第15話 影武者の休息と、冷徹な白銀
構えの甘さ、呼吸の乱れ、無駄な動きのすべてを、ミカボシの容赦ない拳打と蹴撃が斬り裂き、暴き立てていく。
これは試験などという生易しいものではない。
まだまだ実力不足のアレスに対し、その身体に、魂に、本物の戦い方を叩き込むための苛烈な実戦教育。
闘技場の強固な床が火花を散らし、アレスの血と汗が宙に舞う――!
◇◇◇
地上に運び出された専用機「レガリア・ゼロ」は、領地の巨大な整備ドックへと搬入されていた。
「なっなな、なんですかこれ!?」
巨体が重々しい音を立てて固定されるや否や、空間を切り裂くような絶叫が響き渡る。
声を上げたのは、工機廠主任を務めるフェルム・リベット――通称、フェムだ。
彼女の狂気じみた叫び声は金属質の整備ドック内で派手に反響したが、周囲の整備士たちは作業の手を止めることすらしない。
「また始まったよ」「いつもの発作だろ」と言いたげに、「またか」と完全に慣れきった様子で、ため息混じりに自分たちの仕事に戻っていく。
しかし、フェムの興奮は収まるどころか、レガリア・ゼロに文字通り文字通り飛びつく勢いで加速していく。その瞳は完全にらんらんと輝いていた。
「なにこれ? この機体、見た事のない型だわ。どんな素材使ってるの? ナノ合金? アダマン合金? まさかミスリル? ……あぁでも劣化してる! 装甲も所々取れてるし……あっ、でも内部フレーム少し見れる!」
工具をひったくり、装甲の隙間に顔を突っ込みかねない勢いで観察を始める。
「装甲の分子結合密度がうちの規格と全然違う……。駆動系はどこ? まさか流体磁性サーボだけでこの巨体を制御してるの!? 待って、このメインジェネレーターの熱排気効率、物理法則バグってない!?」
フェムの指が、携帯型の解析端末の上で残像が生じるほどの速度で踊る。画面に表示される異常な数値の羅列に、彼女の呼吸はさらに荒くなっていく。
「ねえ、これ動力炉何で回してるの!? ミュオン触媒核融合? いや、この特異な超弦パルスはまさか……縮退炉!? ヤバい、計器の対消滅反応値が跳ね上がってる! 構造解析させて! 1秒でいいから!」
レガリア・ゼロの圧倒的なスペックの前に、天才メカニックの理理性は一瞬で消し飛び、マッドサイエンティストとしての本能が完全に覚醒していた――。
「うそ、関節部の摩擦係数が完全にゼロ……!? 電磁トランスミッションの伝達ロスがないなんて、整備士泣かせもいいとこでしょ! モニターに映る相転移装甲のパターニング、美しすぎて脳がハックされそう……!!」
長々と独り言を叫びながら、文字通りトランス状態に陥っているフェム。
そんな彼女の異常なテンションに引きつつ、オレ、アレスは整備ドックへと足を運んでいた。
ボロボロの機体を前にして、俺はフェムに声をかける。
「装甲とか使い物にならないようだから、内部フレームだけ使って整備してくれ」
その言葉に、フェムの肩がぴくんと反応した。
彼女は操られた人形のようにギギギと静かに振り向くと、らんらんと輝く肉食獣のような目で俺を凝視する。
「……ご予算は?」
恐る恐る尋ねてくるフェム。
いくら天才メカニックとはいえ、見たこともない機体の塊を、しかも最新の素材で改修するとなれば、予算が気になるのは確実だ。
「上限はありません」
俺が口を開くより早く、背後に音もなく控えていた白銀が、淡々と、しかし絶対的な調子でそう告げた。
予算上限が存在しない――すなわち、国家の全財産を注ぎ込んでも構わないという、究極の全権委任。
「あっりがとうございますぅ!! 最高級の装甲に武装、この子を最強にしてみせます!!」
フェムは子供のように飛び跳ねて喜び、歓喜のダンスを踊りながら再びレガリア・ゼロへと取り憑いていった。
「……いいのか、白銀?」
俺は思わず引きつった顔で、背後の白銀に尋ねる。
普段は領地の財政や資源管理に対して、血も涙もないほど厳格な効率主義を貫く彼女だ。そんな白銀が、これほど簡単に白紙委任状を出すなんて信じられなかった。
「かまいません。マスターの乗機となるレガリア・ゼロは、現帝国の最高レベルの武装を施したところで、その本来の性能を完全には発揮できないでしょうから……。現時点での予算を気にするだけ無意味です」
白銀は表情一つ変えずに言い放った。
現在の世界にある最高峰の技術や贅沢をすべて注ぎ込んでも、この機体にとっては「最低限の応急処置」にすら届かない。それが、レガリア・ゼロの真実だった。
整備用ドッグを後にした後、オレは屋敷に戻り、すぐさま政務に取り組んでいた。机の上に山積みになった書類を相手に奮闘し、ようやく一区切りがついたところで小さな溜息をつき、小休憩を入れていた。
コンコン。その時、タイミングよくドアをノックする音が聞こえた。
「失礼します、アレス様」入ってきたのはメイドのアリシアだった。
彼女は丁寧に淹れた紅茶と、お手製のお菓子を盆に載せて持ってきてくれた。アリシアは机の上に山積みとなっている書類をちらりと見ると、気遣わしげに視線を落とした。
「あの……お疲れでしたら、お肩でもお揉みしましょうか?」
上目遣いで、小さく尋ねてくる。思えば、このところの目まぐるしい出来事で、彼女には心配をかけた。
だが、オレの答えは決まっている。
「いや……いい」
短く拒絶すると、アリシアはあからさまに肩を落とした。
「しっ、失礼しました……!」
彼女は寂しげな表情を浮かべ、深く一礼して足早に退室していった。
パタン、と扉が閉まる。アリシアがアレスに対して、少なからずの好意を抱いているのはわかっていた。だからこそ、今のオレの態度には罪悪感がなくもない。
「夜伽にでも呼んでやったら、喜ぶか?」
ふと、背後に気配もなく控えている白銀に声をかけた。すると白銀は、冷徹そのものの、まるでゴミを見るような目でオレを射抜いた。
「必要ありません」
氷のように冷たい声が返ってくる。
「マスターがその気になられるのならともかく、臣下であるあなたがそのような真似をするのは不敬の極み。最初に彼女を抱くべきなのは、本物のマスターであるべきです」
アリシアの初めてはアレスであるべきという白銀のこだわりがあった。
「ハハ、手厳しいな」
オレは苦笑しながら、差し出された紅茶に口をつけた。
「そもそも……あなたにはついていないでしょう」
白銀の無慈悲なツッコミが、オレの核心を容赦なく突き刺す。オレの身体が一瞬、陽炎のように揺らめいた。
「必要なら、今ここで生やすこともできるが?」
ニヤリと笑って見せたその顔は、アレスのまま。だが、中身は全くの別人、暗部を率いる頭目「クロ」だった。
アレス本人が遺跡で地獄の特訓をしている間、主に変わり政務を行っていた。




