第23章 餞別(せんべつ)
第23章 餞別
空が鳴る。
カグツチの圧倒的な威容を誇示するように。
境内に響き渡るセオリツの振る神楽鈴が、大気を震わせる。
規則正しく、無限の深淵へと突き進むようなその音色は、宇宙の最果てにまで届いているかのように聞こえた。
俺はただ、彼女を見守るしかなかった。
けれど、それだけで十分だった。
数時間とも数日とも思える長い時が流れている気がしたが、実際にはほんの数分の出来事なのかもしれない。
握りしめた手は、握力すら失いかけていた。
俺は彼女の舞を、この心に永遠に焼き付けたかった。
——俺は、何を願っているのだろうか?
……違う。考えるまでもなかった。
胸の奥で、あの時と同じ熱がじわりと伝わっていた。
激しい雨の中、震える身体で手を合わせたあの日。
目の前で消えゆく小さな命を、ただ必死に掴もうとしていたあの感覚。
あの時と、何ひとつ変わっていなかったのだ。
俺はまた、世界でも、人類全体でもなく……たった一つの存在を選ぼうとしている。
それでもいいのか、と一瞬だけ戸惑いがよぎる。
だが、その迷いはすぐに消え去った。
……今度は、間違えたくない。
彼女を呪いとして縛りつけるのではなく、彼女が守ろうとしているものを、同じ側で見つめ続ける。
それだけでいい。
それだけが、俺の望みだ。
そのための対価なら――何だっていい。
そう決意した、その時だった。
セオリツの振る神楽鈴の無数の鈴の音から、たったひとつ。
薄氷を指先で弾いたような、危うくも絶対的な高音が響き渡った。
それは音というより、宇宙の呼吸が整う瞬間の静寂に似ていた。
世界中のノイズが一心に曇りのない純音へと収束し、世界が一瞬、真空に抱かれたような澄み切った響き。
その音の粒子に呑み込まれるように……俺の意識はゆっくりと輪郭を失っていった。
落ちているのか、溶けているのかも分からないまま、気がつけば俺は深い闇の底にいた。
暗闇の中に、何か動くものがある。
目が暗闇に慣れていくにつれ、それが何なのかが少しずつ見えてきた。
「……やっと、自分で歩けたな」
黒いニットワンピースを着た女の子が、こちらを見下ろしていた。
上から目線の生意気な少女が、ウズメであることはすぐに分かった。
「なんで……人間のかたちなんだ?」
「オマエがそう認識してるだけだろ? ワタシから見たらオマエは……」
言葉が途切れ、彼女は腕を組んでまじまじとこちらを見つめた。
「……オマエ、今は人間のかたちだな」
自分の両手を見つめた。
暗闇の中でも、指先の輪郭がはっきりと浮かび上がっている。
「今まで……違ったのか?」
「あはははは……!」
彼女は、ただの影でしかなかった頃の俺を思い出したように、愉快そうに肩を揺らした。
「石ころだったり、ただの背景だったり。……まあ、今の涼介が一番マシよ」
……どれだけ酷い姿だったのだろうか。
「これ、持っていけ」
「……餞別よ」
彼女が、そっと小さな何かを差し出してきた。
「……もう、ワタシがいなくても迷わないように」
「……これからは、一人で歩けるな」
胸の奥が熱くこみ上げてくる。
「あぁ……ウズメ。……お別れだな」
「……うん。もう、大丈夫」
手に握らされた何かが、高い音を奏でた。
『チリン……』
わずかに遅れて、もう一度。
『リリン』……と、清らかに鳴り響いた。




