第13章 鈿女(うずめ)
第13章 鈿女
石段を登りきると、そこには昨日と同じ静寂が広がっていた。
境内を歩き、神楽舞台に彼女の姿を探したがどこにも見当たらず、あちらこちらへ視線を泳がせる。
「何を探しているのですか? ……涼介」
背後から、静かに彼女の声が届いた。
「セオリツ……きみを捜してるに決まってるだろ」
振り返ると、彼女は鮮やかな藍色の着物姿で立っていた。
あの巫女装束と同じように、回路図のような幾何学模様と明滅する数式の羅列が、凛冽たる藍の生地の表面を流れている。
「今日は巫女装束じゃないんだな」
思いもよらぬ彼女の装いに驚いたが、それはこの世の者とは思えぬ光を纏った幻影のように美しかった。
「あなたの思考より導き出した姿です。それに……コスプレなどと言われたことを根に持っています」
やはり俺の心は、すべて見透かされているらしい。
「持ってきたよ」
彼女が怒り出さないうちに鈴を渡そうと、ポケットに手を入れて固く握りしめた。
だが手を引き抜こうとした瞬間、何かが一緒にポケットからこぼれ落ちる。
それは、母が書いたメモだった。
おにぎりを食べる際、無意識に丸めてポケットへ押し込んでいたらしい。
その小さな紙屑が地面に落ちるか落ちないかの間に、彼女の身体が疾風のように反応し、数歩前へ躍り出ていた。
「すまない、ただのゴミだよ」
俺の声にハッと我を取り戻したかのように、彼女は裾を正す。
「こ、この神聖な場にゴミを持ち込むなど……」
すぐさま拾い上げ、反対のポケットへ押し込もうとしたが、彼女の見開かれた瞳は俺の手元を鋭く追っていた。
「何も重要なことは書いてない。ただのメモだよ」
あまりにも俺の拳を凝視してくるので、手のひらを開いて彼女に見せた。
「す……捨てておきます」
微かな風を感じた次の瞬間には、紙屑は彼女の手のひらに移っていた。
手のひらの上で転がし、それを目で追う仕草を見せたあと、何かに気づいたように彼女はその丸まった紙を鼻先へ近づけた。
「こ、この匂い……」
紙から発せられる微かな匂いを、何度も確かめている様子だった。
俺は彼女が欲していた鈴を握りしめたまま、呆然とその光景を見つめていた。
——確かにいる。セオリツの中に。
丸めた紙を追う仕草は、昔俺がゴミ箱に入れ損ねた紙屑を、ウズメが前足で転がして遊んでいた姿そのものだ。
そして彼女が紙屑を鼻先に寄せ、深々と何度も吸い込んだ姿
……それはデータ分析などではなかった。
見覚えがありすぎる仕草だった。
かつて食卓の端で、俺が分けた鮭の身を待ちわびていた、あの愛おしい『鼻を鳴らす』仕草そのものだ。
あの首を斜めに傾げた姿が重なって見えたことも、ボールの話に食いついてきたことも、すべてがひとつの線でつながっていく。
膝から崩れそうになる身体を支えようと、俺は拝殿の木段に向かった。
彼女は俺の後ろを、まだ手に乗せた紙屑を転がしながら、ちょこちょことついてくる。
俺が崩れるように拝殿の階段に腰を下ろすと、なんと彼女は、俺の膝の上にちょこんと座り込んできた。
まるで記憶をなぞるように、迷いなくそこに収まる。
膝に乗った彼女の身体は、ホログラムのような軽やかさとは裏腹に、確かな重みを持っていた。
そして何より、懐かしい『生き物の熱』が、俺の腿を通じてじんわりと伝わってくる。
手のひらの上では、まだ丸めた紙をコロコロと転がし、その動きを目で追っている。
鼻歌でも歌うかのように、彼女の口元には小さな笑みが浮かんでいた。
あり得ないはずなのに、そうとしか思えなかった。
かつてウズメもこうして俺の膝に乗り、足が痺れるまで毛づくろいをしたり居眠りをしていたのだ。
喉の奥で、名前が自然と形になった。
「……ウズメ」
数秒遅れて、ハッとしたように彼女が振り返る。
「違います……その認識は……」
だが……。
『ウズメ』と呼ばれたこと自体は、決して否定されなかった。




