派かな?

「……第四位」


 ティベリオが呟く。クランたちの前に現れた男、ヴォイド・ゼロは、自らを第四位と名乗った。ギデオンにいつしか聞いたことをクランは思い出した。第三位は四人、第四位は十人程度――その少数精鋭、実績と忠誠心に富んだ死神の一角、ということになろう。

 しかし、肩書以上に身をもって伝わるのは、その魔力。

 苗字と二つ目の能力を授かる第五位以上においても、その強さがピンキリであることは、クランは身をもって知っている。例えば第五位、レガート・フォルティは、能力こそ脅威であれ、本人の戦闘力はさほどでもなかった。それに比べてこの男は。


「……」


 端的に言って、強い。恐らくは戦い慣れしている、第四位の武闘派。


「サミエラ。実験は終わったのか」


 ヴォイドは、身構えるティベリオとクランを悠々と眺めつつ、二人の背後に立つサミエラにそう問いかける。


「……ええ、まあ。芳しくはありませんが。ただ魔法を防ぐだけでは、破られますね」

「そうだろうよ。仕方ない、選手交代だ。下がれ」


 頷くと、サミエラは後退し、部屋の奥、兵器の陰に隠れる。クランにそれを咎めることは出来なかった。目の前のヴォイドから目を逸らした瞬間、大惨事になる気がしていた。それはおそらく隣のティベリオも同じだろう。


「さて。クラン・クラインは――立ちはだかるなら殺していい、危険人物認定だからいいとして……そっちの、お前」


 最後の言葉はティベリオに向けられていた。


「……私か」

「お前以外に誰がいる。通告しよう。今はまだ――お前を殺す理由がない。歯向かわないというのであれば、攻撃はしない」

「ふん。どうせ後から死刑対象にしてくるのだろう。だったら……貴様を殺し、全てを闇に葬るまでだ」

「そうか。……面倒だ」


 やる気のない言葉とともに、ヴォイドは動いた。クランとティベリオの立っている足元が隆起し、棘が襲い掛かる。二人は思いっきり後ろへ跳躍し、かわす。

 オルクスの強化魔法はまだ続いている。それをヴォイドもわかっていように、オルクスへ手を出そうとしないのは、恐らくあちらもクランたちから注意を逸らしたくないからだろう。


「やるぞ、クラン!」

「応!!」


 魔力を練り上げ、まずクランが渾身の火球を放つ。続いて僅かな時間差をつけてティベリオの風の刃が襲う。高速で肉薄するそれに対し、しかし、ヴォイドは薄笑いを浮かべ。


「……甘いな」


 風に靡くかのような自然な動作で、彼は二つの魔法を避けた。というよりは、当たらない場所へ動いた、というべきか。何もかもを予測していたかのような動作に、二人は一瞬言葉をなくす。


「なら……!!」


 クランは前へ出た。直接殴ってやろうと考えたのだ。

 しかし結果は変わらない。同様に動きを読まれ、軽々と、単なる子供の拳を避けるかのようにクランの一撃は回避され、そしてそのままヴォイドの蹴りが腹に炸裂した。


「ぐ、――!!」

「クラン、危ない!!! エンチャント――」


 オルクスが叫ぶ。その理由はすぐにわかった。吹き飛んだ先に尖った岩が生成され、クランを突き刺そうとしていたのだ。咄嗟にオルクスが放った土の強化魔法が皮膚を硬質化させ、なんとか突き刺さるのを免れるが、背中に思いっきり尖った何かが衝突し、息が詰まる。……オルクスはまだ、三つの強化魔法を維持することはできない。風の強化が切れたのが分かった。

 しかしわからないこともある。なんだ、この男は。

 クランは判断に困り、立ち上がりながら頭を巡らせる。彼が圧倒的に場慣れしているから動きを読まれているように感じるのか、それとも“本当に動きを読まれている”のか。つまるところ、これが能力なのか、それともほかに能力があるのか――?

 ……思考はいつしか熱を帯び、思わずクランは笑っていた。

 戦いの高揚感が体中を支配していた。


「何を笑っている。楽しいか?」

「楽しいさ!! ああ、そうに決まってる! こんな強い奴と戦えるなんて、さいっこうに幸せじゃあないか!!」

「馬鹿が……」


 ヴォイドが、吐き捨てる。その表情は嫌悪そのものだった。


「そんな軽い気持ちで俺と戦うのはやめてくれ。疲れる」

「は……?」

「戦いとは勝ちを得るためのものだ。それ以外にはない。楽しみたい、などという軽い気持ちで勝利を掴もうとするのなら、俺の相手としては不足だ」

「……言ってろよ!」


 クランは動いた。ティベリオもほぼ同時に魔法を解き放つ。今度は部屋全体を攻撃するような、爆発と風の合わせ技――。


「くだらん」


 ヴォイドの言葉とともに地面が隆起、彼を囲うように土のシェルターが展開される。

 クランはそれをチャンスと見た。自分から視界を奪ってくれるのなら、それに越したことはない。最大火力で、土壁ごと叩き潰すまで。幸いにまだ炎の強化魔法は残っている。何も考えず、飛ぶ。


「――!!!」


 そして、空中から、炎を纏った踵落とし。

 一撃目で壁を粉砕し、大きく体を捻って放つ蹴りをヴォイド本人へ叩き込む……はず、だった。


「え?」


 その時クランが見たのは、自分に向かって拳を構えるヴォイドの姿。


「吹き飛べ」

「――」


 拳が腹に容赦なく突き刺さる。

 土の防壁は既に解除されており、クランが吹き飛ばされたのは、ティベリオの元。精確に彼を巻き込もうとする。


「くっ!!」


 飛んでくるのが味方では吹き飛ばすわけにもいかないと考えたのか、ティベリオは咄嗟に風の壁を作ってクランを受け止めた。しかし、勢いを殺しきれず二人がもつれたその隙を狙って更にヴォイドの魔法が発動し、石の杭が次々に降ってくる。

 強化魔法がかかった状態だ、殴れば止められるし、動けば逃げられるだろう。だが残念ながら、二人ともそれができる態勢ではなかった。


「やっべ」

「馬鹿、どけ!!!」


 避けるも間に合わず、二人の体に杭が降り注ぎ、突き刺さる。体が重くなる。それでもクランは次の追撃に備えた。相手が自分を殺せると思った瞬間こそ、好機なのだから。

 しかし――。




「え?」




 遠巻きに、必死に強化魔法を維持して見守っていたはずのオルクスが小さな声を上げた。


 クランは目を見開いた。

 突き刺さった、石の槍。オルクスの体が、がくりと崩れ落ちる。


「なん……で」


 思わず、呟いた。

 いや、何が起きたかは頭が理解している。理解は、できる。ヴォイドは強化魔法を発動しているオルクスを殺す機会を窺っていた。クランとティベリオを咄嗟には動けない状態にし、遠隔魔法でオルクスを――殺そうとした。そういうことだったのだ。


「言っただろうが。楽しむなどと馬鹿なことをするからだ。常に勝利のために最善の手を取る。それを忘れ、ただその場その場の対応をするだけで、勝ちが掴めると思うな」

「っ……」

「お前たちはまずオルクスを守れる位置まで戻るべきだった。相手の能力をもっと警戒するべきだった。……迂闊すぎる」


 こんなに一言一言が心に突き刺さったことはなかった。思い返してみればそうすべきだったと、クラン本人も思うから。


 自分が楽しんだせいで。

 ただ享楽のままに体を動かしたせいで。

 ――オルクスが?


 思考が纏まらなくなる。戦闘中にこんなに頭が掻き回されたのは初めてだった。


「クラン! まだオルクスは生きてます、治療をしないと――」

「女も邪魔だな」


 叫んだシャーリィに反応し、ヴォイドがまたしても魔法を発動しようとした。クランはようやく自分が『動けていない』ことに気づく。いつもならもう、止めに入っているはずなのに、反射的にその動作が出てきていない。自分だけ、スローモーションになった気分だ。

 代わりに――ティベリオが、咆哮を上げた。


「お前の相手はこっちだ! 吠えろ――シルフィード!!!」

「……!!」


 風がクランの横を吹き抜けたかと思うと、ヴォイドの眼前に何かが現れる。……何か、としか形容しようがない風そのもの。溢れんばかりに湛えるその魔力を感じる。まるで、その魔力が取る形は、“人”だ。

 更に驚くべきはその挙動であった。その風の塊はヴォイドの眼前に現れると、“魔法を発動した”のだ。振り上げるように持ちあがった魔力の腕から、風の刃が迸り、ヴォイドを襲う。


「今だクランっ、退くぞ!!」

「退く!?」

「そうだこの馬鹿者!! 今だけは私の指示に従ってもらう!!」


 ティベリオの口調は有無を言わさなかった。


「待て、貴様ら――っ!!」


 ヴォイドが叫ぶが、シルフィードが次々に魔法を繰り出すために、それを回避・防御することに追われクランたちを追撃できる状況ではない。ヴォイドは回避能力、防御能力ともに群を抜いて優れるが、しかし、防御や回避中に攻撃が可能なわけではないのだ。

 ティベリオに引きずられるようにクランは外へと飛び出した。シャーリィはオルクスを抱えて続く。シルフィードの援護によって、四人は無事にその場を脱したのだった。




***




「ヴォイド様、大丈夫ですか」


 シルフィードの魔力が尽き、雲散霧消した後、サミエラが恐る恐る兵器の陰から姿を現した。ヴォイドは一つ大きくため息をつくと、応じる。


「平気だ。それにしても、まさかあんな魔法に出会うとは。世の中、広いものだ」


 クラン・クラインばかり警戒していたが、あの男、どうにも只者ではない。遠隔魔法の一つの終着点とも言える、『魔法を使う魔法』――アイデアや話として知ってはいるものの、それを使われたのは長い死神の命を遡っても数回しか思い出せなかった。

 だが、それ故に。


「……舐められたものだな」


 ヴォイドは呟く。

 あの場で、オルクスの治療を優先せずシルフィードとともにラッシュを掛けたならば、クランたちには勝ち目があったはずだ。それをティベリオは捨てた。時間稼ぎにあの大技を使ったのだ。

 シルフィードが放った魔力量からして、恐らくもう一発は残されていない。勝敗は決したようなものだった。


 ……なにせ、ヴォイドはまだ無傷なのだから。


「サミエラ、お前はここにいろ。奴らを仕留める」


 彼らの居場所は分かっている。ヴォイドは歩き出した。決まりきった勝ちを得るために、それだけのために。

 戦闘に悦びなど感じない。それは手段にすぎず、寧ろ面倒で嫌いだ。だから最適解を求めて勝ちを得る。それだけだ。




***




「ギデオン! わあ、ギデオンじゃん!!」


 間の抜けたそこはかとなく明るい声に、逆に驚きながらも振り向くと、そこには頭に犬耳のようなものがついた男の姿があった。死神の気配に周囲を警戒していたギデオンも、姿を見るやそれを解く。


「アニムスじゃねえか!! ひっさしぶりー!!」


 青年はアニムス・ウェザーというらしい。話の断片を拾う限り、第四位の死神である、ということだ。

 フレイヤは、アーデルベルトとともに呆気にとられてその同窓会めいた様子を見つめた。

 何せここへは、行方不明になった子供たちを助けに来たはずだったのだ。勿論、誘拐犯との荒事も十分覚悟して。

 そんなフレイヤたちの困惑などいざ知らず、アニムスはこちらに気づいて、ギデオンに問いかける。


「ねえ、ギデオン。そこの人間たちは何?」

「あァ、こいつらは俺の協力者だ。鎖も結んでるから、安心してくれ」

「そっか、確かにギデオンの力を感じるね。なら、いいや」


 鎖。その一言で、アニムスは納得した。フレイヤは内心胸を撫で下ろす。


 ――話は、レガートが囮になり誘拐された直後に遡る。彼の身に着けていた発信機の軌跡を追い、フィフティエール本社の建物に近づいた時だ。

 その時、三人はフレイヤの宣言通り乗り込む気満々だったのだが……ギデオンがはっとした顔で、こう言ったのだ。


「死神がいる」


 死神同士の感知。フレイヤも話には聞いていたが、実際に発動したところを見るのは初めてだった。そして、この感知の範囲は死神の強さや年齢を問わずほぼ同一であるとも聞いている。つまるところ今、ギデオンの存在はあちらに知られた可能性が高い。


「……どういうことかしら。死神が、子供を誘拐する?」

「俺もそんなことしそうなやつに心当たりはねェ。単に偶然仕事で来ているだけならいいんだがなァ……万一ってこともある」


 ギデオンはくるりと振り向いた。


「俺の能力は聞いてるか」

「ええ。……『支配の鎖』。貴方が契約を結んだ相手から、自由に体力を奪う能力ね」

「そうだ。あんたら、あんまり強い魔法使いだと死神に知られると、警戒されて身辺探られる可能性もあるが、戦力として数えられないのも困る。つーことでよォ、俺と鎖を繋いでくれねェか。あんたらの魔力なら二人だけでも相当な力になる」

「構わないわ」


 フレイヤが即答すると、驚いたのはギデオンの方だった。


「い、いいのかァ? こいつを結ぶってことはだ、いつ如何なる時も俺はお前の体力を奪い、殺せる、ってことだぜ」

「構わない。貴方に裏切られたら私たちがおしまいなのは今に始まったことじゃないし、そのリスクを背負うことは承知の上で、ティベリオ隊長は貴方に私たちの存在を明かしていいと命じた。だったら、鎖を結ぼうが結ぶまいが変わらない、でしょ」

「……なるほどなァ」


 ギデオンは感心したように頷くと、改まって。


「では。我が名はギデオン。人の子らよ、我との契約に応じるか」

「応じるわ」

「応じます」


 フレイヤに続き、アーデルベルトが答える。その次の瞬間、何かが繋がった。

 フレイヤにとってそれは未知の感覚だった。ぴったりと張り付いて離れない魔力の何か。それが不快感の類を一切引き起こさないことが、逆に少し不気味に思える。


「……これで、鎖が繋がったの?」

「そういうこった。これで万一の準備もおーけーだな。行くぞ」


 ギデオンは笑って踵を返し、こうして、二人は『支配の鎖』に縛られたわけだが――。

 閑話休題。


 ギデオンの万が一、にはこの事態――今、こうしてアニムスと同窓会めいた状態になっている奇妙な事態――も恐らく含まれていたのだろう。敵意のない死神に会った場合にも、人間が一緒となれば要らない警戒をされる可能性があるが、ギデオンが生殺与奪を完全に握っているならばその限りではない、ということ。

 案の定、アニムスは簡単に二人への警戒を解いてくれた。何を聞かれても、拙ければギデオンが殺す――そう思っているに違いない。


「本当にそうなる可能性もあるから、怖いんだけどさ」


 フレイヤは、一人、そう喉奥で呟いた。ギデオンがいつこちらを売り払わないとも限らない。非科学対策本部第一部隊隊長、ティベリオ・セディーンは、ギデオンを信じろと通達した。しかし、彼の判断がいつも正しいわけではないのだ。

 今はそんなことを考えている場合ではないし、この場で警戒を解いたことに感謝をすべきなのだが。


「ところでアニムス、お前ここで何をしてやがる?」


 ギデオンはそんなフレイヤの心とは関係なく、話を進める。


「んっと、ちょっとね……」


 アニムスの返答は、妙に歯切れが悪い。フレイヤにもはっきりとわかった。


「……隠し事かよ、アニムス?」

「ギデオンは今、第十二位でしょ。教えられることと教えられないことがあるよ」

「第四位サマはお堅いねえ……?」


 フレイヤは、黙り込んだアニムスの様子を観察する。彼はギデオンを見下しているというよりは、どちらかというと、ギデオンに対して後ろめたいことがあるように思えた。そしてそれはギデオンも気づいていると見える。


「……俺が第七位だったら教えたか」

「えっと……」

「第五位まで登ってたら? 第四位だったら?」

「……う、うう。なんなのさ、ギデオン。教えられないものは教えられないんだ!」


 ギデオンはその返答に薄ら笑いを浮かべた。


「要するに。下位の死神に教えたくない極秘任務――じゃァなくて。俺個人に対して後ろめたいこと、だなァ?」

「あうあう。ギデオンやめてよ、これ以上は……僕困る……」

「なら当ててやる。シャーリィだろ」

「きゃん!」


 アニムスは頭を抱える動作をした。頭上の獣耳がしなしなと項垂れる。図星のようだ。

 ……シャーリィ・ライト。死神ギデオンと相思相愛の人間。今はクランとオルクスによって『人質に取られている』ことになっている。そのせいでギデオンはクランの切り札についても喋れない、という設定だと。

 つまるところ――アニムスはクランたちに手を出そうとしている?


「洗いざらい喋れ。どうせ後からわかることなんだからよォ」

「……そうだね」


 観念したようで、アニムスはため息を共に目論見を語った。クラン一行をおびき寄せるために、この組織に神託を与えて利用し、クランたちに空間魔法能力者という餌をチラつかせたこと。三人が現れたら、全員殺してしまうつもりだったこと。そうして功績を得て、第三位の椅子を近づける算段だったこと。


「それで子供を攫わせて……っていうか子供のくだり必要だったの……?」


 フレイヤはため息をついた。神託をそれっぽくするために子供のイケニエという条件を入れたのだろうが、迷惑もいいところだ。――やはり死神は死神、人の命などなんとも思っていないのだろう。規則により無意味な殺人が禁じられていても、人間の命を軽んじていることには違いないのだ。その証左に、人質に取られたシャーリィでさえも、クランたちと一緒に殺そうと――。

 そこでふと気づく。この死神だけでクランたちに対抗しようとしたのだろうか。仮にも第三位を倒したクランを、第四位一人で。

 その疑問を口にしたのは、ギデオン。


「待て、ちょっと待て。お前まさか、一人でクランたちと戦おうとしたのか? 無茶すぎんぞォ!?」

「ち、違うよ! 安心して、負けやしない」

「……負けない? まさか……ヴォイドを連れてきたのか」

「うん。あと、ルナも。ていうかヴォイド一人で大丈夫だと思うけどさ」

「……」


 ギデオンは押し黙ってしまった。

 彼の反応を見るに、ヴォイドという男は相当な手練れだと思われる。


「それで、そいつらは今どこにいるんだ」

「えっと、ギデオンとルナは正面玄関の近くにいるはずだよ。僕は一応、裏手をカバーすることになってたんだ」

「なるほどなァ……ったく」


 ギデオンは、ぷにっとアニムスの頬をつつく。


「クランたちはいいけどよォ、シャーリィまで殺すな!!!」

「んぐっ。だって、助けようとしたら人質に取られるかもしれないし……」

「だからって率先して殺すリストに入れるんじゃねェよ!!」

「んあー! 我儘ギデオン!」

「うるせェ犬耳!!」


 ……中学生同士の会話かな。フレイヤは頭を抱えた。話題はシリアスなのに。


「そうだ! だったらギデオンに頼みがあるんだ」

「あ? 頼み?」

「うん。それを聞いてくれたら、シャーリィのこと守ってみるよ」

「……どんな頼みだよ」


 するとアニムスは、少しその眉を下げて。


「助けてほしい人がいるんだ。……人間なんだけどさ、あんまりにも、あんまりで」

「……人間?」


 あんまりにも、あんまり……その言葉の意味はフレイヤには分りかねた。しかし、ギデオンは事情そのものにあまり興味はないようで、すぐに承諾した。


「それくらいなら、いいぜ。俺で治せるならな」

「ありがとう、ギデオン! 多分ギデオンなら治せると思うんだ。そっちの二人にも協力してもらうことになるかもしれないけど……」

「こいつらも、ってことは鎖関係か?」

「うん。衰弱しすぎてて、体力が足りないんだよ。ギデオン、鎖の力で体力を供給とか、できたよね?」

「なるほどな。ああ、できるぜ」

「やった! じゃ、ついてきて!」


 アニムスは、こっちだよ、と三人を、奥まったところにエレベータの前へと案内した。

 彼を追って歩く間、フレイヤは一番気になっていたことをギデオンに聞いてみた。


「ねえ。あいつ、第四位なのよね」

「そうだ」

「貴方は最高でも第七位なんでしょ。なんであんな対等……っていうか、じゃれ合う関係になれたの?」

「ああ、それか……アニムスは、ちょっと前まで第五位でなァ。レガートが第五位だった時に、同僚として紹介してもらって、結構意気投合しちゃってよォ」

「……なるほど」


 この男、思っていたより顔が広い。

 彼が裏切るかどうかはともかくとして、味方としては本当に心強い死神だった。




***




 やがてアニムスに導かれ、辿り着いたのは、本社ビル最上階の社長室だった。


「オーガストさん、入るよ」


 アニムスはそれだけ言って、ノックもせずに中に入る。ギデオンも二人を伴って続いた。が、そこにいたモノに、彼は目を見張った。


「……い、生きてんのか……?」


 車いすに座った、老齢の男。

 昔は闊達であっただろうその顔は僅かに過去の面影を残すが、やつれきり、青白く、目は落ちくぼみ、見る影もない。死神の目から見ても、魂そのものが摩耗している。精神、肉体ともに限界が近いのが分かった。


「生きてる。辛うじて。……というより、『そういうふうに調整されている』」

「っ……」


 アニムスの言葉に、フレイヤがぎゅっと拳を握りしめるのが見えた。

 その意味は、ギデオンにも理解できた。毒だ。彼は病気などではない、誰かに毒を盛られ、死なない程度のギリギリのところで生かされている。


「誰が、こんなことを……」

「サミエラ・クルスノーレ。……こいつの秘書だよ」

「はァ!?」


 流石にギデオンは素っ頓狂な声を上げてしまった。

 先ほど聞いていた話と矛盾する。サミエラは社長を助けるために、神を呼ぶ儀式を行おうとしていたのではなかったのか。そういう神託をアニムスたちは与え、サミエラは必死にそれに従っているのではなかったのか。


「どういうことよ。その秘書、神を呼ぶつもりでいるくせに、社長を助ける気はないっての?」


 フレイヤが問うと、アニムスは曖昧に頷く。


「そうみたい。……ルナも、ヴォイドも気づいてない。だけど、何かがおかしいんだ、これは、最初から」

「……」

「神なんていないけどさ。サミエラの思惑がなんだろうが、この人は救われないけどさ。……でも、僕には、死んでも生きてもいないこの人をこのまま放置しておくなんて、辛すぎるんだよ」

「俺だって、流石に、これはなァ……」


 アニムスの気持ちはわかる。ギデオンが感じたのは、圧倒的な居心地の悪さだ。

 死んでいるのとも違う、生きているのとも違う。一応生死を司る存在である死神としての本能なのか、どうしようもなく見ているのが辛く、そして気持ちが悪い。


「でも、毒を盛られてるんだろォ? 俺はそんなの、なんともできねェぜ」

「……もう、毒って言っても本当に微量なんだ。この人、衰弱しきってるから、体力がなくて、一人じゃ立ち直れない。毒を抜いても無理だよ」

「だから俺の能力で、こいつに体力を分けてやれと、そういうことか」

「うん。お願い、ギデオン。せめてこの人の意思が聞きたい。死を望むなら、連れて行ってあげたい」

「……わかったよ」


 アニムスは、まるでオルクスのようだな、とギデオンはふと思った。

 オルクスもこれを見たら同じことを言っただろうか。いや、彼は違う、もっと人間に寄りそう死神だ。憤慨し、なんとしても助けようとしただろう、サミエラを殴ってでも。

 そこに乖離がある。

 創造主の操り人形と、人形の裏切り者。

 どちらがいいか、どちらが幸せかなんて、ギデオンの知ったことではないが。


「おい、フレイヤ、アーデルベルト。ちょいと体力貰うが、構わねえか」

「いいよ。私もこれは、捨て置けない」

「無論構いません」


 二人の許可を得て、ギデオンは体力を少し吸い取った。自分の体力も混ぜて、オーガストと呼ばれる老社長に近づく。体力を吸い取るには鎖を結ぶ必要があるが、体力を与えるだけならそれは必要ない。

 その時だった。

 聞きなれない声が部屋の入口から、した。




「困るのぉ、わらわの見ぬところで勝手にそれを治してもらっては」




 白いワンピース。焦げ茶色の髪の毛は、ふんわりとウェーブがかかっている。そしてくっきりとした顔立ち、少し吊り上がった目。麗しい女性の姿。

 いや、そんな外見の特徴よりも、何よりも。

 震える。気圧される。相手が歩いてくるだけなのに、本能が警鐘をあらんかぎりに鳴らしている。ヤバい。逃げなければ、いや、頭を地に打ち付け平身低頭しなければ。


 死ぬ。


「だっ……誰だ、お前……」


 隣のアニムスもがたがたと震えていた。

 ギデオンは気づく。フレイヤもアーデルベルトも、警戒こそすれ、恐怖やどうしようもない震えに苛まれている様子はない。アニムスと、自分だけが、本能らしきものに苦しめられている。これは、これは――。


 しかし思考を回し続ける余裕すら、今のギデオンにはなかった。ただ、返答を待つ。目の前の女性が口を開くのを。


「わらわ? 神じゃよ」


 さらりと、その女は口にした。いるはずのない、神という単語を。


「神……ですって?」


 フレイヤが怪訝そうに眉を顰める。

 それからこちらを一瞥し、動ける様子ではないと見ると、彼女は二人を庇うように前へ出た。情けない話だが、フレイヤが女との射線を遮ると、ギデオンの心にもほんの少し余裕が生まれた。


「神様気取りのお嬢さん。あんた、黒幕ね」

「ふふ、ふふふ。不遜な輩よの、人間というのは。お嬢さん、神様気取り――わらわを見た目で判断するとは、ああ憎らしい、憎らしい」

「話を聞け。そこを動くな。サミエラ・クルスノーレの協力者でしょう」

「わらわが暇つぶしに力を貸してやっておるのじゃ。あの子の研究は中々に面白くてのぉ――人間にしては」

「要するに協力してるんじゃない。回りくどいのは嫌い。縛り上げて、話を聞かせてもらうわ。もう何がなんだかさっぱりなんだから」

「不遜にもほどがあるぞ、人間よ。わらわの逆鱗に触れないうちに、立ち去るがよいわ。……ふふ、後ろの二人は、分かっているようじゃの?」


 それを聞いてフレイヤはこちらをちらりと見た。

 悔しいが、ギデオンは戦える状態ではない。それにこの現象、恐らくは……。女の正体を鑑みるに、フレイヤたちも戦ってはいけないと、ギデオンは思っていた。だから必死に首を左右に振った。


「戦うな。ダメだ。絶対に、ダメだ!」

「ったくもう。……しょうがないな」


 ギデオンたち死神の、反応の異常さにはフレイヤも気が付いていると見え、少し女を睨みつけた後、あえなくため息を漏らす。


「アーデルベルト、二人を引きずって。……こんなんじゃ勝負にならないわ」

「承知しました」


 二人はアーデルベルトに助けられ、その部屋から出た。

 にこにこと作り笑いを張り付けて見つめる“神”に見送られて。


 いや。

 ようやく正常を取り戻し始めた思考が告げる。

 死神だけが抱く根源的恐怖。つまるところ、創造主に植え付けられた感情の一つ。それを想起させる存在とは、即ち、創造主が何をもっても庇護したい何か――。


 神とは程遠い、何か。




***




「悪いなあ……ティベリオ」

「……ああいう手合いは初めてか」

「初めてだよ。ちょっと、わけわかんなくなっちまった」


 ティベリオは、オルクスの治療をしつつもクランの表情を盗み見る。

 死神第四位、ヴォイド・ゼロから敵前逃亡して、数分後。ティベリオ、クラン、オルクス、シャーリィの四人は、本社ビル内の倉庫のような部屋に隠れていた。オルクスの応急処置は終えていたが、クランの顔色は冴えない。


 師匠たるシャハールはある時、ティベリオにこう言っていた。……クランの強さとはそれ即ち、異常なまでに戦いに特化した精神であり、それ以上でもそれ以下でもない。彼の精神の異常性が失われれば、彼はただの何処にでもいる魔法使いだと。

 オルクスを殺されかけ、自分の戦闘スタイルに自信を失った彼は、だから、シャハールの言葉を借りるなら“何処にでもいる魔法使い”だ。それなのに、ティベリオは彼に賭けてしまった。自分の切り札を、逃げるために切ってしまった。この場をしのぐ方法は、もうクランを立ち直らせること以外にはない。


 だが――彼になんと声をかけたものか。


「……クラン。戦えないか」

「戦うことはできる。でも、どうやって戦ったらいいのか……」

「はは。まるでお前、ムカデが歩き方を意識して足を絡めたような状態だな」

「そいつはそうだな。息の吸い方、右足を前に出して左足を前に出す歩き方。意識すると、できなくなる」

「……頼む、思い出してくれ」

「ああ、うん、わかってんだけどさ……うん」


 彼の異常な精神構造は、彼自身が思い出さなければならないものだ。

 なぜならティベリオにもそれは理解しがたいものだから。


 オルクスは話せる状態ではなく、シャーリィもかける言葉がないようだった。誰一人として、この場にクランの感情に寄り添える者などいないのだ。いや、そんな人間、世界中の何処かに一人でも存在しているのだろうか。戦いを目的とし、命を投げ捨てることで命を繋ぐ、スリルジャンキー。その極致にいるこの男の気持ちなど、分かる人間が。


 時間だけが過ぎていく。次ヴォイドに見つかれば逃げる手段はないというのに、ティベリオはクランを励ます方法すら思いつかない。根本的に見ている世界が違いすぎる。


「普段のクランを、ここに置いておいてやりたいですわね」


 シャーリィがふっと漏らした。

 それはその通りだ、とティベリオは苦笑で返す。


「ははは。そいつが一番の薬だろうにな」

「……うるせーばーか。俺だってたまーには悩んだりすんだよ」

「今悩むな、全く!」

「……悪い」


 端的に言って、クランはまたうつむいてしまう。自責の念に駆られている彼は、新鮮ではあるが見ていたくはない。ティベリオの言葉も、そこで止まってしまった。

 すると、少しの沈黙が流れた後。今まで会話を聞いているばかりだった、寝かされているオルクスが、おもむろに口を開いた。


「……あれ。ねえ……だれか……くるよ」


 ティベリオ、クラン、シャーリィがさっと青ざめる。彼が気づいたということは、それは死神の感知に他ならないからだ。勿論三人が想像したのはヴォイドだ。……しかし、実際は違った。


「ナニコレ、なんでこんな辛気臭いことになってるのかな?」


 予想とは反対側の扉が開き、小柄な人影が歩いてくる。


 ティベリオは目を見張った。

 靡く茶色の髪、強い意志の宿る赤い瞳、背中に生えた紅の翼。


 ――それはまさしく、小さなクランだった。





(第十九話 了)

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