第5章 応答(おうとう)
第5章 応答
二階の自分の部屋に戻り、俺は二度目の祈りを捧げたあの日の出来事を思い出そうと、写真立てを両手で強く握りしめた。
あの日、俺は『お願いだ! ウズメを連れて行かないでくれ』と叫び、自分の体のすべてと引き換えにしてでも命を乞おうとした。
その願いが叶わなかったことで、俺は神などいないのだと悟った。
いや、神に切り捨てられ、無視されたのだと思い知り、祈りという行為の無意味さを痛感したのだ。
ウズメは決して短命ではなかった。
俺や家族との幸せな思い出をたくさん抱え、最後も苦しむことなく看取ってやれたはずだ。
だが、そんな事実ですら、神へ向けられた俺の怒りや怨念をなだめるには至らなかった。
「……ウズメ、俺はどうしたら……」
写真立ての中の彼女に問いかけようとした、その時だった。
窓の外で、鋭く青白い閃光が視界を射抜く。
はじめは雷かと思ったが、空には雲ひとつなく、満月があたりを静かに照らしていた。
光の発生源は、もっと低い場所……地上だ。
その瞬間。
……チリン。
鈴が鳴った。
鳴るはずのない音が、頭の奥深くで、はっきりと響き渡る。
短く鋭い光が何度も爆ぜていた場所は、小高い山の頂、あの神社のある場所だった。
——行かなければならない……。
理由は分からない。
ただ、身体だけがそれを知っていた。
吸い寄せられるように玄関へと向かう俺に、夕飯の後片づけ中だった母が駆け寄り、声をかける。
「どこへ行くの?」
母の手には、台所洗剤の泡がついたままだった。
「……ちょっと、そこまで。すぐ帰るから」
取り繕うような言葉だけを残す。
「気を付けてね。停電になると街灯も点かなくなるから」
母に促され、玄関に置かれていた金属製の懐中電灯を手にする。
今どきスマホにもライト機能はあるが、万一のときに武器にでもなるだろうとそれをポケットに押し込む。
そして、夜の神社への道を理由も分からないまま、俺は走っていた。
暗闇の中に、見覚えのある石段が不気味に浮かび上がる。
脇に並ぶ灯籠に明かりはなく、その先には深い闇だけが続いていた。
実家の二階からは見えていた月明かりも、青白い閃光も、生い茂る木々に遮られてここには届かない。
手に持った懐中電灯の細い光だけが、唯一の頼りだった。
昔はこの街に住んでいた頃、一息に駆け上がれたはずの階段。
だが四十を迎えた今の膝は笑い、吐き出す息が熱を帯びる。
足元の石がわずかに揺れた気がして、思わず立ち止まった。
所々で石積みが崩れ、階段は不規則に歪んでいる。
日陰には湿った苔がびっしりと生い茂り、さらに足元を脅かした。
息を切らしながら登りきった先で、俺は足を止めた。
火など灯るはずもない数基の石灯籠が、ぼんやりとあたりを照らし出していたのだ。
不気味な光に戸惑いながら懐中電灯を消すと、徐々に境内の異様な姿が浮かび上がってくる。
訪れる者を拒絶するかのように荒れ果てた参道の先に広がっていたのは、まるでそこだけ時間が凍結されたかのような空間だった。
埃ひとつ、落ち葉一枚すら落ちていない、完璧に清められた白い砂利の境内。
……だが、その清浄さが、どこか不気味だった。
そして、幼い頃の記憶のままの姿で静まり返る拝殿。
だが何より、俺が己の目を疑ったのは……。
拝殿の手前、神楽舞台の上に広がる光景だった。




