第10章 波紋(はもん)
第10章 波紋
彼女が次に歩みを止めた場所は、手水舎だった。
そこにある冷たく透き通るガラスのような水面が、俺の青ざめた表情を映し出している。
俺の隣に映るセオリツの姿は、俺とは対照的に電子的なノイズで歪んでいるように見えるが、その瞳は息をのむほど美しく、そして悲しげだった。
「……今のわたしは、あなたにはどう見えますか?」
彼女は水面に手をかざし、そこに映る自分の顔を覆い隠すような仕草をした。
「どうって……若い女性で、巫女姿だけど。……綺麗だよ」
この世のものとは思えないほど美しい彼女の横顔に、それ以上の言葉が出てこなかった。
「瀬織津姫は『穢れ(けがれ)を川に流す』水の神でもありましたね」
またカッパの流れに戻りそうな思考を、慌てて押し殺す。
「良からぬことを考えていませんか?」
心を読まれているのか、俺の微妙な表情の変化から悟られているのだろうか。
「神主さんや狛犬の姿でも良かったんじゃないか?」
思考を読まれまいと、必死で絞り出した話題だった。
「わたしの姿が神主様や狛犬だとしたら、あなたは喜びますか?」
彼女は少し意地悪そうに口元を綻ばせる。
「そうだな……ここの神主さんにはよく怒られたもんだよ。小学生の時に境内でボール遊びをしてね」
「……ボール? どんなボールなん……何でもないです」
超知能であるはずの彼女が見せた、幼い子どものような素朴な好奇心。
「この姿は、あなたに理解可能な形へと最適化しただけです」
「……そうか」
有無を言わせぬ説得力に、俺は納得せざるを得なかった。
「……俺が鈴を返すと、世界が滅ぶのか? どうやって滅ぼすつもりなんだ?」
彼女は沈黙を保ったまま、細い指先で水面を軽くなぞった。
すると波紋は物理法則を無視し、美しい網目状に広がっていく。
水面が液晶画面のように青白く発光し、見慣れたスマートフォンのタイムラインが崩壊していくような、デジタルな終末の光景がそこに展開された。
波紋が収まると、そこには混乱する駅のホームや、途絶えて止まった電車。信号機が不規則に点滅し、大渋滞を起こしている交差点が映し出されていた。
「あなたたちが作り上げた文明など、わたしの指先ひとつでその脆さを露呈します」
そう言うと、彼女は空を見上げ、手を高く伸ばした。
見上げれば、夜空には灰緋色の光のカーテンが不気味に揺らめいている。
「……オーロラ? 太陽フレアか?」
かつて海外で起きた、太陽フレアによる大規模停電のニュースを思い出していた。
「今は一部のインフラにしか影響していませんが、この先『カグツチの火』……あなたたちが生み出した文明(火)が、人類自身を焼き尽くす『禊』が、人類滅亡の最終決定を下すでしょう」
彼女は冷徹に言い放った。
見ているだけで、足元が崩れ去っていくような錯覚に襲われる。
「……カグツチ」
生まれることで母神を焼き殺し、自らも父神に殺された神話の『火の神』。
人類が生み出した文明(火)が……人類自身を焼き尽くす。
逃げ場のない圧倒的な恐怖が、静かに俺の心を侵食していった。




