第3章 空白(くうはく)
第3章 空白
都会での暮らしは退屈だった。
楽しいはずのことも、悲しいはずのことも、どこか遠い世界の出来事のようだった。
いや、きっと俺はどこに行こうと退屈するだけなのだろう。
人付き合いもそこそこで、恋人もいたが進展はなく、煮え切らない俺の態度に呆れて去っていった。
恋人が去った日、俺は普段どうり残業していた。
社内での成績は悪くなかったが、四十歳を迎える頃、地方支店への転属辞令が下りる。
実家に近いこともあり、年老いてきた両親の顔も久しぶりに見なければと思い、それを受け入れた。
転属までの期間、溜まりに溜まった有休を消化するため、二週間の長期休暇を取った。
特別やりたいことがあるわけでもなく、引っ越しや役所の手続きを済ませるだけの時間。
最後の出社日、形式的な労い(ねぎら)いの言葉と小さな花束を受け取り、簡単な挨拶を済ませる。
少ない荷物を車に積み込み、新居へ向けて出発した。
「実家に寄って、両親の顔でも見るか……」
そう呟きながら、ハンドルを握る。
見覚えのある街に入り、送電線が走る田園風景の中、何か変わるかと期待して、車の窓を開けた。
外の空気を吸ってみたが、風はただ冷たかっただけだ。
流れ込んでくる風は都会のそれより幾分か穏やかだったが、俺の乾いた心に潤いを与えるほどではない。
ただ、無気力な肌を冷たく撫でていくだけだった。
車載テレビのニュースをつければ、誰かが誰かを傷つけていた。
……俺はボリュームを下げた。
会社でも、AGI が俺の部署の業務の半分を代替した。
来期はさらに 30%削減だと、上司が淡々と説明した。
効率を尊ぶ AGI にとって、俺の代わりなどいくらでもいるのだろう。
最近多発している原因不明の停電も、そんな不気味さの一部に思えた。
世界という巨大なシステムが、どこかで致命的なエラーを吐き出している。
都市部での電力不足による計画停電もあるが、実家近辺でも多発していると、電話で母が言っていた。
開発という名の自然破壊が横行し、貴重な動植物の減少も、こののどかな風景の裏側で着実に進んでいる。
「この世界は病んでるな」
画面の向こうの出来事に、何も感じない自分が少しだけ気味悪かった。
実家に到着し、玄関を開ける。
懐かしい匂いが広がると同時に、元気な母の声が響いた。
「おかえり、涼介。元気だった?」
その声を聞いた瞬間、胸が少しだけ詰まる。
「今晩は泊まっていけばいいよ。あんたの部屋はそのままだから」
母はエプロンで手を拭きながら、笑顔で言った。……俺は、その笑顔に目を合わせられなかった。
「……うん」
重い足に代わって手すりに力を込め、階段を上る。
開けたくない扉を開けた。
忘れたくない思い出を、ずっと封印してきた部屋。
カーテン越しに漏れる光だけの薄暗い空間。
もし今、この街が停電になれば、この部屋はあの頃の夜と同じ暗闇に沈むのだろう。
埃ひとつない机の上。
母が今も掃除を続けてくれていた。
ウズメの写真立てと首輪が昔のまま置かれていた。
その写真立ての前には小さな皿が添えられ、彼女の好きだったおやつが供えられていた。
「……ただいま」




