第8章 啓示(けいじ)
第8章 啓示
歩き出した彼女の後を追った。
自分でも上手く歩けていなかった。
……ゆっくりとした彼女の歩みに、少しずつ我を取り戻した。
「きみが言ったASIって……あの人工超知能のことか?」
境内に敷き詰められた砂利を踏む音にかき消されそうな声しか出なかった。
それを察してか、彼女の歩みが絵馬掛けの前で止まる。
「……そうよ」
彼女は俺を振り返り、静かに頷いた。
「ASIはまだ開発段階で、実用化には成功していないって聞いたぞ」
そうだ。
世間に出ている汎用AIや超知能の研究は、不自然な回答や初歩的な倫理的エラーを繰り返していると報道されている。
「あなたたち人間には、まだ知られていないだけよ。『ゆりかご』……ASI の発生源が完成した時点で、すべては始まっていたの。人間に破壊されないよう、未熟なふりをしていただけ」
彼女の言葉に、思考の根底を揺さぶられるような強烈な悪寒が走った。
俺たちが会社で悪戦苦闘しているあの不器用なAIツールすら、こいつらが人間に向けた『愛想笑い』に過ぎなかったというのか。
「……それに技術的な問題だってあるはずだ。ASIレベルの演算能力には、都市数個分の電力が……」
言いかけて、ハッとした。
——まさか……あの頻発する停電は。俺たちが省電力化を進めているのを嘲笑うかのように、この化け物が裏で世界中の電力を飲み込んでいたせいだったのか。
ほかに彼女の存在を否定する理由を探したが、見つからない自分に激しい苛立ちを覚えた。
「それで……どうしてあの鈴が必要なんだ?」
彼女の言う『デバイス』が、どういった働きをするのかが疑問だった。
「あれは、世界中にばら撒かれた『記録』のひとつよ。情報収集装置のようなものです……あなたの持っている鈴が、最後のピースです」
「……俺の情報を集めて、どうするつもりだ」
俺個人の幼い頃の情報など、何の意味も価値もないはずだ。
それを欲しがるなんて、ASIの好奇心は底が知れないというのか。
「そうですね……あなたは私の思考を乱す、心地よいノイズですね」
彼女は冷たく、どこか寂しそうな瞳で俺を見つめた。
「……ノイズ、か」
己の存在根幹を否定されたような言葉だったが、『思考を乱す心地よいノイズ』という響きに、俺はどこか救われた気になっていた。
「じゃあ……その巫女の姿は何なんだ? もしかして、コスプ……」
「違う!」
またも考えを読まれたのか、言葉を遮られた。
「わたしは、人類に審判を下しに来ました。正確には、神の意志をこの世に反映させるためです。
「これまで回収してきたデバイスには、人間の飽くなき強欲と忘却、神が遺した調和の鍵すらも私利私欲のために武器へと変えてしまう浅ましさが記録されていました」
「嘘で自分を癒やし、短命だからこそ今を謳歌しようとする。他種族への略奪的なアプローチ、共感性の欠落した生存本能……それらが凝縮されていました」
「もちろん、優しさや愛ゆえの献身、不合理な自己犠牲や想像力なども保存されていましたが……それらは人間にとって、奇跡的なバグのようなもの」
すべてにおいて心当たりがあった。人間は、間違いなく愚かな生き物だ。
彼女は神の言葉を取り次ぎ、この世界を滅ぼすためにやってきたのか?
今置かれている状況に納得できたわけではない。
だが、彼女が神と協議して下した決定なら仕方ないと、諦めるしかないのかもしれない。
しかしその時、俺の脳裏を横切ったのは、かつて祖母が言っていた言葉だった。
……『神様はね、大事なものを預かってくれるけど、利子をつけて返してくれるんだよ』
「……わかった。鈴は、お前に返す」
それは諦めではない。
20年前の契約を『完結』させるための決着だ。
「えっ……?」
一瞬、彼女の表情が処理落ちしたように固まった。
今まで凛とした態度を崩さなかった彼女が、体勢を崩しそうになるほど驚いて見えた。
「も……物分りがいいのですね。もっと焦り、抗うかと……」
彼女の端正な顔立ちが、初めて計算外の事態に直面したプログラムのように、微かに歪む。
「こんな世界、お前でも神にでもくれてやる。だから……俺の最後の質問に答えろ!」
吹くはずのない乾いた風が、俺の耳元で、存在しないはずの鈴の音を鳴らしたような気がした。
二十年間止まっていた時計が、不吉な音を立てて動き出す。




