第8話 忍び寄る軍服と影
床に転がったブタ官僚の死体を見下ろしながら、俺は冷徹に言い放った。
「このブタは見せしめにしろ! 領民の前に骸を晒せ! ──レガリアを蝕む汚職官僚はすべて極刑、その資産は全額没収だ!」
「その役目……ぜひ我らに」
俺の言葉が終わるか終わらないかの瞬間、部屋の隅の影から、不意に低く抑えられた声が響いた。
いつの間にか、俺の執務室の目の前に『それ』は跪いていた。
「クロか」
全身を光を吸収するような漆黒の特殊装束で包み、顔面には感情の読み取れない独特の意匠の仮面を被った存在──クロ。
声のトーンは変調されており、男なのか女なのか、それとも若者なのか老人なのかさえ分からない。こいつもまた、白銀が屋敷の地下深く……遺跡から目覚めさせ、呼び出した者たちの一人だった。
何人いるのか、その正確な総数を俺は知らない。
分かっているのは、こいつらが『暗部』であるということ。俺の直轄組織として、敵の暗殺、スパイ活動、警護、破壊活動、そして情報収集といった特殊任務を専門に行う、
「任せる。」
「御意。」
俺が短く告げると、クロはまるで最初からそこに存在していなかったかのように、輪郭を陽炎のように歪ませて一瞬で闇の中へと消え去った。
その日の午後から、惑星レガリアの首府は、かつてないほどの激震と「粛清の嵐」に見舞われることとなった。
「行政庁筆頭財務官僚一派、およびその協力者一同! 領主アレス様への反逆、および巨額の横領容疑で逮捕する! 抵抗する者はその場で処刑せよ!」
街の住人たちが驚愕の目で見守る中、始まったのは『憲兵』たちによる汚職官僚の一斉検挙だった。
今まで官僚から賄賂を受け取って丸め込まれていたはずの憲兵たちが、突如として鬼の形相で行政庁へと乱入し、逃げ惑うj腐敗官僚の残党どもを次々と組み伏せていく。中には隠し持った武器で逆らおうとする官僚もいたが、憲兵たちは一切の手加減なしに、その場で首を撥ね、容赦なく光線で撃ち抜いて処刑していった。
その過酷極まりない、血の粛清劇。
「……マスター。補足しておきます。現在、地上で官僚たちを執行しているのは、『憲兵の制服』に変装した、クロ率いる暗部の手によるものです」
俺の背後で、白銀が紅玉の瞳をパチリと瞬かせて解説した。
なるほど、現行の腐った憲兵組織が動くはずがない。暗部が憲兵の皮を被って、行政府を力任せに大掃除しているのだ。
「ついでに、官僚たちから賄賂を受け取っていた本物の憲兵組織の幹部、および汚職平民兵の『掃除』も、同時に地下で完了いたしました。これより、憲兵組織も我が行政庁の完全管理下に置かれます」
白銀の完璧すぎる手際。横領された莫大な隠し資産はすべて俺の口座へと流れ込み、レガリアを蝕んでいた腐敗のネットワークは、わずか数時間で根こそぎ解体された。
翌朝、街は一変していた。
昨日までの、私兵や官僚が威張り散らし、領民が怯えていた空気は完全に消え去っていた。
「おい……聞いたか! あのブタ財務官が処刑されたってよ!」
「それだけじゃねえ! 横領されてた金が全部没収されて、新しい領主様が、俺たちのための資金にするって……!」
突然の出来事に、最初は誰もが恐怖し、驚いた。だが、ブタ官僚の残虐な罪状と処刑の事実が公表されるや否や、街中には地鳴りのような歓喜の渦が巻き起こった。
家畜のように虐げられていた領民たちは、新しくやってきた『無能の領主』の、あまりにも圧倒的で容赦のない電撃的な手腕に、涙を流してその名を讃えたという。
「アレス様万歳! 新しい領主様万歳!!」
だが、まだ一歩目を踏み出したに過ぎない。
「さて…まだまだ問題は山積みだな」
俺の言葉に、黄金のAIメイドは静かにうなづいた。
夜のとばりが降りる頃。不毛の惑星レガリアの街には、久しぶりに弾けたような笑い声が響き渡っていた。
これまでは肥太った財務官僚の汚職に塗れ、憲兵や軍人たちの度重なる横暴に、ひたすら息を潜めて耐えることしかできなかった領民たち。彼らにとって、あの横暴を極めたブタ官僚の公開処刑と憲兵組織の大掃除は、これ以上ないほどに胸のすくむ歴史的な出来事だったからだ。
「おい、新しい領主様に乾杯だ!」
「アレス様万歳! 名君万歳ッ!!」
薄暗い酒場のあちこちからはそんな声が聞こえ、安酒の入ったカップが何度も打ち鳴らされては乾杯の歓声が上がっていた。誰もが未来に、かすかな光を見出そうとしていた。
「──ハッ! 何が名君だ、馬鹿馬鹿しい!」
そんな熱気の中、カウンターの一角から一人の男が水を差すように大声で叫んだ。
その不敬な声に、周囲からは一瞬で怒りの目が向けられ、驚く者など様々な視線がその男へと一斉に集まる。
「ちょっと、あんた。滅多なこと言うんじゃないよ……っ」
酒場の女将が血相を変えて小声になり、カウンターに突っ伏し気味の男に注意を促した。
男はひどく酒に酔っているようで、顔を真っ赤にしながらぶつぶつと愚痴をこぼし続けている。
「うるせぇ! 聞けばあの領主、本家から無能だと追い出され、こんな最果てに島流しにされたお貴族様のボンボンって話じゃねえか! 今回の粛清だって、どうせ自分の私腹を肥やすためにブタ官僚の金を奪い取っただけだろうよ! 金さえ溜まれば、いずれどっかの豊かな星に逃げていっちまうに決まってるんだ!」
吐き捨てるような男の叫び。
その言葉に、酒場は水を打ったように静まり返った。怒りの目を向けていた領民たちも、次々に視線を落として黙り込んでしまう。
なぜなら、その男の声は──今ここにいる者すべてが、胸の奥底で最も危惧し、恐れていることそのものだったからだ。
貴族なんてどうせ平民を家畜としか思っていない。いつか裏切られる。
だが、彼らはそれを全力で否定したかった。本家を敵に回してまで自分たちのために戦ってくれたアレスを、本物の救い主、名君が現れたのだと思いたかった。
そうでも思わなければ、希望がなければ、この過酷な星で明日を生きていく力が湧かないからだ。
「おー、俺も全く同意見だぜ」
沈黙が支配した酒場の背後から、低く濁った声が響いた。
「だろぉ? 分かってくれるか──」
男が嬉しそうに同意を求めて振り向く。
だが、次の瞬間、男の顔はアルコールが一気に吹き飛ぶほどの猛烈な恐怖に染まった。
そこに立っていたのは──だらしなく着崩されてはいるが、間違いなくアストレア家の紋章が入った軍服に身を包んだ、数人の軍人たちだったからだ。
「お前、良いこと言うじゃねえか」
一人の軍人が男の隣の席にどっかりと腰を下ろすと、肉厚な手で男の肩にガシリと腕を回した。そして、目の前のグラスに安酒をなみなみと注ぎ込む。
肩を掴まれた男の顔は、さっきまでの泥酔の赤さから、完全に血の気が引いて真っ青に青ざめていた。
「ひっ……、あ、あの……」
軍人たちの登場に、酒場にいた平民の客たちは、互いに目配せをしながら蜘蛛の子を散らすように次々と店を後にしていった。一瞬で酒場が静まり返る。
領民たちにとって、彼ら軍人はあの財務官僚よりも遥かに直接的な暴力を振るう、最も恐ろしい存在だった。何せこの星には、五千隻の艦艇と、一万人の凶暴なクズ兵がのさばっているのだ。
「まぁ見てな……。本家の後ろ盾もねえ、あの坊ちゃんが、いつまで領主の真似事を続けていられるかよ。すぐにその化けの皮を剥ぎ取って、この星の本当の主が誰なのかを教えてやるからよぉ」
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべ、軍人は注がれた酒を一気に煽った。
その濁った瞳には、新領主アレスへの明確な敵意と争いの火種がドス黒く燃え上がっていた。




