第14章 記憶(きおく)
第14章 記憶
何かを諦めたかのように、彼女は静かに話し始めた。
「……確かに。あの生き物は私の中に、わずかながら組み込まれてはいるでしょう」
彼女は落ち着きを取り戻したが、まだ俺の膝の上に座ったままだった。
「その……前に降りてくれないか。俺はこのままでもいいんだが、話に集中できなくてな」
「…………えっ?」
ようやく自分が置かれた状況に気づいたようだった。
フワリと膝から飛び降りると、こちらに顔を向けず、何事もなかったかのように冷静な声で話を再開する。
「あなたという人間は……私の演算を狂わせるバグの塊のような人ですね」
彼女はそう吐き捨てたが、その頬には、先ほどまで俺の腿に触れていた場所と同じような、かすかな『熱』が残っているように見えた。
「えっ……俺が?」
先ほどの自分の失態の責任を、俺に押し付けるような言い草だった。
「猫一匹の命の対価に自分の目や時間を差し出し、それが叶わないとわかると、今度は……」
その言葉を、俺の溢れ出す感情が遮った。
「待ってくれ! ……セオリツ。きみは俺の願いが『すでに叶っている』と言ったじゃないか!」
「人間は自分の都合のいいように、記憶すら書き換えてしまうのですね。……だから、あなたは『願いが叶わなかった』と思い込んでいる」
彼女はこちらへ振り返り、先ほどまでの人間味を消し去った冷徹な瞳で俺を見つめた。
「……思い出せないんだ。あの雨の日、ここで俺は最初の願いのあと……何を口にしたんだ? 教えてくれ」
「願い事には対価が必要です。……あなた自身で思い出しなさい」
そう言うと、彼女は境内に向かって、手のひらから砂をこぼすように腕を振った。
着物の袖から溢れ出した幾何学模様が地面へと落ちていく。
それは空中で青白い光を帯びた雫へと相転移し、境内の砂利を叩いた。
気づけば、俺の視界は二十年前の、あの絶望的な雨の色に染まっていた。
——そうだ。あの日、苦しむウズメの姿を見て、俺はこの神社へ走ったんだ。
もう最期が近づいているのは分かっていた。
それでもウズメは必死に目を開け、俺を見ようとしてくれていた。
そして激しい雨の中、俺は息を切らして拝殿の前で手を合わせ、狂ったように祈ったのだ。
『お願いだ! ……ウズメを連れて行かないでくれ。……助けてやってくれ。俺の目でも腕でも時間でも、なんでもくれてやる!』
——そして、そのあとに俺が紡いだ言葉。
『……それが叶わないなら。……せめて、苦しませずに安らかに、あなたのもとに連れて行ってくれ』
言葉が、遅れて重い意味を持った。
息が、うまく吸えなかった。
無視されたと思っていたあの日。
神は沈黙していたのではなく、俺の最もか細く、切実な声だけを拾い上げ、静かにウズメの魂を抱き上げてくれていたのだ。
そのあまりの慈悲深さに、俺が二十年間抱え続けてきた神への怒りと呪いは行き場を失い、霧のように消えていった。
……そうか。
あの日、ウズメは苦しむことなく、ただ眠るように穏やかに逝った。
あの日から止まっていた時計の針が、今、俺の胸を強く締め付けながら、音を立てて動き出した。




