第22話 不遜なる市場(スレイブ・トレード)
「奴隷市場……だと?」
レガリア・ゼロの劇的な試乗テストから数日が経ったある日。
オレはいつもの領主執務室で山積みの書類を片付け、ようやく一息ついたところだった。そんなオレの元を、一人の硬骨な部下が訪ねてきていた。
憲兵総監、ヴェロニカ・ルセラク。
アストレア本家による腐敗と汚職が骨の髄まで染み込んでいた旧憲兵組織の中で、ただ一人、賄賂に一切手を出さなかった潔癖な女だ。それどころか、上官の不正を内部告発する暴挙に出て、当然のように組織内で吊し上げられていた。
それでも屈せず己の職務を全うしようとしていた彼女の執念と実績を買い、オレは新生レガリア軍の憲兵総監という大役を与えた。もちろん、組織の裏側はクロたち暗部が完全に掌握し、彼女の手足となって組織を固め、護衛と補佐を完璧にこなさせている。
そんなヴェロニカが、表情を険しくして驚くべき密告を持ってきた。
このレガリア領内の極秘区域で、近々大規模な暗黒奴隷市場が開催されるというのだ。
「……帝国法において、奴隷の売買は禁止されていない。だが、奴隷制度など既得権益層の懐を肥やすだけの歪んだシステムだ。だからこそ、オレはこのレガリア領において奴隷の売買および所有を全面的に禁止したはずだが?」
「はい。アレス様の御意志は領内全域に通達済みです。にもかかわらず、本家と繋がりのある悪徳商人や旧貴族の残党どもが、法の目を盗んで大規模な取引を画策している模様です」
ヴェロニカが報告を続ける。
オレが厳しく禁じた絶対の法を無視し、オレの足元でコソコソと大規模な人身売買を行おうというのか。
いい度胸じゃないか
オレの口元に、冷酷な笑みが浮かぶ。
犯罪というモノは、叩けば叩くほど光を避けて地下に潜るものだ。
誰もが寝静まる深夜。不夜城と呼ばれる街の一角に、ひっそりと佇む古びたビルがあった。その厳重に閉ざされた扉の前には、見上げるほど屈強な男が一人、用心棒として立っている。いかにもな風貌と、周囲を威圧する視線。隠す気があるのかと呆れたくなるほどの佇まいだ。
オレはその男に向かって、あえて堂々と足を進めた。
「あ?」
男が立ち塞がり、不機嫌そうにオレを見下ろしてくる。
「買い物をしに来た」
オレが短く告げると、男は無言で腕のデバイスを操作し、オレの全身を厳重にスキャンし始めた。
金属探知や魔力反応による危険物のチェック。そして何より、身元のデータベース照合だ。やがてデバイスに緑色のランプが灯る。危険な武器は所持しておらず、身元も「安全な顧客」であると確認できた男は、フンと鼻を鳴らして扉を開け、中に通してくれた。
当然だが、今のオレは変装している。
一領主、ましてやレガリア軍の総帥がこんな場所に素顔で来られるはずがない。顔が割れていることも考慮し、クロたち暗部の秘術を用いた『魔法変装』を施している。
さらに、先ほどのスキャンをパスした身元データも、暗部が事前に完璧に偽装した偽の戸籍だ。現在のオレの表向きの身分は、道楽で奴隷を買いにやってきた、どこかの地方貴族のボンボン。
『ほっ、本当にアレス様が直々に潜入する必要があるのですか!?』
今回の作戦直前、憲兵総監のヴェロニカは顔を青ざめさせて猛反対した。執事のセバスにいたっては、眉間に深い皺を刻んで無言の圧力をかけてきたものだ。
当然の反応だろう。最高権力者である領主が、わざわざ危険な敵地に単身で乗り込む必要などどこにもない。だが、オレは自分自身の目で確かめたかった。オレの領地で、オレの法を無視して好き勝手に蠢く害虫どもの実態を。そして必要なら、この手で直接実力行使に移る。
それに、オレがここにいるのには、もう一つ実利的な目的がある。
この古びたビルの周囲は今、ヴェロニカ直属の憲兵隊一個中隊と、軍の精鋭部隊によって完全に包囲されている。上空には特殊光学迷彩を施された静穏性に優れたヘリが潜み、地上には最新の魔導機動兵器部隊が息を潜めて控えていた。
彼ら憲兵隊、軍の実力をこの目で見たかったのだ。
狭く湿った階段を下りきった先にある重厚な扉。それを開けた瞬間、むっとするような熱気と、欲望が煮こごった異様な歓声がオレの鼓膜を刺した。
そこに広がっていたのは、悪趣味に着飾ったオークションハウスだった。
円形の会場を埋め尽くすのは、一見すると身なりのいい貴族や大商人どもだ。しかし、その顔はどれも欲望に歪み、獲物を前にした獣のように品性のない涎を垂れ流して興奮に身を震わせている。
「さあさあ! 続いての出品でございます!」
中央の舞台では、派手な衣装を着たオークショニアが、言葉巧みに観客の狂熱を煽り立てていた。
その舞台上に引きずり出されている「品物」は、当然、生身の人間――奴隷たちだ。
誰も彼もがボロ切れのような衣服を纏わされ、その瞳からは完全に生気が失われている。ただ運命に絶望し、生きる気力すら根こそぎ奪われた泥人形のように立ち尽くしていた。
並べられた男たちの多くは、過酷な鉱山や前線で使い潰される使い捨ての労働力か、あるいは一部の歪んだ権力者の男色の餌食になる運命だ。
女たちの結末はさらに悲惨だろう。良くて傲慢な貴族の妾、最悪の場合は闇の実験体か、それ以上の地獄が待っていることは火を見るより明らかだった。
「……反吐が出るな」




