第5話 魔女の目覚めと男の子の事情
「……完全に、舐められてるな」
ぽつりと、誰もいなくなった室内に俺の声が虚しく響いた。
怒りで視界が赤く染まりそうになるのを、深く息を吐いてどうにか抑え込む。
実家の親父や弟だけでなく、この星の腐敗したクズどもまで俺を舐めきっている。その現実に、奥歯がガチガチと鳴るほどの悔しさがこみ上げてきた。
──その時だった。
『くすくす……!』
突如として、俺の脳内に鈴を転がすような、しかしどこか傲岸不遜な女の笑い声が響き渡った。
『昨日今日来たばかりの小僧が、侮られても仕方はあるまい? むしろよく耐えたと褒めてあげようか?』
「魔女……めッ!」
俺は周囲に誰もいないことを確認してから、声を潜めて脳内へ怒りをぶつけた。
「オレが話しかけても、一切応じなかったくせに! なんでこんな、一番イライラしてるときに出てくるんだよ!」
『仕方がなかろう、本当に寝ていたのだから。……私は四六時中、お前の脳内に付きっきりの暇人ではないぞ? それとも側にいて欲しいとでも言うのか?』
「な──っ、誰がそんなこと言った!」
こいつ……確実に俺をからかって遊んでいる。
脳内のため姿こそ見えないが、言葉の端々から彼女が楽しそうに喉を鳴らし、不敵にほくそ笑んでいるのが手に取るように伝わってきた。完璧に手のひらの上で転がされている。
『そうそう。私はこれでもお前のことを考えて、必要なときだけ話しかけるようにしているのだ。しょっちゅう脳内を覗かれていては、お前も困るだろう?』
「……困る? 何がだよ」
『『プライベート』にもちゃんと配慮してやっているのだ。その方がありがたいだろうし……色々と都合がいいだろう? ──男の子としては』
「…………あ」
魔女の、含みを持たせた妖艶な囁きが耳の奥で弾けた瞬間、俺は彼女の言った言葉の『意味』を完全に理解した。
男の子としての、プライベートの事情。
思春期の男が、一人で部屋にいるときに何をするか──それを、ずっと頭の中の魔女に見られているかもしれないという、最悪のプライシー侵害。彼女が「寝てる」フリをして意識を遮断してくれている(あるいは本当に寝ている)からこそ、俺の男としての尊厳は保たれているのだ。
その重大すぎる事実に思い至った瞬間、俺の顔は耳の根元まで真っ赤に染まった。
そして、これまでの怒りや悔しさはどこかへ完全に消し飛び、引きつった顔で思わずこう口にしていた。
「……ッ、……アリガトウゴザイマス」
『ふふっ、よろしい。素直な男の子は嫌いではないぞ?』
脳内の魔女は満足げに笑うと、ふっと少し真面目な気配を纏わせた。
『さて、小僧。お前にプレゼントがある。これを得れば、お前の抱えている諸問題など一瞬で解決するだろう』
「……なに?」
魔女の突拍子もない言葉に、俺は訝しげに眉をひそめた。諸問題の解決、つまりあの肥太った財務官僚の横暴や、真っ赤に染まった財政、一万人のクズ私兵どもを一度に片付けられる何かが、このボロ屋敷のどこかにあるというのか。
俺は魔女の案内のまま、執務室を出て、屋敷の隅にある古びた扉を開けた。そこは、屋敷のさらに地下へと通ずる、カビ臭く薄暗い階段だった。
アリシアに見つからないよう静かに扉を閉め、俺は真っ直ぐに通路を進んでいった。
足元には、本家の粗悪な建築技術で作られたコンクリートの床が続いていたが、奥へ進むにつれて、いつの間にか見たこともない奇妙な黒い金属質の床へと変わっていく。
「なんなんだここは……?」
昨日来たばかりだが、あの小さなボロ屋敷の地下に、こんな場所があったなんて聞いていない。
一歩、また一歩と暗闇の奥へ進むと、不意に行き止まりに突き当たった。
いや、行き止まりではない。俺の目の前で、巨大な防壁のような金属扉が静かに左右へとスライドし、その先の世界が開かれたのだ。
扉をくぐり抜けた瞬間、俺は息を呑んだ。
「……っ!」
そこは、屋敷の真下にあるとは到底信じられないほどの、巨大な空間が広がる場所だった。
天井は遥か高く、どこまでも続く暗黒の空洞。
俺以外に誰も来たことがないのだろう。大気は完全に淀んでおり、あちこちが何百年分もの埃と、錆びついた鉄、そして湿ったカビの匂いに包まれていた。
かつて高度な文明がここに何かを築き、そして歴史の闇に埋もれてそのまま放置された──そんな、不気味な静寂だけが空間を支配している。
『どうだ? 悪くないだろう』
脳内で魔女が、自慢のコレクションを披露するかのように妖しく囁いた。
埃にまみれた巨大な空間の奥底で…。
そこは、見上げるほどに広大な巨大空間だった。オレが静かに足を踏み入れると、その侵入に反応したかのように、壁面の古代灯が次々と怪しい光を灯していく。
そして、空間の中央に鎮座していた「それ」が視界に入った。それは、重厚な甲冑に全身を包んだ、規格外の巨体を持つ人型兵器だった。
右手に巨大な大剣を握り、左手にはすべてを拒絶するような頑強な盾を構えている。『――ガーディアンだ。倒してみせろ』脳内で魔女が試すように短く一言だけ告げた。
ゴゴゴゴゴ……!
その言葉に従うように、硬直していた巨人が重々しい駆動音を立てて動き出す。。
放たれる圧倒的な質量と威圧感に、一瞬だけ身体が恐怖で強張った。だが、オレは知っている。戦い方を。脳内の魔女が見せた、あの常識外れの戦闘を。ガーディアンの大剣が容赦なく振り下ろされ、地面が爆風とともに激しくえぐれた。瓦礫が激しく吹き飛ぶ猛攻の中、オレはただ意識を集中させる。無属性のオレがやるべきことは一つだけだ。
「おおおおおッ!」
オレは可視化されるほど濃密な魔力を一気に吹き出させ、それを自身の身体に実体化する「鎧」として身に纏った。
魔力を質量と運動エネルギーへ変換する、力任せの具現化だ。眼前に迫る巨人の大剣。オレはその凶刃に向かって自ら踏み込み、魔力の鎧を纏った素手で、真っ向からその大剣をガシィッ! と掴んで受け止めた。
「はあああああッ!」驚愕に動きを止めた巨人に対し、オレはそのまま無我夢中で拳を突き出した。一撃、二撃、三撃!魔力の質量を上乗せした、容赦のない激しい乱打・乱撃をその鉄躯へと浴びせかける。ドガガガガガガガガッ!!打撃のたびに火花と衝撃波が空間を震わせる。拳が砕け散るのも構わず、ただ本能のままに殴り続けた。
気がつけば、あれほど圧倒的だった巨人は装甲を激しくひしゃげさせ、地に伏して完全に動かなくなっていた。
『……ふん。まぁ、及第点か』
脳内から響く魔女の冷淡な声。オレは肩を激しく上下させ、荒い息を吐きながら、己の拳を見つめた。
「はぁ、はぁ……クソ、無駄な動きが多すぎる……!」
勝った。だが、魔女の洗練された動きに比べれば、今のオレの暴虐はあまりにも不格好で未熟だった。自らの弱さを痛感し、奥歯を噛み締める。
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