第19話 レガリア・ゼロ
その顔も鼻の頭にオイルがついていて、まるで野良猫のようだ。
隣では、先ほどまで冷徹な軍師の顔をしていた白銀が、すでにいつもの「頭の痛いものを見る目」に切り替わり、静かにため息をついていた。
「失礼も何も、匂いで鼻が曲がりそうなんだが。……で、主任整備士がわざわざここまで全力疾走してきたってことは、何かあったんだな?」
オレが尋ねると、フェムはハッと弾かれたようにオレから離れ、目を輝かせた。
「レガリア・ゼロの整備完成しました!ぜひご覧になってください!」
満面の笑顔でフェムは言った。
オレが宇宙港に来ていると知ると、彼女はわざわざ『ゼロ』をこの港のドッグまで運んできたそうだ。相変わらず行動力が規格外すぎる。
オレは彼女に促されるまま、広大なドッグへと向かった。
巨大なハッチが開き、その向こうに、かつてない威容を誇る『ゼロ』が佇んでいた。
「……これが、ゼロか?」
思わず息を呑む。
以前に見た薄汚れた遺物の姿は、そこにはもうなかった。最新の機体へと完全に生まれ変わっている。昔、魔導機動兵器のカタログを見て、子供ながらに憧れたどの機体よりも、遥かに先鋭的で、美しい。
「装甲は帝国でも開発されたばかりの合金製で、しかも領地内で採れたアダマンタイト、ヒヒイロカネ、ミスリルなどのレアメタルをふんだんに使用し、より強固に、より軽量化に成功しています!」
フェムが誇らしげに、しかし早口で一気に説明してくれる。
「市場に出している他の鉱物との混ざり物ではなく、純度100%のレアメタルを使っています」
背後に並んでいた白銀が、静かな声で補足した。魔導機動兵器に純度100%のレアメタルをこれほどのに惜しげもなく注ぎ込むなど、国家レベルの予算でも正気を疑われるレベルだ。
「他にも武装は同じ物質でできたシールドや……高圧縮ビームライフル、反物質投射砲、近接用ソードなど、多彩な武装を標準装備にしています! ぶっちゃけ、外の艦隊よりお金かかってます!」
ふんす、と鼻息を荒げてフェムは言った。
誇らしげに胸を張る彼女の前で、オレは新しく生まれ変わった愛機の、吸い込まれそうなほど美しい装甲を見上げる。アストレア家への復讐、そのための絶対的な力が、いま目の前で完璧な形となって産声を上げていた。
「……乗れるか?」
オレが尋ねると、フェムは待ってましたとばかりに胸を張って答えた。
「もちろんです! 試乗をされると思ってこちらに運んだんですから!」
彼女が腕のデバイスを操作すると、それに呼応してゼロの胸部ハッチが滑らかに開いた。
オレは促されるままコックピットへと足を踏み入れる。薄暗い内部の、身体に吸い付くような操縦席シートに腰を下ろした。
直後、機体がオレの存在を感知した。
周囲の壁が一瞬で透き通り、ドッグの風景が360度映し出される。全周囲モニターって奴だな。死角が一切ない。
操縦桿を握ると同時に、システムが静かに立ち上がった。
コンソールから青い光が走り、「バイオメトリック・スキャン(生体認証)」が開始される。オレの網膜と手のひらの静脈が瞬時に読み取られ、システム側にアレスが『唯一のパイロット』として登録されていく。
「これで、アレス様だけがこの機体を動かせるようになりました!」
ハッチのすぐ外から、フェムが誇らしげに説明の声を届けてくれた。
手のひらから伝わってくる、純度100%のレアメタルを巡る莫大なエネルギー。オレだけの絶対的な力が、いま起動の時を待っている。
「では次に操作方法や火器管制システムの説明を……」
ハッチの向こうでフェムが長々と説明を始めようとしたが、まどろっこしい座学など必要ない。身体が直接、この機体を求めている。
「必要ない……出てろ」
「へっ?」
フェムがすっとんきょうな声を上げる。隣にいた白銀は、オレの意図を察して「お気をつけて」とだけ告げると、唖然とするフェムの襟首を掴んで強引にコックピット外へと連れ出してくれた。
重厚な閉鎖ハッチが静かに閉まり、密閉される。
システムが自動的に発進シークエンスへと移行していく。
視線を上げると、ゼロの真上に位置するドッグの上部ハッチが、いくつもの強固な隔壁を左右へとスライドさせていくのが見えた。その見上げる先にあるのは、遮るもののない、どこまでも深い漆黒の宇宙だ。
機体の背中や各部には、レガリア・ゼロに膨大なエネルギーを供給・固定するための太いパラレルコードが何本も繋がれている。
発進の瞬間、それらのコードが一斉に「バチン!」と音を立てて切り離された。自由を得たゼロの背部にあるメイン・スラスターが、猛烈な蒼い火を噴き上げる。
「行くぞ。ゼロ!」
レガリア・ゼロのツインアイが光を灯す。
シートに強烈なGがのしかかる。
アレスの叫びとともに、レガリア・ゼロは一条の閃光となり、一気に漆黒の宇宙へと駆け上がった。




