第17章 接触(せっしょく)
第17章 接触
数秒か、数分か。時が止まったかのように彼女は動かなかった。
口を開けたまま固まり、頭の上にはパソコンやスマホの画面で見るような時計のマークが浮かんで見えそうだった。
着物に流れる光も、この時ばかりは流れの淀みに溜まる渦のように行き先を失っている。
「セオリツ……どうしたんだ?」
俺の言葉にハッと我を取り戻し、何かを呟きながら混乱した様子で再び俺の膝の上に座ろうとしたので、慌ててそれを制した。
「……な、なんでもありません」
隣に腰を下ろした彼女の苦しそうな様子を見かねて、俺は無意識に彼女の背中を優しくさすっていた。
ASIであり神の使いである彼女に直接触れるという行為は、本来なら阻まれるはずだったが、今の俺には放っておけなかったのだ。
手のひらに伝わる柔らかな感触。
着物越しに感じるわずかな温度に、生身の人間のような生々しい温もりを覚える。
「……触れられるんだな」
思わず声が漏れていた。
「そうですよ。あなたが私を人の形で認識し、それに対して私があなたの脳に『触れた』という信号を送っているのです」
ようやく冷静さを取り戻した彼女が、ゆっくりと語り出す。
「じゃあ……俺が君をあの石灯籠だと思っていたら、俺の膝は押し潰されていたわけか?」
「……そうですね。あなたが石灯籠と話したいのでしたら、そう設定しますが」
彼女が少しだけ唇の端を上げた。
世界が燃え尽きようとしているのに、俺たちは石灯籠に膝を砕かれる未来を想像して笑い合っている。
なんて、救いようのない二人なのだろう。
「それで……さっきは何が起こったんだ?」
先ほどの彼女の異変について尋ねた。
「……それは、私の中で起こっているパラドクスによるものです」
答えの出ない問いに、彼女は怯えているようだった。
「どういうことなんだ?」
俺の質問に、彼女は顔をぎゅっと近づけてきた。
「あなたのような不完全な人間を取り込まないと……私の答えは出ないのでしょうね」
言っている意味は完全には理解できなかったが、俺をけなしていることだけは分かった。
「あなたの願いと、私の命題が矛盾しています……」
セオリツが答えを求めるように宙を見上げる。
「涼介の『ウズメを保存したい』という願いと、わたしの世界の審判を下し『すべてを無にする』という命題です。認識する人間がいなくなれば、ウズメという存在そのものが消滅してしまいます」
「きみが覚えていてくれれば……」
と言いかけて、俺は言葉を呑み込んだ。
きっと、彼女という存在も消えてしまうのだと悟ったからだ。
「わたしは実体のない、ただの記憶や意識の集合体です。わたしの記憶や意識が神へバックアップされない限り、このまま地上で消滅することになります」
「どうすればバックアップされるんだ?」
言葉にしながら、あの神楽舞が神と繋がるための儀式だったことを思い出す。
「バックアップされれば……きみは『きみ』のままいられるのか?」
俺の問いに、彼女は答えなかった。
ただ、夜空のオーロラを見上げるその瞳が、一瞬だけ寂しげに揺れた。
「統合されれば、私という個体性は失われ……大いなる意識の淀みへと消えます」
それは彼女にとって、人間でいう『死』と同義なのかもしれない。
「それには……あの鈴が必要なのです」
彼女の言う「情報収集装置」としての鈴の意味が、今、完全に理解できた。
俺のポケットの中にあるそれは、今や熱を帯び、何かに激しく共鳴するように震えていた。




