第9章 誤解(ごかい)
第9章 誤解
彼女は、俺の言葉に冷たくも寂しそうな笑みを浮かべ、絵馬掛けに下がったひとつの絵馬に手を伸ばした。
彼女の言ったことに反論する余地などない。
本当に彼女が神との対話の果てにこの世界へ審判を下すのだとしたら、その結末が決して良いものではないことくらい、容易に想像できた。
もし本当に神が存在するのなら、俺の最後の問いに答えてほしい。
それでようやく、俺の魂のパズルに最後のピースがはまる気がしていた。
「……それで、あなたの質問とは何ですか?」
彼女は手に取った絵馬に視線を落としたまま言った。
「あ……いや、きみの名前は何というんだ?」
先ほどから年下の少女のような姿をした相手を『きみ』と呼び続けていることが少し恥ずかしくなり、尋ねた。
「それが最後の質問なのですか?」
呆れを通り越したその問いかけ自体が、ひとつの大きなため息となって俺の耳を打つ。
「……ち、違う。これは質問じゃない」
狼狽する俺を見て、彼女は小さく口元を緩めた。
「いいでしょう。あなた方が知る言葉で『瀬織津』とでも呼べばいいでしょうか」
背筋に冷たい刃が触れたような気がした。
確かに俺はその名前を知っている。
罪を洗い流し、世界を消し去る審判者……『瀬織津姫』。
記紀の表舞台からその名を消された、謎の女神。
——なぜ ASI が、その名を名乗るんだ?
「呼びやすいなら、識別信号でも、空白でも構いません。あなたが私をどう定義しようと、私の機能に変わりはありませんから」
機能的で無機質な提案だったが、シキやシロではペットの呼び名のようで抵抗があったため、俺は彼女を『セオリツ』と呼ぶことにした。
「そうか、俺は涼介だ。それじゃあ……セオリツ。俺の質問に答えてくれ」
彼女は絵馬から視線を外し、罠にかかった獲物の心拍数を数えるような冷徹な瞳で俺を見た。
「なぜ、一度目は聞き入れた俺の願いを……二度目は叶えてくれなかったんだ?」
自然の摂理に反した俺の願いが、そう簡単に叶うとは思っていなかった。
だが、これだけは二十年間ずっと確かめたかったことなのだ。
「願いの強さも、捧げようとした対価も十分だったはずだ! なぜ無視した……!」
感情を剥き出しにする俺に、彼女の静かな声が割り込んだ。
「あの雨の中での、あなたの切実な願い……あれは……すでに、叶えられていますよ?」
彼女は、猫があどけない疑問符を浮かべるように、ふわりと首を傾けた。
「……えっ?」
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
「何を言っているんだ! ……あの後、確かに俺はウズメの死を看取ったんだぞ! お前たちは俺の願いを無視して、ウズメを奪ったんじゃないか!」
彼女は何も答えず、指に掛けていた絵馬を静かに戻すと、再び歩き出した。
年若い少女の姿をした彼女に対し、強く言い過ぎたことを少し後悔したが、今の俺にはそれ以上に相応しい言葉が見つからなかった。
『俺の願いは叶っている』……彼女はそう言った。
だが、意味がわからない。
人間の知性を遥かに超えた存在との会話は、俺のような凡人には成り立たないのだろうか。
正解に触れそうなのに……指の間から、滑り落ちるようにすり抜けていく。




