Day 5.旅人
藤也がメイサの特訓を受け始めて、一週間が過ぎた。
週明けの朝、メイサは藤也とともに体育館へやってきた。
「たのもー!!」
朝練をしていたバスケ部とバレー部の部員たちは、突然の大声にあっけに取られ、一斉にメイサへ視線を向けた。
メイサは集まる視線など気にも留めず、床を鳴らしながらバスケ部の四人のもとへ歩いていった。
「まなちゃん、おっはよー」
「おはよう、メイちゃん。須藤くんも」
「おはようございます、赤江先輩」
「……いや、なんなんだよ」
愛香へにこやかに歩み寄るメイサを、一輝は険しい目で睨みつけた。
「言ったでしょ。頼もうって。今日は道場破りに来たんだよ」
「武士か……?」
苦笑する大雅に、藤也は小さく肩をすくめた。
「そこのお山の大将の鼻っ柱、へし折りに来たんですよ」
「あ?」
低い声で一輝が唸った。
「まなちゃんに、マネージャーと選手の助っ人頼まれたけど、部長のあんたが『ぼくちゃん無理……』ってごねたでしょ。だから、わからせに来た」
メイサはにこりと笑うと、一輝の真正面へすっと立った。
一輝の眉間にしわが寄る。
「おい、愛香!」
「まなちゃんに威嚇しないで。このぽんこつモラハラ」
メイサが一輝を真っすぐ睨み返すと、大雅と海斗、翔は思わず吹き出した。
「め、メイちゃん……」
「は、はあ? 誰がモラハラなんか!」
気色ばむ一輝に、メイサはにっこりと笑みを向けた。
「自覚ないわけ? ま、だからぽんこつモラハラなのよ。藤也、やっておしまい」
「へいへい、いっちょやってやりますよっと。……メイサ、なんでそんなに悪役ムーブなんだ?」
「昨日、『ミニオンズフィーバー』見た」
「……そんな話だっけ?」
首をかしげる藤也に、海斗が歩み寄った。
「ごめん」
「いいよ。なんかうちの部長も乗り気だしさ」
放課後、藤也が校庭を走ったり筋トレをしたりしていると、なぜか草野が毎日のように応援へ来て、飲み物まで差し入れてくれていた。
そのおかげで――あるいはそのせいで――藤也はサボることも手を抜くことも、異論を挟むことすらできず、一週間みっちり鍛えられることになった。
「で、道場破りってなにすんの?」
「1on1しよう。黒杉と藤也でね」
「はっ、バカにしやがって。お前、サッカー部の女マネの三枝だろ? そっちは……」
「二年、園芸部の須藤」
「なんだよ、運動部ですらねえのかよ。舐めやがって」
「舐めてるのはそっちでしょ」
メイサは低い声で言った。
「そのことを証明してあげる。それとも、また逃げるの」
静かな問いかけに、一輝は黙り込んだ。
朝の体育館に一瞬静けさが満ちる。
一輝は思わず振り返り、愛香へ視線を向けた。
愛香は唇を噛んで一輝を見ていた。
「……わかった。1on1で、五点先取。スリーポイントなしだ」
「うん。藤也、かましたって」
「任せとけ」
「……ほえ面かかせてやる」
唸る一輝に、愛香は黙ってボールを渡した。
「愛香……いや、いい」
一輝は愛香に向かって口を開きかけたが、メイサに言われた「ぽんこつモラハラ」という言葉を思い出し、そのまま口をつぐんだ。
そのとき、一輝がボールを突きながら踵を返すと、後ろでシューズが床をきゅっと擦る音が響いた。
「私の気持ちは変わってないよ」
「それは」
一輝が振り向いたときには、愛香はもうその場を離れ、黙って倉庫からスコアボードを運び出していた。
メイサもその横に並び、藤也がコートの真ん中に進み出た。
大雅が二人の間に立ち、一輝からボールを受け取る。
大雅の手を離れたボールが、高く宙へ舞い上がる。
先にボールに触れたのは藤也だった。
一輝は上履きをきしませながら藤也を追う。簡単に取り返せる――そう思っていた。
相手はバスケ経験者どころか運動部ですらない、二年生だ。
ボールの扱いだって、まだ慣れていないに違いない。
……そう、思っていたのだ。
「……っ、くそっ」
何度手を伸ばしても、ボールを取れない。
かろうじて追いつくことはできてもボールに触れることすらできなかった。
「なんで……っ」
一輝が見た限り、藤也のドリブルは取り立てて上手には見えなかった。体育のバスケの授業の後半、ちょっと慣れてきた運動部の連中くらいだ。
だからその程度の相手だと思って体を寄せても、するりとかわされてしまう。
「よっ……!」
隙を見て、藤也は飛んだ。
もともと背の高い藤也は、その高さを生かして軽々とゴールを決めた。
「藤也、1点」
メイサが淡々と言って、スコアボードをめくる。
勝ち誇ったり、嬉しそうにしてくれれば言い返しようもあった。だが、メイサも藤也も表情一つ変えず、一輝は唇を噛むしかなかった。
大雅がボールを拾い、一輝に放った。
「……ちっ」
一輝は腰を落とし、ゴールへ踏み出す。だが、その一歩目で藤也にボールを奪われた。
「は?」
あっけに取られているうちに、藤也はもう一点、ゴールを決めた。
スコアボードが一枚めくられ、大雅は無言で再び一輝へボールを放った。
一輝は黙って藤也とメイサを見た。
二人は相談などしていない。互いに視線を交わすことすらなかった。
メイサも藤也も、真顔で一輝を見ていた。
「……なんなんだよ」
その呟きに答える相手はいなかった。
***
そのまま流れは変わらず、藤也が五点目を決めて勝負がついた。
「なんで」
一輝は呆然とつぶやいた。
一輝は小学生のころから、ずっとバスケだけを続けてきた。
そりゃ、強豪校に入れるほどではない。それでも、素人に負けるなんてこと、あるはずがなかった。
うつむいた一輝の視界に、ゆっくりと藤也のシューズが入り込んできた。
「……」
一輝がのろのろと顔を上げると、藤也は静かに口を開いた。
「すごいっしょ、俺の彼女」
「……は?」
すごいのはお前だろ、とか、実はバスケ経験者だったのか、とか。聞きたいことはいくらでもあったのに、言葉はひとつも出てこなかった。
「俺、バスケなんて授業と、昼休みに遊びでしかしたことないです」
「……なのに、バスケ部部長に勝てたって、いやみ?」
「まさか」
藤也は首を振って、顔を上げた。
その先ではメイサが愛香に何かを話していた。
「メイサが、俺を勝たせてくれたんです。黒杉先輩の練習を見て、苦手なことや得意なことを見抜いて、それをカバーできるよう、一週間みっちり特訓してくれて。だから、俺が勝てるのはせいぜい1on1で黒杉先輩にだけです。きっと海斗には勝てない」
一輝は目を細めてメイサを見た。
「ね、先輩。バスケって、みんなでやるんすよね。その『みんな』に、赤江先輩や海斗は入ってませんでしたか?」
「入ってねえわけ……」
ねえだろ、と言いかけて、一輝は口を閉じた。
一輝はゆっくり振り向いて愛香を探す。
愛香の手元には使い古されたノートがあり、メイサの新品のノートと見比べていた。
その古いノートは練習のときにいつも愛香が持っていたものだ。表紙に一輝が貼ったステッカーが斜めになってついている。
一輝の脳裏に、一年生の部員が全員辞めた日の光景がよみがえった。
うまくゴールを決められなかった一年生を愛香が慰めていた。
一輝はそれに対して怒鳴りつけた。
『おい、マネージャーのお前がそんな甘っちょろいこと言ってるから!』
『闇雲に怒鳴ってうまくなるわけないでしょ!』
その後も、思うようにプレーできない一年生に
『……やる気あんのかよ』
と吐き捨てた。すると大雅から、
『怒鳴ってやる気削いでたら意味ねえよ』
と呆れられて、一輝はなんと答えただろうか。
一輝は改めて体育館を見渡した。
朝日が差し込む体育館では、出入り口側で男子バレー部が、舞台側で男子バスケ部が練習していた。
海斗と翔が、大雅に何か話しかけていた。それを受けて、大雅は愛香に声をかけている。
愛香は静かに頷き、手元のノートをめくった。
「……入って、なかったみたいだ」
「ええ」
「つーか、俺が『みんな』に入ってなかった、つうか……出てっちゃってた」
「はい」
「……ちょっと、『みんな』のところに戻ってくるわ」
「それがいいと思います」
藤也はほっとしたように微笑み、一輝が歩き出す背中を静かに見送った。
入れ替わりで、海斗と翔が藤也の元にやってきた。
「すげーな、藤也」
翔が目を輝かせた。
「運動神経いいとは思ってたけどさあ」
海斗も興奮したように目を輝かせた。
「いや、マジで付け焼き刃だよ。メイサが黒杉先輩の苦手なとこ教えてくれたから何とかなっただけだし。普通にやったら勝てねえよ。つーか、お前らにも勝てねえ」
「そうかあ? ちょっとやってみようぜ」
翔がにやっと笑ってボールを拾った。
「じゃあ、藤也対、俺と翔な」
海斗も笑って翔の隣に並んだ。
「は? おかしいだろ、現役バスケ部員二人なんか相手できねえって!」
「いいじゃん、入部テスト!」
「さっきしただろうが!」
二年生三人は、ボールを追って駆けだした。
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